第2話-3 揺れるブランコ
木曜日の放課後。
カラン、と乾いたプラスチックの音が響く。
Jリーグのマスコットキャラクターが二つ、頼りなげに揺れている。
一つは高梨沙耶の黒いリュックのファスナー、もう一つは、小野寺美咲のブルーのスクールトートの取っ手。中学時代にお揃いで買った、小さなキーホルダー。楽しかった日々の記憶が詰まったものだ。
あの日と同じように、沙耶は美咲と二人、夕暮れの帰り道を歩いていた。並んで歩く肩と肩の間には、言葉にならない感情が澱のように溜まっている。
サッカーを失って以来、二人の間にはいつも、慰めとも諦めともつかない、静かな空気が流れていた。
だが、今日の沙耶は少し違った。
時折、遠くを見るような瞳をする。
唇をきつく結んだかと思えば、ふっと誰にも聞こえないようなため息をつく。
その横顔の微細な変化を、美咲は見逃さなかった。
いつもなら黙って通り過ぎる、住宅街の小さな公園。美咲は、不意に足を止めた。
「ねえ、沙耶」
呼びかけると、沙耶は少し驚いたように足を止め、ゆっくりと振り返る。
「昨日……あの子たちの練習、見てたでしょ」
沙耶の肩が一瞬、見えない糸で引かれたように強張る。
だが、すぐに平静を装い、視線を逸らした。
「……たまたま、通りかかっただけ」
その声は、いつもより少しだけ硬く、早口だった。
「嘘」
美咲は、静かに首を横に振った。
「あそこ、私たちの帰り道じゃないもん」
その言葉に、沙耶は何も言い返せなかった。美咲のこういうところを、沙耶は知っている。普段はおっとりしているように見えて、人のことは驚くほど細部まで見ているのだ。ごまかしは、効かない。
二人はどちらからともなく、公園のブランコに吸い寄せられた。ギ、と錆の軋む音が、夕闇に吸い込まれていく。
「……やめなよ、もう」
先に沈黙を破ったのは、美咲だった。ブランコを揺らさず、ただじっと正面を見つめている。
「え……?」
「あの子たちに関わるの、やめなって言ってるの」
美咲の声は、静かだが、有無を言わせぬ響きを持っていた。
「沙耶が、何を考えてるか知らないけど……また、同じことになったらどうするの。あんな沙耶を、私はもう見たくない」
その声が、微かに震えていることに沙耶は気づいた。
中学最後の試合に敗れ、沙耶が傷つく姿を、誰よりも近くで見ていたのは、美咲だ。
「……別に、何も考えてない」
沙耶は、吐き捨てるように言った。ブランコの鎖を握る指先に、力がこもる。
「あれはただのボール遊び。見ててイライラするだけ。私があんなのに、関わるわけないでしょ」
その言葉とは裏腹に、沙耶の瞳は揺れていた。夕暮れの淡い光を受けて、その葛藤がガラス玉のように透けて見える。
美咲は、その瞳をまっすぐに見つめ返した。そして、痛みをこらえるように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「……嘘つき」
その一言が、二人の間に見えない亀裂を入れた。
「沙耶は、昔からそう。本当に大事なことは、一人で抱え込む。でも、もうやめてよ。私……もう、沙耶が一人で泣いてるの、見たくない……」
声が、涙で滲んでいく。
その涙が、今の沙耶には何よりも重かった。この優しさが、自分を縛り付ける鎖のように感じられた。これ以上、この子を自分の迷いに付き合わせるべきではない。
「……大きなお世話」
沙耶の声は、凍てつくように冷たかった。
「私のことは、私が決める」
そう言って、沙耶はゆっくりとブランコから立ち上がった。振り返らず、公園の出口へ向かう。
「沙耶……!」
美咲が呼び止める声が背中に刺さる。けれど、沙耶は足を止めなかった。止まってしまえば、きっとこの優しい親友に甘えてしまうから。
一人、公園に残された美咲の後ろで、空になったブランコが、ギ、ギ、と虚しく揺れている。やがてその揺れも止まり、完全な静寂が訪れた時、美咲の瞳から、こらえきれなかった一筋の涙が頬を伝った。
街灯が、長く伸びた沙耶の影を地面に映し出す。その影は、ひどく孤独に見えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます