陽のあたる窓辺
目が覚めると、意外にもいつも通りの時間だった。
「ふう。」
昨夜はよく眠れずにベッドに入りながらセリフを暗唱していた。大丈夫、私ならやれる。家を出ると、もう九月だというのにまだ夏の暑さは残っている。遠くに分厚い積乱雲が見えた。
「おはよう。」
教室に着くと、美術班のみんなが最終確認の作業をしていた。
「梓、おはよう。」
「隼は?」
「体育館。」
「早いね。」
「照明班を仕切ってるよ。」
今回の劇の主役だと言うのに、常に全体に目を配っている。
「あ、澪。何やってるの?」
「塔の窓を描き直してる。」
それは私が塔の中に幽閉されるシーンの背景だった。澪は塔の頂上で二人が出会うシーン担当のはずだが。
「なんで?完璧だったじゃん。」
「あれは窓が下過ぎたの。閉じ込める場所なのに窓が届く位置にあったらおかしいでしょ。」
そんなのどうでも良くない?というセリフが喉まで出かかったけど
「ふーん、そっか。」
と言って私は理解してあげたような笑みを繕った。実は、澪とはこのクラスで最も古い仲なのだ。小学校の頃に、先生から
「澪ちゃんも遊びに誘ってあげて。」
と言われたので昼休みに彼女を誘った事がある。彼女は校庭にしゃがみこみ、土をじっと見つめていた。
「何してるの?」
「蟻を見てる。」
「それ楽しい?そんなことしてないで、私達と一緒に遊ぼうよ。」
そう言って私が笑うと、彼女は私の目を見つめて
「あなたこそ。周りに合わせてるだけで楽しい?」
と言ってきたのだ。彼女は意地悪や皮肉で言っているのではなく、本心なのだなと私は直感した。みんなが仲良くしているのが一番楽しいに決まってるじゃない。あの昼休みと同じように私はその場を立った。そこら中に広がっている段ボールを踏まないように教室を出て、体育館へと向かった。
「おはよう。」
「梓、おはよう。」
「隼は?」
クラスメイトは体育館のギャラリーを指差した。彼は照明の担当長と一対一で何かを話し合っていた。私が舞台袖で待機していると、隼が降りてきた。
「隼、おはよう。」
「おはよう。セリフは大丈夫?」
「…多分。」
と私が渋い顔をすると、隼は笑いながら
「本当かなあ?」
と言った。私はこの時、初めて隼の笑顔を見た。リハーサルの時間になると隼が制服姿のまま舞台へ出ていき、最初の凱旋のシーンを演じた。舞台は暗転して、美術係が背景を運ぶと私の出番だ。私は敵国であるコルドバ国の兵士に、大きな塔に閉じ込められてしまうのだ。
「ここは、どこですか?」
「いいから黙って入ってろ!」
と言い彼は乱暴に私を振り払う。上を見上げると、先週教室でやった時にはすぐそこにあった窓が、はるか上空になっている。私はそこで絶望を肌で感じた。再び舞台は暗転して、隼が仕える王様の城に背景が変わり、王様は隼に
「褒美としてトレド国の姫をやる。」
と言うのだった。それから舞台は再び塔に戻り、隼と私が始めて出会うシーンを演じた。次に、彼の自室へと背景は移る。ここからは隼一人の演技だ。私をどうしても虜にしたい彼は、私を自分の言いなりにするのではなく、塔から解放する事を思い付くのだ。それが終われば、いよいよラストである。私が階段に横たわりうとうとしていると扉が勢いよく開き、彼が入ってくる。
「姫、起きなさい。」
「きゃあ!何をするの?」
「安心しなさい。私は君を助けに来たんだ。」
「本当ですか?」
「本当だよ。私は君を解放したいんだ。まあここじゃなんだし、場所を変えようじゃないか。」
そう言って隼は私を塔の頂上へと連れていくのだ。背景の移動が終わると舞台は明転する。隼が出掛ける頃にはまだ暗かったが、あたりは既にオレンジがかっている。
「どうして、私を助けてくれるの?」
「僕は君と、対等な関係になりたいんだ。僕は君以外なら何を失おうと惜しまない。だから僕と遠くへ逃げよう。」
真っ直ぐ私の目を見つめそう言う隼にこんな言葉を返すのは、演技でも胸が痛んだ。
「ありがとう。…でも私、あなたの事を、深く愛せるかしら。」
すると隼は少し狼狽えて
「どういう意味だい?」
と尋ねるのだ。
「私、あなたと一生を添い遂げる自信が無いわ。」
すると隼は私の両肩を掴み、こう言うのだった。
「どうして。私は君をどうすることも出来るんだぞ!私は君と対等になってやると言うのに!」
迫真の演技に本気で怖じ気づいてしまう。
「やだ。こっちに来ないで!」
彼を恐れ、私は少しずつ後退りをする。彼も少しずつ私と距離を詰める。私達は目を見て、タイミングを合わせる。彼が
「危ない!」
と叫ぶのを合図に舞台が暗転すると同時に、ヒューと風を切る音、しばらくしてドサッと地面に落ちる音が流れる…はずだった。しかし、照明と音声のタイミングが絶望的に外れていた。その後も何度かこのシーンを繰り返すも、上手くタイミングが合うのは良くて三回に一回だった。隼が
「とりあえず、次で最後までやりきろう。」
と言うので私は舞台が暗転した隙に、そそくさと舞台袖へ入った。ここからは再び隼一人の演技である。
「ああ、どうして。大人しく私の物になれば良いものを…。どうして…。」
暗転し、幕が降りるとパラパラと安い拍手が起こった。
「お疲れ様ー。梓ってやっぱり、演技センスあるよね。すっごく上手だったよ。」
クラスメイトにそう言われると、お世辞でも嬉しいものだ。
「本当?ありがとう。」
舞台袖を進むと、端に置かれた汚い机の上でものを書く周を見つけた。
「まだ書いてるの?」
私は出来るだけ、彼の要望に沿うようにしている。気付けば髪型や趣味も、彼の望むものになっていた。
「あ。」
と彼は声を漏らし、原稿用紙を持って体育館を飛び出していった。袖から舞台を降りると、体育館の隅で照明長と音声長の三人で話し合っている隼の姿を見つけた。話しかけるのは申し訳ないかなと思いつつ横を通ると
「梓、良かったよ。本番もこの調子で。」
と向こうから声をかけてくれた。
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