第12話

 それは、突然だった。


「桐谷、ちょっと職員室な。進路希望の件で」


 そう言われて呼ばれた先で、担任から手渡された一通の封筒。


 その中には――

 “転校”の文字が書かれていた。


「親御さんから先に連絡があってね。仕事の関係で、6月中旬にまた引っ越しになるって」


 ――また、か。


 心のどこかで、薄々分かっていたことだった。

 俺の親は転勤族で、これまでも何度も“出発”を繰り返してきた。


 でも、今回は違った。


 今の俺には、ようやく“好きな人”ができて。

 ようやく、誰かとちゃんと“向き合う”ことを選んだばかりだった。


「……それ、もう決まってるんですか」


「お父さんの転勤は確定らしい。お母さんは残ることもできるけど……君自身は、どっちに?」


「…………」


 俺は、答えられなかった。


 夕暮れの中庭。

 教室に戻らず、俺はひとりベンチに座っていた。


 手の中には、くしゃくしゃになった転校通知の紙。


 考えたくなかった。

 だけど、逃げることもできなかった。


(また、離れるのか……)


 ようやく居場所ができたと思ったのに。


 あのツンツンしてた副会長が、笑ってくれるようになったのに。


 ――そのとき。


「……そこ、座っていい?」


 聞き慣れた声。

 見上げると、制服のブレザーを脱いだ澪が、夕陽に照らされて立っていた。


「……どうしたんだ。今日は生徒会?」


「キャンセル。……なんか、そんな気分じゃなくなって」


 澪は静かに隣に座る。


 俺の手元の紙を、ちらっと見た。


「……それ、転校通知でしょ」


「……見えてたか」


「うん。今日の帰り、職員室で先生が封筒整理してるの、見たから」


「……そっか」


 沈黙が落ちる。


 風が木々を揺らし、落ち葉が二人の間をひらひらと舞った。


 澪はしばらく黙っていたが、ぽつりと呟いた。


「正直……もう慣れてたのよ、誰かがいなくなるのなんて。

 でも、今度ばかりは、ダメみたい」


「……澪」


「わたし、あんたのこと、“好き”ってちゃんと言ったばかりなのに。

 やっと、やっと向き合えたのに」


 その声は、震えていた。


「なんで、そんなタイミングで……!」


 気がつけば、澪は拳をぎゅっと握りしめ、肩を震わせていた。


「不公平よ。あたしばっかり、好きになって、やっと伝えて、やっともらった言葉なのに。

 また、置いていくの……?」


 俺は何も言えなかった。


 何を言っても、彼女のその涙に敵う言葉が見つからなかった。


 だから――


「……置いていくつもりなんて、ないよ」


「……え?」


「まだ、何も決めてない。俺は……ここに残る方法を考えたいって、そう思ってる」


 紙を見つめながら、ゆっくりと告げた。


「きっと、簡単なことじゃない。親にも反対されるだろうし、俺自身も不安だ」


「……」


「でも――俺はもう、何も持たずにまた去るのは嫌なんだ。

 俺がここにいてもいいって思えたのは、澪……お前が、ここにいてくれたからだ」


 澪の目が、ゆっくりとこちらに向けられる。


「だから、俺は選びたい。“誰かの決定”に従うんじゃなく、自分で、ここにいたいって」


「……ほんと、バカよね」


「自分でも思うよ」


「でも、そんなバカに……わたしは、惚れたんだもん。……しょうがないじゃない」


 そう言って、彼女は涙をぬぐい、にっこりと微笑んだ。


 それは、これまでで一番素直で、一番やさしい笑顔だった。


 次の日。


 俺は初めて、親に「ここに残りたい」と言った。

 親は驚いていたが、真剣に話を聞いてくれた。


 まだ答えは出ない。

 けれど、自分で道を選ぶための一歩を、ようやく踏み出せた気がした。

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