第3章 黄昏の城と不死の伯爵

 トランシルヴァニアの山間にある古城へ、馬車がたどり着いたのは日没直前のことだった。

 空には紅い雲が垂れ込め、濃霧が山道を這うように沈んでいく。

 ワトソンが扉を開けた瞬間、冷たい風がコートの裾をめくり上げた。


 「まるで、我々の訪問を拒んでいるようだな」


 そうぼやく彼に、ホームズは無言で歩を進める。

 目の前にそびえるのは、幾世紀もの時を耐えた漆黒の城――ドラキュラ伯爵の居城である。


 門扉は重々しく開かれ、蝋燭の灯りに照らされた廊下が来訪者を迎えた。

 そして、玉座の間に通された二人の前に、あの男が現れた。


 「やあ……再びの訪問、嬉しく思うよ。ロンドンの名探偵にして、理性の化身――シャーロック・ホームズ。そして忠実なる記録者、ジョン・H・ワトソン」



 漆黒のマントをまとい、血のように赤い瞳を輝かせるその姿。

 だがかつてのような敵意は感じられなかった。

 吸血鬼ドラキュラ伯爵は、荘厳な礼節をもって、かつての宿敵を迎え入れた。


 「ドラコウレス……いや、あえて今回は“ドラキュラ伯爵”と名乗るか」


 ホームズは警戒心を隠さぬまま言った。


 「必要とあらば名を変える。それが我ら“不死者”の習性でしてね」

 伯爵は軽く肩をすくめた。


 「では、真っ直ぐに話を始めよう」

 ホームズが切り込む。

 「ロンドンで起きている一連の怪異――狼男、透明人間、ミイラの復活……その背後にある“闇の連盟”に、貴殿が関わっていると私は見ている」


 ドラキュラは小さく笑い、窓の外を見やった。

 そこには闇に染まりゆく山並みと、群れをなして舞う黒い蝙蝠の影があった。


 「関わっている――否定はしない。

  だが、私はむしろ“連盟の内側での平和的調停役”であることを理解していただきたい。

  我ら怪異は今や岐路に立っているのだ。

  地底に眠るもの、冷気に紛れるもの、月夜に吠えるもの、そして人の眼に映らぬもの……

  それぞれが、生き残りの道を模索している」


 「模索……とは具体的に?」


 「我らがこの世に在ることを、“人間たちに知られずに存続する”か――

  あるいは、“共に歩む”か。

  連盟内部でも意見は分かれている。

  進化を志す者、破壊を望む者、従属を是とする者……

  我々は一致団結などしていない。

  むしろ、“闇の連盟”は今、きしみをあげている」


 ホームズは静かに目を細めた。


 「ではその“きしみ”が、ロンドンでの連続怪異となって現れている――?」


 「察しが早い。

  貴殿の言う通り、連盟の外縁にいる者たちが、“試し”を行っているのかもしれない」


 その言葉に、ワトソンの背筋がぞくりとした。


 「では、我々を招いた目的は?」


 ドラキュラは、静かに歩き出し、重い扉を開いた。

 そこには大広間が広がり、燭台の下に設えられた円卓があった。


 「――“同盟の中核”が、間もなくここに集う。

  我々は運命を決しなければならない。

  このまま連盟を維持するのか、それとも……分裂するか」



 円卓には、奇怪で異質な存在たちが次々と姿を現した。


 まず現れたのは、全身を黒い包帯で覆ったミイラだった。

 その歩みは重く、古代の呪術の名残をまとっていた。

 続いて、山犬のような顔を持つ大柄な男――狼男――が、低く唸りながら座についた。

 深きものの代表として現れたのは、銀の鱗に覆われた半魚人。

 湿った匂いとともに、暗闇から現れたその姿に、ワトソンは喉を鳴らした。


 「……あれが、“海から来るもの”」


 だが、席の一つだけが空いたままだった。


 「透明人間グリフィンがまだ来ていないのか?」

 ホームズが問うと、ドラキュラは静かに首を振った。


 「彼は“見えていないだけ”かもしれない。

  常にその気配はある。だが……近ごろ、彼の動きは読めなくなっている」



 その瞬間、円卓の中心に置かれた燭台が、音もなく揺れた。

 何者かが風もないのに通ったのだ。


 「――彼はここにいる」


 ホームズの声は、確信に満ちていた。


 だが次の瞬間、ミイラの首筋に閃光が走った。

 何者かが、見えざる刃で襲いかかったのだ。

 反射的に狼男が咆哮し、半魚人が立ち上がる。会議の場は一瞬で緊張に包まれた。


 「やめろ!! ここは“闇の連盟”の議場だ!!」

 ドラキュラの怒声が響く。


 そして、空いた席の前にぽつりと血の滴が落ちた。

 透明人間が、その存在を告げる唯一の痕跡を残したのだ。


 「貴様か、グリフィン……! なぜこの場で――」


 ホームズが席を離れようとしたとき、空中から声が落ちた。


 「議会など幻想だ。

  我々は、“人間の道徳”など継ぐべきではない。

  進化とは、選ばれた存在による淘汰だ。

  私は、すべてを終わらせるつもりだ……この手で」


 グリフィンの声は、そこにいる全員を震えさせた。


 「進化……?」

 ホームズが目を細めた。

 「では、お前の背後にいるのは誰だ? この思想を吹き込んだのは」


 返答はなかった。だがホームズの中では、ある“人物”の影が輪郭を持ち始めていた。

 ――モリアーティ。

 あの男が、怪異たちの進化を“計算式”に落とし込んでいるとすれば……。


 ドラキュラは唇を噛んだ。


 「グリフィンはもう、我々の仲間ではないのかもしれない」


 ホームズは、円卓に視線を戻した。


 「だが、ここに集った者たちにはまだ“意志”がある。

  ならば我々は、選ばなければならない。

  破壊に飲まれるか、それとも“闇の中の理性”を信じるか」


 誰も言葉を返さなかった。

 ただ、蝋燭の炎だけが、長い夜の終わりを告げるように揺れていた。

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