崩れる塔

昨日は寝不足だったので、部室の椅子を三つ並べ、横たわり寝てしまった。時計を見るとまだ劇までは二時間もある。そうだ、寝る前に思い付いた事を台本やセリフに起こした紙を見直そう。そう思い椅子から上半身を起こした。机の上を見る。無い!寝る前に確実にそこに置いてあった紙がいつの間にか消えている。落ち着け。別に大した問題じゃない。アイデアは頭の中にもあるのだ。何も紙が無いと実現出来ない訳じゃない。そう思い、部室を出ると壁に寄りかかりスマホをいじる隼を見つけた。イライラしていることは彼のせわしない足を見ればわかる。

「隼、どうかしたの?」

「ああ、周か。いや別に何も。」

「嘘だ。」

隼は少し嫌そうな顔をしてからこう言った。

「いや澪と待ち合わせてるんだけど、来ないんだよな。連絡もつかないし。」

「そうか。まあ劇になったら戻ってくるだろ。」

僕はその劇までの時間を適当にぶらぶらして過ごした。気付けば集合時間の一時半を過ぎていて、急いで体育館へ向かう。

「今年こそ、最優秀演劇賞とるぞ!」

到着すると、クラスメイトが隼を中心に円陣を組んでいた。そんなくだらない賞より、もっと大切な事があるだろ。

「周、おせえよ。」

「ごめん。」

脚本の僕には本番でこれといった役目はないのだが、一つだけやっておかなければならない事があった。

「は?登場人物を一人増やす?お前、正気か?あと十分で劇始まるんだぞ。」

「そんなに大きな変更じゃないよ。姫が塔から落ちる所までは同じだし。」

「第一その女役は誰がやるんだよ。急にそんな大役振られてこなせる奴がいると思うか?」

隼にここまで言われると、流石の僕も引かざるを得なかった。まあ今回のこの劇は僕の作ったものじゃない。そう思って見ることにしよう。僕は照明班と一緒にギャラリーへ上りそこで舞台の正面から立ち見することに決めた。ブーとブザーが鳴って幕が上がり、拍手が起きた。劇はリハーサル通り順調に進んだ。梓は少し緊張が伝わってきたけど、黄色いドレスを身に纏った、まさに僕の思い描いた姫像そのものだった。それにしても隼の演技が上手い。彼のようになんでも軽くこなせてしまう人はまずいないだろう。やがて劇は塔の頂上でのシーンまで来た。ここまで大きなミスは無い。しかし、問題は姫が塔から落ちるシーンだ。リハーサルでは何度もやり直していたけど、どのテイクも完璧とは言いがたいものだった。緊張からか、隣の照明長は下唇を噛んでいる。

「やだ。こっちに来ないで!」

梓の演技にも少し力が入っている。そして二人がゆっくりと塔の端へ移動する。隼が

「危ない!」

と叫んだ。その瞬間一拍置いてから隣の照明長が照明を落とす。するとすぐにヒューと風を切る音が流れ、ドサッと姫が落ちる音も流れた。まさに完璧で、阿吽の呼吸と呼ぶべきものだった。隣は嬉しさを抑えきれず笑みがこぼれてしまっている。ここからは隼が後悔じみたことを言って終わりだ。

「ああ、どうして。大人しく私の物になれば良いものを…」

隼が言ったその時、舞台袖から一人が塔の頂上へ上ってきていた。隼はそれに気が付いていない。あれは誰だ。頂上へ到達し、その人は観客席の方へ顔を向けた。澪だ!隣の照明長は目を丸くしている。梓とは対照的に緑のドレスを身に纏っている。

「私はコルドバ国の王の娘。あなた達の会話、聞かせて貰いました。」

隼は本物の幽霊を見たような顔をしている。僕はこのセリフを聞いて確信に至った。あの紙を持っていったのは澪だったのか。

「な、なんだと…。」

こんなセリフでも言えただけで凄まじい対応力だ。僕は好奇心からか、気付けば身を乗り出していた。

「あなたは本当にあの子を救いたかったのですか?」

「そ、そうだ!」

それから澪は隼の目を真っ直ぐと見つめ

「彼女を救う自分が欲しかっただけではないですか。」

と言った。隼は焦り、言葉に詰まっていた。観客からすればそれがよりリアルな演技に見えたのだろうか。

「コルドバの人を見境無く救うあなたの事をずっと思っていたのに。いつの間にか自分に酔うような人になってしまったなんて…。」

そう言いながら彼女は隼を塔から突き落とす動作をした。音声は比較的良い反応を見せた。彼が塔から落ちてから二秒ほどで効果音を出したと思う。だが隣の照明長と隼がしくじった。暗転しなければいけない所を、誤って赤色のフィルターをかけてしまった。隼は澪を避けようとして、本当に塔から落ちてしまった。ヒューという効果音が鳴っている間にドンッというなんとも鈍い音が聞こえ、幕は降りた。観客席は騒然としていて、恐らく体育館の中で僕だけが唯一笑顔だった。

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松葉あずれん @Sata_Cd

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