第10話

 蒼く澄んだ空に、赤と白の旗が交差して揺れている。

 5月の風は心地よく、けれどどこか緊張をはらんでいた。


「さて……始まるな、体育祭」


 校庭の一角、クラスで割り振られたテントの下。

 俺は自分のゼッケンをつけ直しながら、周囲を見渡していた。


 グラウンドは、赤組と白組の応援でにぎやかだ。

 誰もが笑顔で、熱気に満ちている。


 けれど――

 俺の中には、妙な不安が渦巻いていた。


「蒼真く〜ん♪」


 元気な声と共に、ぴょこっと顔を出したのは天音。

 今日はツインテールにしていて、いつもより可愛らしさが前に出ている。


「おそろいだね、ゼッケン」


「……ああ、赤組、だな」


「うんっ。バトンパス、絶対成功させようね。わたし、ちゃんと練習してきたから!」


「……あのさ、昨日のこと」


「ふふっ、それ、今ここで言う?」


 天音は微笑む。けれど、その目はまっすぐだった。


「蒼真くんが、どんな答えを出すとしても。――わたし、後悔しないから」


 その言葉を聞いた瞬間、俺は、言葉を失った。


 それは天音なりの、戦う覚悟だった。


 ――そして。


「……遅れてごめんなさい」


 少し遅れて到着した澪が、息を整えながらテントにやってきた。

 普段の副会長然とした凛とした雰囲気ではなく、どこか浮かない顔をしていた。


「雪城……」


「……昨日、行けなくてごめん」


「いや、俺の方こそ。何も言わずに――」


「いいのよ。それより」


 澪は、ぎゅっと拳を握る。


「わたし、今日はちゃんと“勝ち”に行くから」


「……勝ちって、競技の話?」


 その問いに、彼女は首を横に振った。


「“全部”よ」


 その目には、確かな覚悟があった。


 午前中の競技が進み、いよいよ午後。


 リレー直前、グラウンドの横に天音が立っていた。

 俺は、第2走者。天音が第1走者。

 彼女は俺の前に立ち、バトンを手に取る。


「蒼真くん、いくよ」


「ああ、頼んだ」


 ピストルの音と共に、一斉に走り出す選手たち。


 天音のフォームは美しく、スピードも申し分ない。

 その走りは、どこまでもまっすぐで、まるで――想いをぶつけるようだった。


 バトンパスの瞬間。

 彼女の手から渡されたバトンは、しっかりと俺の手の中に収まった。


「いってらっしゃい、蒼真くん」


 そう言った彼女の笑顔は、少しだけ涙を堪えているように見えた。


 そして、午後の最後の種目。


 俺と澪の出番――二人三脚リレーが始まる。


「……準備、いい?」


「おう。昨日、練習できなかったけど……大丈夫だろ?」


「ええ。もう、合わせる気満々よ」


 澪がそっと、足のバンドを締める。

 それだけで、俺の心臓がどくりと鳴った。


「スタート位置に立って」


 副会長らしく、落ち着いた指示――のはずなのに、どこか、指先が震えていた。


「よーい、スタート!」


 ピストルの音。俺たちは、バンドのつながれた足で一歩ずつ、着実に進んでいく。


「右、左……! 澪、いい感じだ!」


「ふふっ、当然でしょ」


 周囲の声援が遠のいていく。

 俺たちの中には、ただお互いの呼吸と、足音だけが響いていた。


「……ねぇ、桐谷」


「ん?」


「わたし、ずっと考えてたの。なんであんたが、わたしの中でこんなにも大きくなったのか」


「それって――」


「黙って聞いて」


 澪の横顔は、真剣そのものだった。


「最初は“興味”だった。無気力で、無関心で、なんか放っておけなかった」


「……」


「でも気づいたの。わたし、あんたの言葉に、一喜一憂してる。

 あんたと歩幅が合っただけで、嬉しくなってた」


 目線が、俺に重なる。


「――好きよ、桐谷。わたし、あんたのことが、好き」


 バンドで結ばれた足以上に、

 その瞬間、俺たちの心が確かにつながった気がした。


 全速力でゴールに向かう。

 その間、何も言えなかった。ただ、彼女の告白が頭の中でリフレインしていた。


 ゴールした瞬間、歓声が響く。


 勝ったとか、負けたとか――そのときの俺には、どうでもよかった。


 ただ。


 走り終えた澪が、俺の腕をぎゅっと掴んで言った。


「答えは、急がなくていい。でも――ちゃんと、向き合って。わたしの気持ちに」


 それだけ言って、彼女は俺から顔をそむけた。


 少しだけ、耳が赤くなっていた。


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