第9話
翌日の昼休み。
俺はいつも通り教室の隅で弁当の包みを広げていた――はずだった。
「……今日は来ないのかな、雪城」
目の前に、ぽつんとひとつ分の席。
昨日までは、ツンツンしながらも隣に座ってきた澪が、今日は見当たらない。
思い返せば、昨日の帰り道。
天音とのやり取りに、彼女は明らかに不機嫌になって、途中で帰ってしまった。
(……やっぱ怒ってるよな)
何が地雷だったのかは、正直わからない。
けど――
あのときの“寂しそうな後ろ姿”が、どうしても頭から離れなかった。
考えすぎだろうか。
でも、彼女はあのとき、俺じゃなくて“天音”を見ていた。
「ねぇ、蒼真くん。今日、お昼一緒に食べない?」
不意に差し出されたのは、いつかと同じチェック柄の弁当包み。
その手の主は、もちろん――白河天音。
「……ああ、いいよ」
俺は、少し迷ってから、静かにうなずいた。
中庭のベンチ。
澪の姿はここにもなかった。
「珍しいね、雪城さんと一緒じゃないなんて」
「……向こうから来なかったんだよ」
「ふぅん……“来なかった”のと、“来れなかった”の、どっちなんだろうね」
意味深なことを言いながら、天音は膝にお弁当を置いてふたを開けた。
彩り豊かなおかずがきれいに並んでいる。玉子焼き、からあげ、ウインナー。
定番のラインナップ。でも、どれもきっちり作られていて――
「うまそうだな」
「でしょ〜? ほら、食べさせてあげよっか?」
「いや、自分で食うから……」
笑いながら、からあげを引っ込める天音。
けれどその目は、どこか切なげだった。
「……蒼真くん。いま、誰のこと考えてた?」
「え?」
「ううん、いいの。なんとなく、わかっちゃったから」
そう言って、彼女は視線をそらした。
風が吹いて、天音の髪がさらりと揺れる。
「ねぇ。昔の話、覚えてる?」
「またか。小1の“お嫁さん”の話か?」
「ううん。ちがうの」
天音の声が、すっと静かになる。
「小6の卒業式の日、わたし、体育館の裏に呼び出したんだよ。蒼真くんを」
「え……?」
「“中学に行っても、ずっと一緒にいようね”って。……あれ、覚えてない?」
心臓が、小さく跳ねた。
「……いや、ごめん。覚えてない。たぶん、引っ越しでバタバタしてて……」
「うん、そうだよね。あのときの蒼真くん、急にいなくなっちゃったもん」
天音は、寂しげに笑った。
「……でもね、ずっと思ってたの。“あのときちゃんと伝えてたら、何か変わったのかな”って」
「伝えてたら、って……」
「――“好き”ってこと、ちゃんと」
その瞬間、時が止まったような気がした。
天音は、俺の目を見ていた。
真剣で、まっすぐで、まるで逃げ道を塞ぐように。
「……いまじゃ、遅いかな?」
その問いに、俺は何も答えられなかった。
頭が追いつかなかった。
天音のことは、大切だ。
でも、いま、俺の心に浮かぶのは――
教室の窓側で頬を膨らませながら弁当をつついていた誰かだった。
「……ごめん」
俺がようやく絞り出した言葉に、天音はゆっくりと、かぶりを振った。
「ううん。謝るのは違うよ。答えを急かすつもりもなかったし……ただ、伝えたかっただけ」
そう言って、天音は立ち上がった。
「でも、正直に言うね。――わたし、いまでも、蒼真くんのこと好きだよ」
「……っ」
それだけ言って、彼女は俺に背を向けた。
その背中を、今度は俺が、見送る番だった。
その日の放課後、俺は中庭に行った。
澪との練習は、予定されていたはずだった。
だけど、そこに彼女の姿はなかった。
代わりに残されていたのは、小さな紙袋。
中には、包まれたバンドと、シンプルな手書きのメモ。
「今日は用事で行けません。明日から、ちゃんと練習するから。
それと……バカ。――雪城 澪」
文字が、少し震えていた。
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