第7話
放課後、中庭。
図書室の裏にある、小さな芝生のスペースには、ほんの少しだけ夕日が差し込んでいた。
風は心地よく、空は淡い橙色に染まっている。
――そんな穏やかな場所に、俺たちはいた。
「……本当にやるの? これ」
「当然でしょ。体育祭は目前よ。足並みを揃えるには、反復練習あるのみ!」
澪は、すでに準備万端。
何本か持参したバンドの中から、ピンク色の布バンドを取り出し、俺の足元を指差した。
「ほら、右足。くっつけるわよ」
「なんかもう、覚悟決めないとやばそうな空気だな……」
「ほら、座って」
言われるがまま、俺は芝生に腰を下ろし、彼女と右足を並べる。
近い。思ったよりも近い。
澪は少し顔を赤らめながら、器用に俺と自分の足をバンドで固定していく。
その手元は少し震えていて、目線は絶対に合わせてこなかった。
「……はい、完了。立ちなさい」
「いや、指示が厳しいよな……」
「黙って。まずはゆっくり、右足からよ」
「お、おう……せーの」
「右……っ、あ、ちょっと! 引っ張らないでよ!」
「いや、引っ張ってないだろ!? そっちが急に動いたんじゃん!」
「はぁ!? わたしは“右足から”ってちゃんと言ったし!!」
開始数秒で、壮絶な言い争いが始まった。
これは先が思いやられるな……と思いながらも、何度か繰り返すうちに、少しずつ、歩幅は合ってきた。
「せーの、右……左……」
「……せーの、右……左」
お互いの呼吸が噛み合うにつれ、ぶつかり合っていた体も、徐々に自然に寄り添っていく。
息遣いが重なり、腕と腕が触れ合う。
足を固定されているせいで、どちらかが少しでもバランスを崩せば、すぐに倒れてしまう。
だけど、不思議と怖くはなかった。
「……ふふ」
「ん?」
「なんか……変な感じね。あんなに息合わなかったのに、いまはちゃんと歩けてる」
「まぁ、そりゃあ慣れてきたってことじゃないか?」
「……そうじゃなくて」
澪はぽつりとつぶやいた。
「あなたと、歩幅が合うようになったってことが……ちょっと、嬉しいのよ」
「……」
そう言って、彼女は俺の手を、そっと握ってきた。
手と手。直接じゃない。でも、お互いの体温は、ちゃんと伝わる。
「……あ、あんたが倒れたら困るから、握ってるだけなんだからねっ!」
「はいはい、わかってますよツンデレ副会長」
「ちょっと! “ツンデレ”言うなーっ!」
彼女は顔を真っ赤にしながらも、手を離さなかった。
俺たちはそのまま、ゆっくりと中庭をぐるりと一周した。
夕日の中を、息を合わせて、たった一歩ずつ。
――そして、最後のカーブを曲がるとき。
「……ねえ、桐谷」
「ん?」
「今日だけは、その……手、離さないでよね」
「……ああ」
俺は、彼女の小さな願いに、そっとうなずいた。
ただの練習だったはずの時間が、少しずつ、“特別な記憶”に変わっていくのを、俺ははっきりと感じていた。
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