第11話

 体育祭が終わった日。

 校舎に戻ってきた俺は、まだグラウンドの喧騒が耳に残る中、ひとり下駄箱の前に立っていた。


「……終わった、な」


 長いようで短かったこの数週間。

 最初はただ、目立たず静かに過ごすつもりだった。

 それなのに――今の俺の周囲には、明らかに何かが動いてしまった空気が漂っている。


 白河天音。

 昔の幼なじみで、明るくて、可愛くて、でもどこか切なげな表情を見せる子。


 雪城澪。

 完璧主義でツンツンしてるけど、時々、とても脆くて。素直になろうとしてくれた、不器用な子。


 二人から告白を受けた俺は、どちらの手も、まだ掴めていなかった。


 いや――どちらの手も、離すことができないまま、立ち止まっていた。


 次の日の放課後、俺は中庭のベンチに座っていた。


 足元には落ち葉。空は淡い夕焼けに染まり始めている。


 そこへ、コツコツと軽快な足音が近づいてきた。


「やっぱり、ここにいた」


 声をかけてきたのは、白河天音だった。


「帰り道、探しちゃった。蒼真くんって、ひとりで考えごとするとき、絶対ここ来るよね」


「……昔から変わらないってことか?」


「うん。安心した」


 彼女は俺の隣に腰を下ろし、足をぶらぶらさせながら笑った。


「……ごめんな、天音」


「ううん。謝らないで」


 天音は、柔らかい口調で言った。


「この前、わたし、ちゃんと“好き”って言ったじゃん?」


「ああ……言ってくれたな」


「でもね、蒼真くんの中には、もう誰かがいるって、ちゃんと気づいてた」


 俺は、返す言葉を持たなかった。


「澪ちゃんのこと、好きなんでしょ?」


「……正直、まだよく分かんない。でも――あいつの言葉に、心が動いたのは本当だ」


 天音は、小さく「ふふっ」と笑った。


「そっか。ならいいの」


「……いいのか?」


「もちろん、悔しいよ? でも、あのときの気持ちを嘘にしたくなかったし、伝えられたことに後悔はないの」


 そう言って、天音はポケットから小さなキャンディを取り出した。


「これ、昔あげたことあったでしょ? “寂しいとき舐めなよ”って」


「……あったな。あのとき、泣いてた俺にくれたやつだ」


「今度はあげないよ?」


「え?」


「今の蒼真くんは、もう泣かないでしょ。……ちゃんと、自分で選べるんだもん」


 笑顔で言う天音は、少しだけ涙を堪えていた。


「じゃあね。……たまには、お弁当くらい作ってあげてもいいけど?」


「それ、脈アリなセリフすぎるだろ……」


「じゃあ保留で♡」


 最後まで天音は、“自分らしさ”を崩さずに去っていった。


 俺の胸には、あたたかくて、でも少しだけ痛い余韻が残った。


 そして、翌日の昼休み。


「……来たわね」


 俺の前に座ったのは、雪城澪だった。


 いつものように、お弁当を机に置き、箸を出す。


「……なんか、久しぶりな感じだな」


「そうね。……昨日は、いなかったから」


「……ごめん」


「別に。あんたが、誰と何を話してたか、なんて気にしてないし」


「嘘が下手だな、澪は」


「う、うるさい!」


 頬を膨らませる彼女の表情が、懐かしくて愛しかった。


 そして、俺は静かに言葉を継いだ。


「澪。……話がある」


「……!」


 箸を止めた彼女が、ゆっくりとこちらを見る。


 その目は、真剣だった。


「俺、ずっと考えてた。澪のこと、天音のこと。自分のこと」


「……」


「最初は、誰にも深入りしないようにしてた。どうせ転校して、離れるって思ってたから。

 でも、そんな俺に、無理やり踏み込んできたのが、澪だった」


「っ……」


「正直、最初はウザかった。監視とか言って、つきまとって、ツンツンして」


「言いすぎじゃない!? 今告白してる途中でしょ、あんた!!」


「……でも、それが嬉しかった。毎日が楽しくなってた。

 一緒に歩いたり、喧嘩したり、バンドで足くくったり――。全部、全部が楽しかった」


「……!」


 俺は、はっきりと言った。


「俺、澪のことが好きだ」


「…………」


 澪は、口を開きかけて――それをぎゅっと結び、頷いた。


「……バカ」


「うん」


「最後まで言わせなさいよ、もう」


「じゃあ、もう一回言おうか?」


「いらないわよ、二回目は照れくさいもの」


 そう言って、澪は顔を真っ赤にしながら、でも確かに笑っていた。


 ――それは、ツンデレ副会長の“本心”だった。

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