第13話

 6月の風は、どこか湿っていて、夏の気配を孕んでいた。


 期末テストが終わり、教室が少しだけ緩んだ空気に包まれる中、

 俺は、窓際の席から校庭を見つめていた。


 今のところ、**俺の転校は“保留”**になっている。

 親は検討してくれると言ってくれた。だけど、あくまで“前向きな保留”だ。


 まだ、何一つ確かなことは決まっていない。


 それでも。


 あの日、自分の気持ちを選んだことに、俺は後悔していなかった。


 そして、その選択は、きっと彼女にも届いていた――そう思いたかった。


「……桐谷」


 聞き慣れた声に振り返ると、制服のスカートを少しだけ揺らしながら、雪城澪が立っていた。


 いつものようにツンとした顔。でも、目元は柔らかい。


「放課後、ちょっと屋上、来なさい。命令よ」


「また命令かよ……」


「たまには従ってみなさい」


「……はいはい」


 俺は、かすかに笑いながら席を立った。


 屋上には、ほのかに夕陽が差し込んでいた。

 風が吹くたびに、制服の袖が揺れる。


 フェンスにもたれかかりながら、澪は俺の方を見ずに口を開いた。


「……聞いたわよ。転校、まだ確定じゃないって」


「うん。……でも、どうなるかは、まだ分かんない」


「そう」


「それで、呼び出しって……」


「ちょっと、言っておきたいことがあるの」


 そう言って、澪は俺の正面に立つ。

 風に揺れる黒髪が、陽の光を受けてきらめいていた。


「もし、またあんたがいなくなったとしても……わたし、ちゃんと笑って送り出すわ」


「……」


「泣かない。責めない。引き止めない」


「……どうして」


「だって、それが“好きな人にしてあげられる、最後の優しさ”でしょ」


 その言葉に、胸が締め付けられた。


 澪は、もう覚悟を決めていた。

 俺のことを、本当に好きだからこそ――俺の選択を、受け入れようとしていた。


「……でも、ほんとは言いたいことがたくさんある」


 澪は拳を握る。


「あんたともっと一緒にいたい。もっとバカみたいなやり取りしたいし、お弁当も作ってあげたい。

 体育祭だけじゃなくて、文化祭も、クリスマスも、バレンタインも、ぜんぶ……あんたと過ごしたいって、思ってる」


 それは、叫ぶような、祈るような声だった。


「なのに、どうして“好き”って気持ちって、叶わない形になるの?」


 目に涙を浮かべながら、それでも強がって笑おうとする彼女に、

 俺は、黙って歩み寄った。


「……なに、近づいて――」


 その手を、そっと握る。


「ごめん。――好きになって、ごめん。こんな不確かな俺で、ごめん」


「……!」


「でも……好きになって、ほんとによかったって思ってる。お前がいてくれたから、変われたから」


 俺は澪の手を、もう片方の手で優しく包んだ。


「たとえ俺がいなくなっても、俺の中には、お前が残り続ける。

 だから――もし、お前の中にも、俺が残ってくれたら、それで十分だって思えるよ」


 澪は、ぽろぽろと涙をこぼしながら、うなずいた。


「……バカ」


「うん、バカだよ」


「でも、バカだけど、優しいとこ……ずるいのよ」


「ありがとう、澪」


 夕焼けの光の中、俺たちはしばらく何も言わずに、ただ手をつないでいた。


 そして――後日。


 俺は、転校を“見送る”ことになった。

 親が仕事先へ単身で行き、俺は母とこのまま残るという決断に、最終的に落ち着いた。


「桐谷。これからも監視するから、覚悟しておきなさいよ」


「またそれかよ……」


「ふふん。だって、あんたのこと好きにならないからね、って言ってたのよ? わたし」


「だいぶ好きになってるけどな、もう」


「……なっ、こ、こら、そういうこと突然言うんじゃないわよ!」


「でも、ありがとうな。……好きになってくれて」


「……うるさいバカ。大好きよ」


【エピローグ的なモノローグ】

 “この恋には、終わりがあるかもしれない”

 そんな不安が、ずっと頭にあった。


 でも、俺たちは知ってしまった。


 たとえ未来がどうなっても、

 “いまこの瞬間だけは、確かな気持ちで結ばれている”ってことを。


 だから――この恋は終わらない。


 いつかまた、離れる日が来ても。

 きっと俺は、彼女にまた会いに行く。

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「あんたのこと好きにならないからね!」って言ったツンデレが落ちた日 赤いシャボン玉 @nene-kioku

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