第8話

 文化祭前日。


 放課後の校舎は、いつもの静けさと打って変わって、ざわめきに満ちていた。

 廊下には出し物の準備をする生徒たちの声、ペンキの匂い、装飾の紙片――

 そのすべてが、明日への期待を煽ってくる。


 だが俺にとって、それは**「試練の始まり」**でもあった。


 なぜなら――


「相原くん、明日の午前は私たちのクラスの“執事カフェ”でバイトね!絶対来てよ!」


「午後は、文実主催の“理想の彼氏コンテスト”に出てもらうことになっているわ」


「その合間には、衣装展示ブースで“モデル写真展”やるからね。

 わたしが撮った写真、真斗の笑顔だけで構成してあるから!」


 そう。3人のヒロインたちが、それぞれの分野で「俺の理想像」をプロデュースし始めたのだ。


 朱莉はギャルらしく、**映える×萌える“執事カフェ”**を展開。

 澪は生徒会主導で、**公式イベント「理想の彼氏コンテスト」を運営。

 こはるは読モとしての感性を活かし、「理想の恋人ビジュアル展」**を開催。


 そして、すべてに俺が関係している。


 


 ──文化祭当日。


「――いらっしゃいませ、お嬢さま♡」


 ……俺の口から、そんなセリフが飛び出す日が来るとは思わなかった。


 クラスの執事カフェ。

 制服は黒のベストに白のワイシャツ、蝶ネクタイ。

 俺は朱莉が考案した“無口で優しい寡黙執事”というコンセプトで働かされていた。


「さすが真斗、セリフ棒読みなのが逆にキュン……!って感じ出てる!」


「何そのギャップ、最高……!」


 女子客たちはなぜか沸いていた。

 横で朱莉がウィンクしてくる。


「さすが、うちの“理想彼氏執事”。

 うちのクラス、来場者数ランキング1位狙えるって!」


「……俺の意思はどこに」


「ないよ?」


 キッパリ言うな。


 でも、どこか楽しそうな朱莉を見て、

 俺も少しだけ、笑ってしまった。


 


 そして午後――

 澪が仕切る、“理想の彼氏コンテスト”の本番が始まる。


 体育館ステージの控室で、俺は着替えをしていた。


「あなたには、“普通の服”で出てもらうわ」


「えっ、他の参加者は衣装とか着てるんじゃ……?」


「そう。でも、私は“素のあなた”で勝てると思ってる」


 そう言って、澪は俺に手鏡を差し出した。


「あなたは、自分では気づいていないのかもしれないけど……

 誰かの目には、もうとっくに“理想”なのよ」


「……それ、どういう」


「私も……その“誰か”の一人、ってこと」


 その言葉を残して、澪は控室を出ていった。


 心臓が、また少しだけ速くなる。


 


 舞台袖。

 俺の名前が呼ばれる。


 観客席は、生徒でぎっしり。

 壇上には、すでに何人もの“候補男子”が並んでいた。


 モデル系、スポーツ系、塩顔・甘顔。

 だが、俺だけが“地味な制服姿”だった。


 マイクを渡され、司会が言う。


「では、相原くん。“理想の彼氏とは何か”について、一言お願いします」


 ――そんなの、わからない。


 でも、今までの日々が脳裏をよぎった。

 朱莉の朝ごはん、澪のノート、こはるの写真。


 俺の“理想”は、きっと――


「……誰かが困ってたら、放っておけないこと。

 嬉しいとき、一緒に笑ってくれること。

 黙っていても、隣にいてくれること。

 ……俺は、そんな人になりたいと思ってるだけです」


 一瞬の静寂。


 ……そして、歓声が湧き起こった。


 


 夜、文化祭の閉会式が終わって――

 体育館の裏、裏庭のベンチで、一人のんびりしていると。


「やっぱり、ここにいた」


 朱莉だった。

 その後ろには澪とこはるも。


「ステージの相原くん、めっちゃ格好よかった。

 ねえ、今の気分、聞いてもいい?」


 俺は、ゆっくりと目を閉じて、言った。


「……“理想の彼氏”って呼ばれるの、少しだけ慣れてきた。

 でも本当は、ただ――

 “好きな人にだけ、かっこいいと思ってもらえたら、それでいい”って思ってる」


 3人が、一瞬で黙った。


 その沈黙の中で、誰からともなく小さな笑みがこぼれた。


「そっか。じゃあ……私、これからも見てていい?」


「……私も、見てたいわ」


「ずっと……隣で、見てるからね」


 ――そして、物語は次の章へ。


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