第3話 真冬との出会い
クラスの生徒とともに俺もバタバタと指定された自席に着く。しばらくすると教室に担任と思われる教員が入ってきた。ホームルームが始まり、いよいよ緊張の自己紹介の始まりだ。
いつも新たな学年が始まる際の自己紹介は緊張するものだが、俺は名前的に順番が最初になりがちで多少の失敗は大目に見てくれることが多い。待ち受ける数十人の自己紹介を聞きながら自身の順番を待つ側にとっても、よっぽど突拍子もない発言をかまさなければ記憶にも残りづらい。一般的なテンプレートどおりに話せば何か面白いことを言おうとしなくても平和的に自分のターンが終了するし、次か次かと順番を待つよりも案外気楽なものだ。今回も自分の名前と出身中学校などの必要最低限の情報を全員に伝え、これからどうぞよろしく、と一言添えて席に着けば、我ながら出だしにしてはできのいい自己紹介の完成だ。
一仕事終えた顔で次の自己紹介の相手でも拝んでやろうと後ろに振り向くも、一つ席を飛ばした先のクラスメイトと目が合った。余裕が生まれた俺とは対照的に、そのクラスメイトの表情は引きつっていた。
「
入学式当日に病欠だなんて珍しい人間もいるもんだな、なんて失礼なことを考えながら、再開された自己紹介の続きをしばらく聞いていた。
俺を先頭とする列の自己紹介は平穏に終わり、次の列の自己紹介の番となった。俺の左隣の女子生徒が立ち上がり、全員が見えるように後ろを振り向くと控えめに会釈をして口を開いた。
「
おしとやかだけど、凛とした佇まい。腰に届きそうなくらい長い、艶のある漆黒の髪。あらかじめイメージしていた人物像と同じ、いやそれを大幅に上回ってきた。その衝撃にまず打ちひしがれてしまったのに。
クラスのみんなが嵐のような拍手で歓迎する中、ペコリとお辞儀をして顔を上げた瞬間。俺はその澄んだ瞳と目がかち合った。向こうは何のことなく静かに着席して続く自己紹介に耳を傾けていたようだったけれど。
俺はその時からしばらくの間、拍手の音も、続くクラスメイトの自己紹介の声も。何一つ耳に届かなくなっていた。
「……自己紹介は終わったな。それじゃあ、時間もちょうどいいし、このまま入学式に向かうぞ」
担任の手拍子によって和やかになっていたクラスの空気は一気に式典ムードへと一変する。そんな中、唯一俺だけはその手拍子によって我に返っていた。こんな有り様では石原のことをもう何も言えなくなってしまう。それくらい、知らないうちに神水真冬という人間に惹き込まれていたみたいだった。初めての経験に、衝撃の波が引いたと思えば次いでやってきたのは困惑の念。俺はまともに彼女の姿を視界に入れることができなくなっていた。
出席番号順に着席している俺たちは、担任の指示に従い着席していた順番どおりに廊下へと列を作っていく。他のクラスもホームルームが終了したようで、入学式に向かう準備をするため続々と生徒たちが列をなしていった。そのさまを目の端で捉えていると、隣のクラスに配属された石原が目ざとく俺を見つけ、羨望の眼差しとともにウインクまで飛ばしてきた。きっと気のせいだと思いたい。
ぞろぞろと導かれるがまま参列させられた入学式は、退屈のままに終わった。
まだ寒さの残る四月の体育館の底冷えで少し身震いしながらも、初めて聞く校歌を口パクで歌ったふりをする。入学試験の成績優秀者だったのであろう一年生が誇らしげに代表の挨拶をして、高校に上がってもなお冗長な校長の講話を聞く。何百人といる入学生のうちの一人に過ぎない俺は、最前列のパイプ椅子で舞台上をただひたすらにぼんやりと眺めているだけだった。首の疲れを早々に実感した後は潔く舞台を見上げるのをやめ、壇上に続く木製の階段だけが俺の視界を支配していた。
入学式が終わればそのまま帰宅できるのかと思いきや、その後舞台上に現れたのは在学生の二年生と三年生だった。担任の話を聞いていなかった俺が全面的に悪いのは確かだが、どうやら部活の紹介や高校生活のあらましを入れ替わりで説明してくれる催し物のようだ。各々所属部活のユニフォームを纏って元気いっぱいにアピールしたり、模造紙を用いて学期ごとのイベントや中学校との違いなどを説明してくれたりと、新入生を温かく迎え入れようとしていた。必要な時以外座り続きの俺は首だけでなく全身の疲労が思っていたよりも溜まっていたのか、諸先輩方には大変申し訳ないけれど話半分でやり過ごす選択を取らざるを得なかった。
今日のイベントは体育館で行われた催しがメインで、教室に戻ると翌日の事務連絡を受けてすぐに解散となった。初日の緊張から開放されたクラスメイトたちは各々中学校からの友人と一緒に帰ったり、そうでなければ友達作りに勤しんだりしていた。俺もさすがに孤立は回避したいと周りを見渡すも、同じ中学校出身の奴はこのクラスにはいないし、ましてやこんな端っこの席に座らされている奴に話しかけてくる物珍しい人間もいない。
だから俺は勇気を振り絞って、まだ席に残っていた左隣の席を向いて声をかけてみる。あくまでも自然な流れを取り繕って、だが。
「神水さん……だよね。俺、朝倉
ファーストコンタクトとやらはこんなものだろうか。公立だったこともあって、多少の入れ替わりはあるものの中学校までは大多数が地元の人間だからずっとエスカレーター式に持ち上がりだった。友達作りなんて久し振りすぎてこんなにもドキドキするものとは思わなかった。しかも、異性で石原お墨付きのウワサの人ならなおさらだ。
「あ……。はじめまして、朝倉くん。自己紹介でもお伝えしたとおり、神水、ではなくて下の名前で呼んでもらえると嬉しいな。……あまり、名字が好きになれなくて」
突然声をかけられて一瞬きょとんとした目を向けてきていたけれど、すぐに俺と目を合わせて微笑んでくれた。透き通る声が、鼓膜を揺らして心地いい。
「じゃ、じゃあ。真冬、でいいかな」
名字が好きになれない、という最後のかろうじて聞き取れた呟きに引っかかりを覚えるも、口を突いて出た呼び捨てを試みる自分に自身のことながら驚いて、取り繕うように次の言葉を続ける。
「俺のことも名字じゃなくて名前でいいよ。中学までの奴らからは、シノって呼ばれてたな」
「なら、みんなと同じく、シノって呼ぶね。これからよろしく、ね」
真冬は少し首を傾けて、柔らかく長い髪をしならせる。その所作の一つ一つにいちいち心臓が飛び上がっては戻ってを繰り返している。これまでの人生で一番聞き馴染みのあるあだ名で呼んでもらったにもかかわらず、本当に今日の俺はどうしてしまったものかと天を仰ぐ始末だ。
二人の間に他の会話は生まれず俺はさらなるプチパニックに陥るも、真冬はふと黒板の上の時計を見上げると荷物をまとめて立ち上がった。
「わたし、用事があるからそろそろ帰るね。……また明日」
「う、うん。また、明日……」
あくまでも冷静に。口角を上げて軽く手を振り、さようならの合図をする。ひらりと黒い髪の毛先が教室から見えなくなった途端、知らぬ間に少し浮いていた腰を椅子にどっぷりと落として、長いため息を吐く。
なんだか急にラブコメの世界に参入してしまったのではないかと錯覚してしまうくらい、真冬には人を惹きつけてしまう魔力があるように思えた。
そんな高揚も次の日にはぶちのめされてしまうとは露知らず、だったけれど。
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