第2話

「俺は別に、尚也にまで同行してもらおうとは思ってなかったんだ」

 マンションの下で待機していたのは特大のキャンピングカー。内部はかなり広いつくりになっていて三人がゆったり並んで座る事ができた。

 文の膝の上には移動用のかごに入れられたギンちゃん。

「俺に知られると困るような事してるんですか?」

 尚也が冷たく言う。彼は車を見たとたんますます機嫌が悪くなっていた。そっぽを向いて、時折疑惑に満ちた視線を文に向ける。文がよからぬ事にでも手を染めたのではと疑っているのか。文は仕方なく簡単な説明を試みる。

「この車は俺の知り合いの持ち物だ。今向かっているのもそいつのいる場所。キャンプが趣味なんだが、仕事の合間の休憩用にも使っている。今運転してくれてるのはそいつの専属マネージャー」

「せんぞく……」

 友達って何者?と尚也は首を傾げる。銀は尋ねた。

「知り合いの人の名前はなんていうんですか?」

「里見慧人」

「その人ってさ」

 地球人なのか?と尚也は聞きたそうだったが、口ごもる。マネージャーだという運転手の前では伏せておいた方がいいのかもしれない。一方反対側では銀がビックリマナコになっていた。

「同じ名前の人知ってます。去年朝ドラにも出ていました」

「多分そいつだよ」

 文の答えに尚也がきょとんとする。

「なに?芸能人?」

「芸能人」

 銀が頷く。

「知らない」

 尚也は芸能人に疎かった。家族とTVを見る事はあっても、そこに登場する人たちの顔も名前も尚也の頭にとどまることはなく、数分もたつと煙のように消え失せてしまう。

 一方家でひとりTVやネット配信を眺めている時間の長い銀は、そこで見聞きするあらゆる情報を電子頭脳にインプットしていた。

「私は毎朝そのドラマを見ていたのに、尚也は学校のない日は寝てるか遊びに行ってるかで見ていないだけ。とても面白いのに」

 興奮した様子で、尚也に慧人の出演したドラマの話をする銀を、文はニコニコと見ていた。だが尚也はあいかわらずの仏頂面だ。銀が喜んでいるのが気に入らない。

(タレントがどれほどのもんなんだ)

テレビに出て高価な車に乗り、運転手までいるからって立派な人間なのか。尚也の父親は料理番組に出てそこそこ知名度もあるが、移動はもっぱら自転車と電車だ。釣りかマリンスポーツで遠出する時以外に車を使う事は滅多にない、環境に優しい地球人の鏡みたいな宇宙人だ。


 やがて到着したのは都会のど真ん中。新しいビル群のなかでは異彩を放つ、ルネサンス様式の重厚な建物の前だった。長い伝統と格式を誇るXXX劇場は舞台人にとっては憧れの聖地らしい。

 三人を降ろすとキャンピングカーはギンちゃんの入ったカゴだけを乗せて、地下の駐車場に消えていった。

「里見慧人がこんなにたくさん!」

 歴史ある劇場の外壁には出演者の巨大広告が大量に掲げられ、それを目にした銀は興奮した口調で尚也の上着を引っ張る。

「んー」

 ほとんど目を向けることもせず尚也が頷く。全く興味ない。やがて文が二人を呼んだ。

「もうすぐ開演だから、早く入ろうぜ」

「えっ!これ観るの?」

尚也が驚く。

「ああ。そのために来たんだ。貴重なチケットなんだぜ」

 そして気が進まない様子で足どりも重い尚也と、歓喜と興奮で落ちつきなくキョロキョロする銀をつれ文は劇場の中へ入っていった。三人が客席についてしばらくすると館内の照明が落とされ、そして不思議な世界が始まった。


 青を基調とした照明も簡素な舞台装置にも全く派手さはない。水泳で世界を目指すライバル同士の青年二人の、憎しみと欲望と執着と……尚也には到底理解不能な謎世界の物語だった。

 そして主演の慧人らしき男は、水泳選手を演じるにはどうも無理のある痩せぎす体形だった。容姿も整ってはいるが、主演と呼ぶにふさわしいような華はなかった。

 物語に入り込む以前に、尚也には気に入らない事がいっぱいあった。一つには服を着ているシーンがほとんどない事。そして隣に座る銀が舞台に釘付けになっている事。

(銀って腐女子だったのか?) 

 銀はいつもは大人しく穏やかで、感情をあらわにすることもあまりない。家に来た頃はよく泣いていたが、今は自分の事では泣かなくなった。映画やドラマ、動物系の番組を見て感動の涙を流すくらいだ。

 小さな競泳用の水着だけを身につけた男が、スポットライトを浴びながら苦しい胸の内を語りはじめる。やがてセリフはメロディを持ち歌となって広いホールの隅々までさざ波のように広がっていく。

 ストーリーは尚也には入りこめないものだったが、慧人の歌声にはなぜか胸をつかまれた。そして男たちが裸の体を妖しくからませながら踊るシーンも、最初は怪奇でイケないものを見てる感じで直視できなかったが、次第に慣れてきたせいか美しくさえ思えてきた。

 尚也は自分の感情の変化にとまどっていた。なぜこんなに惹きつけられてしまうのか。

 隣では銀がひっくひっくとしゃくりあげていた。見ると涙の大洪水だ。

(やば。銀の予備水持ってきてない)

 だが今は文も一緒なんだからなんとかしてくれるだろう。

 やがて舞台の幕が降り、観客の万雷の拍手の中、キャスト達が登場してにこやかに挨拶する。気づいたら尚也も懸命に拍手していた。

 カーテンコールが終わって会場内が明るくなると、文は立ち上がった。

「さ。行こうぜ」

「はい?」

 感動の涙がまだ止まらない様子の銀が、きょとんと文を見上げる。

「スターに会わせてやる」

 そのまま勝手知ったる様子で劇場の奥へとズカズカ踏み込んで行く文だった。


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