第8話

 夕陽が傾いた帰り道。

 俺と雪城澪は、まだ少し足に違和感を残しながら、並んで歩いていた。


 二人三脚の練習は、思ったよりも順調だった。

 最初はあんなに息が合わなかったのに、今では何度も息を合わせて、歩幅すら自然に揃ってきた。


「……楽しかったわね、今日」


 澪がぽつりとつぶやく。

 その声は、いつもの“命令口調”でも“強がり”でもなく――ほんの少しだけ、柔らかい。


「意外だったな。副会長でも、あんなふうにドジることあるんだなって」


「うるさいわね。あれは……芝生が滑りやすかっただけよ。そもそも、あんたがちゃんとバランス取らないから!」


「はいはい、そういうことにしておきます」


「なによその“はいはい”! むかつくわねっ!」


 笑い混じりのツッコミが飛んでくる。

 けど、その表情には、どこか照れが混じっていた。


 俺たちは並んで、校門を抜け、駅前の通学路を歩いていた。

 少しだけ、肌寒い春風が吹いていたが――


 この空気だけは、ほんのりあたたかかった。


 けれど、その時間は――長くは続かなかった。


「……あ〜、やっぱりいた♪」


 高くて柔らかい声が、俺たちの背後から響いた。


 振り返ると、栗色のショートヘアをなびかせながら、制服のスカートをひらひらさせて駆け寄ってくる影。


 ――白河天音。


「帰り、いっしょにしよ? 蒼真くん♡」


 にこにことした笑顔で、当然のように俺の左側にぴったりと並ぶ。


 右には澪。左には天音。


 サンドイッチ地獄、完成。


「天音、お前……どうしてここに」


「ふふん、わたしの帰り道、こっちなんだよ? 偶然だよ偶然〜」


 絶対うそだろ。


 そんな目をしていた俺に、天音はくすくすと笑いながら、言葉を重ねてくる。


「でも、いいなぁ〜。二人三脚の練習してたんだよね? すっごく楽しそうだった」


「……そう見えたのなら結構よ」


 澪がぴくりと反応する。

 目線は逸らしているが、唇がぎゅっと結ばれているのが分かる。


「ねぇねぇ、練習って、そんなにぴったりくっつくものなの? ふたりの距離感、すごく近かったよ?」


「うるさいわね……!」


 珍しく澪が、声を荒げた。


 その瞬間――周囲の空気が、少しだけピンと張り詰める。


 天音が、静かに澪の方へと視線を向ける。


「……そんなに怒らないでよ、雪城さん。わたし、ただ蒼真くんが誰と一緒にいても、仲良くしてるのを見るのが好きなだけだから」


「っ……!」


 その一言が、澪の胸を突いたのかもしれない。


 無理やり笑ってみせるように、彼女はふっと目をそらす。


「……そう。あなたには、“誰でもよく見える”のね」


「え?」


「あなたみたいな、明るくて、可愛くて、誰とでもすぐに仲良くなれる子には、きっと、誰かひとりを選ぶなんて、できないでしょうね」


「……」


「わたしは、そんな風には……できない」


 それだけ言って、彼女は一歩、俺から距離を取った。


「桐谷、先に帰るわ。明日は昼休みにまた練習。遅れたら、罰金よ」


「……あ、ああ」


 背を向けたまま、澪は振り返らなかった。


 駅へと続く道に、彼女の後ろ姿が夕陽に溶けていく。


 俺は、その背中を、しばらくの間見送っていた。


 隣で天音が、ふっと小さく笑った。


「ねぇ、蒼真くん」


「……なに」


「さっきの澪ちゃん、嫉妬してたね」


「……っ」


「ふふ……そういう顔、するんだ」


 その言葉に、俺は何も言い返せなかった。


 俺は、気づいていたのかもしれない。

 いや――気づかないふりをしていただけかもしれない。


 あのツンツンした彼女が、少しずつ少しずつ、俺に心を開いてくれていたこと。

 そして、今日の帰り道の空気が、たしかに“特別”だったこと。


 それを、邪魔された気がして。

 ……自分でも驚くくらい、胸が、ざわついていた。

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