第4章 怪物たちの議会

 スイス・ジュラ山脈の奥地に、忘れられたように建つ古城があった。

 かつて異端者が処刑され、錬金術師が引きこもったという伝承を持つこの地に、今夜、再び“異形”たちが集う。


 ホームズとワトソンが城の門をくぐったとき、既に多くの存在が集まっていた。

 吸血鬼の眷属、古代の呪いを纏うミイラたち、半魚人の使節団、月を背負う狼たち、そして――


 「やはり、奴は“姿を見せない”ままか……」

 ワトソンが声を潜めた。


 「グリフィンにとって、この場は“観察の檻”でしかないだろう。

  だが……やつは確実にどこかで聞いている」

 ホームズの目は、空の席を鋭く見つめていた。


 城内の大広間には、円形に並べられた石椅子が並び、それぞれの怪異が代表として腰掛けていた。

 円卓の中央には、各陣営の“刻印”が刻まれた石版がはめ込まれている。

 これは、いにしえの契約の象徴であり、いかなる敵意もこの場では慎むという誓いの証だった。


 だが、空気は冷え切っていた。


 「ドラキュラは……?」

 ワトソンが探すと、古びた石段の上から現れた。


 「諸君、よく来てくれた」

 マントを翻し、伯爵はゆっくりと壇上に立った。

 「我々は今、連盟の存続という岐路に立っている。

  ここ数か月の間に、あまりに多くの“歪み”が発生している」


 「歪みだと?」

 低い声が響いた。狼男の長老――灰色の鬣を持つ巨大な男が立ち上がった。


 「我らは元より“影”だ。今さら人間界の規範などどうでもよい。

  問題は、内部から“我々自身が狩られている”ことだ」


 その言葉に、一瞬場が沈黙する。


 「……あの夜の出来事か」

 ミイラの代表が、しわがれた声で呟く。

 「誰にも気づかれず、我が眷属が“首筋を裂かれた”。我々を討てるのは……我々の中の誰かしかいない」


 ホームズは懐中時計を取り出し、周囲の反応を観察していた。

 その視線は、誰かを探るように鋭い。


 「姿なき者……グリフィンだな?」

 半魚人の一人が水を滴らせながら言った。


 「彼が議会を崩そうとしている。それが事実なら、なぜここに呼ばれ続ける?」

 狼男の咆哮が響く。


 「我々は、“裏切り者”と対話などする必要はない!」


 「だが奴の思想が、一部に“共感”を生んでいることも否定できない」

 ドラキュラが静かに言葉を挟んだ。

 「人間の目を欺き、時に進化の象徴として振る舞う……。

  連盟の中にも、“変革”を望む者がいるのだ」


 ホームズが口を開いた。


 「だがその“変革”が、連続殺人と引き換えなら――それはただの破壊だ。

  私は“連盟の理性”を信じたい。

  だが、もしこの会議の場でさえ破られるなら……我々はその意味を問わねばならない」


 そのときだった。


 中央の石版に、血のような液体がひと筋、浮かび上がった。

 まるで“誰かが見ている”ことを告げるように。


 石版に浮かんだ血の文様は、やがて図形を成した。

 それは“連盟の印”ではなかった。

 ――代わりに、螺旋状の紋様が浮かび、中央で歪んだ目がこちらを睨んでいる。


 「これは……」

 ワトソンが声を上げた。


 「“進化の紋章”だ」

 ホームズの声は静かだった。

 「グリフィンがかつて残した文書に、この印が描かれていた。

  彼はこの記号を“未来の目”と呼んでいた」


 場の空気が凍る。


 「我々に警告しているのか? それとも……挑戦か?」

 ドラキュラが、燃える蝋燭の灯を見つめた。



 そのとき、空中から再び声が響いた。


 「これは警告でも挑戦でもない。

  ただの“宣言”だ。

  貴様らは進化を拒み、過去に縋る。

  だが、我々はもう“生まれ変わる”段階に入ったのだ」


 誰の目にもその姿は見えなかった。

 だが、その声――グリフィンのものだった。


 「我々はかつて、ただの“化け物”だった。

  それが“人間の眼差し”によって、定義された。

  だが今や、その人間たちは自らを滅ぼしかけている。

  新たな秩序が必要なのだ。理性の皮をかぶった“怪物”こそが、導くに相応しい」


 狼男の長老が立ち上がる。


 「それはお前か? グリフィン。

  姿もなく、血も通わぬお前が、新たな王だとでも?」


 「王など不要だ。ただ一つ――“設計者”がいればいい」


 沈黙が落ちた。

 その言葉に、場にいたすべての怪異が言いようのない不気味さを感じ取っていた。



 設計者――

 それは単なる支配者ではない。

 未来の“構造”を定める者。



 「……その概念は、グリフィンの思想だけでは語れない」

 ホームズがゆっくりと立ち上がる。


 「彼の背後に、“計算者”がいる。すべてを論理と法則で操る頭脳が。

  私はかつて、その頭脳と対峙したことがある」


 「モリアーティ」

 ワトソンの口から名が漏れた。


 その名が発せられた瞬間、場に異様な沈黙が走る。

 かつてホームズと死闘を繰り広げ、滝壺へと消えたはずの“教授”。


 「彼が……生きていると?」

 ドラキュラが静かに問いかける。


 「確証はない」

 ホームズが答える。

 「だが、あらゆる現象が“計算されている”としたら。

  そしてその裏に、“見えざる知性”があるとしたら。

  私は、否定できない。

  連盟の崩壊も、怪異の覚醒も、すべてが彼の手のひらだとしたら――」



 その瞬間、背後の窓が開き、冷たい風が城内に吹き込んだ。

 蝋燭が揺れ、光が不規則に跳ねる。


 「議会を続けるか否かは、諸君に委ねよう」

 ドラキュラが最後にそう言った。


 「だが私は、まだ“希望”を捨ててはいない。

  怪物たちが闇を歩むにせよ、その歩みに“理性”と“誇り”が伴うことを、私は信じたい」


 ホームズはゆっくりとうなずいた。

 闇の中でも、誰かが“見ている”。

 それが誰であろうと、戦いは近づいていた。

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