第3話

 文は楽屋のドアをドンドンと叩いた。

「入るぞ」

と声をかけると、返事もまたずに部屋の中に入っていってしまう。

「文くん、いらっしゃい」

 楽屋には、届けられた花々のスタンドや籠。プレゼントらしき包みがギュウギュウに詰め込まれていた。そしてまだメイクも落としていないバスローブ姿の主演、里見慧人が立ち上がって穏やかな笑顔で文達を迎えてくれた。

「千秋楽ごくろうさん。良かったぜ」

 いつの間に用意したのか文は抱えていたピンクの薔薇の花束を慧人に渡す。

「ありがと」

 人の好さそうな笑顔で慧人はそれを受け取り「この子たちは?」と文に問う。

 文は子供二人を前に押し出しながら言った。

「わるいな。急に連れてきて。こっちが尚也でこっちが銀。親戚の子供みたいなもんだ。こいつらがどうしてもお前の芝居見たいって言うから」

 文は平然とウソをついた。少なくとも尚也にとっては舞台もミュージカルもそこでスターと呼ばれる人たちも、自分とは全く無縁のものだった。なぜか今日はすごく引き込まれてしまったけれど。

「そう。でも初めて見るんじゃストーリーが分かりにくかったんじゃないの?かなり特殊な世界の話だし」

「初めてって、何度も見にくる人もいるのか…」

 独り言のように尚也がつぶやく。同じ演目の舞台を何度も観に行くという発想は尚也にはなかった。いろいろ不思議な思いに捕らわれながら尚也はじっと慧人を見る。

 どう見てもスターと呼ぶにはパッとしない男だった。イケメン度は中よりちょっと上程度の平均値。取り立てて特徴もなく、なにもかもが普通すぎた。

 だのに舞台上で痩せた体はスポットライトのせいか美しく輝いて見えたし、艶のある歌声と演技する姿は客たちの心を奪うオーラを発しているようだった。

 そして銀は。今は黒いコンタクトをつけた瞳をいつも以上にキラキラさせ、柔らかい頬を緊張と興奮に紅潮させ、食い入るように慧人を見つめている。その目は「なんて素晴らしい人なんだろう」と雄弁に物語っていたし、たいていの人間はこんなに濁りのない目で見つめられたら悪い気はしないはず。

 だが慧人は銀を見返して、切れ長な目を少し細めただけだった。

「君たち芝居に興味あるの?」

「ないです」

 銀と尚也は同時に答える。でも銀は身を乗りだして言葉を続けた。

「でも私は今日の舞台をまた見たいです。テレビとは違って目の前で立体的な厚みを持った人がしゃべったり歌ったり踊ったり、いろんな方向から聞こえてくる音も不思議でした」

「楽しんでもらえたならよかったよ。けれど今日が千秋楽だったんだ。次の公演の予定は今のところないし」

 慧人はあまり表情を変えずに淡々と語る。

 舞台の上ではどの共演者と並んでもひときわ存在感があったのに、今の彼は多分人ごみの中にいても芸能人だって気づく人は少ないんじゃないか、と尚也は思う。

 そして慧人は、ふいに文にいたずらっぽい眼差しを向けた。

「ねえ。この子たち本当は売り出し中の新人タレントなんでしょ。僕に仕事の仲介させようと思って連れてきたんじゃないの?」

「ちがうって。こいつらに演技なんてできっこない」

「そう?なんだか二人とも普通の子とはちょっと違う雰囲気だから」

 その時だった。尚也は衝撃的な一言を文に告げた。

「文さん。俺やってみたい」

 さすがの文も、この尚也の発言は予想外だったらしい。

「おまえマジか」

「マジです」

「そんな簡単な事じゃないんだぜ。おい慧人。お前が妙な事言うから、こいつその気になっちまったじゃないか」

「ほんとの事を言っただけだよ。キレイな顔してるし2.5次元でも人気でそう」

「こいつまだ中学生なんだぜ」

「早すぎることはない。僕もこの仕事を始めたのはその頃だったし」

 慧人がまったく同意してくれないので文は焦る。

「俺、こいつの親父に怒られちまうよ。息子をヘンな世界に誘うなって」

「僕はずっとそのヘンな世界で生きてきたんだよ。ひどいな」

「いや、お前には合ってると思う。でもこいつらは。特に尚也はごく普通の常識人だから」

「特にって? 銀ちゃんは普通じゃないの?」

「あ、いや」

 文は珍しく言葉に詰まる。そして銀は慧人を真っすぐに見つめていた。慧人がその目を見返す。

「君も良い目をしてるね」

 慧人が言った。

「そうですか?」

 銀が目をパチパチさせる。今の季節、銀の本当の目の色は紫色なのだが。

「うん。普段は可愛いんだけど、目を伏せるとまぶたやまつ毛に陰りがでて憂いがあっていいね。ちょっと僕を睨んでみて……うん。目力もあるしスクリーン映えしそう」

 すると銀は嬉しそうにポッと頬を染めた。銀は自分の容姿や能力を褒められるのが大好きだった。それは全部文が苦心して作ってくれたものだったから、文を褒めてもらっているようでとても誇らしくなる。

 だが尚也は言う。

「銀はダメ。向いてない」

 それを聞いて銀は少しショゲた表情になる。その手の仕事がやりたいとも出来るとも思っていなかったが、お前とは一緒にやりたくないと突き放されたような気がする。だが尚也は他に考えがあったらしく提案した。

「銀は俺の付き人兼マネージャーになればいい」

 いくら何でも気が早すぎる。だがおふざけで尚也にこんな冗談が言えるとは思えない文は確認した。

「尚也は芸能人になりたいのか?」

「俺は舞台に立って、慧人さんみたいにスポットライト浴びて輝きたいです。それが芸能人だって言うんならそれになりたい」

 それは少し意外だった。中学生が憧れそうなアイドル的な仕事をしたいのかと思ったのだが。舞台は露骨にスキルを問われる世界だ。

「お前演技できるんかよ。歌とかダンスも必須だろ」

「がんばる」

「女の子にモテたいからとか、そんな理由だったら……」

「別にモテたくないし」

 そうだった。尚也は今よりガキの頃からデートの相手をしょっちゅう変えていた。

 けれど尚也の両親は尚也が目立つ存在になることを喜ばないだろう。なんたって彼らは世を忍ばなければならない宇宙人一家なのだから。

 だが待てよ。哉は深夜とはいえ料理番組を長年やっている。それはいいのか?

 もしかして、さほど神経質になる必要はない? 混乱する文の横で慧人が尋ねた。

「尚也くんは今日の舞台を見て自分もやりたいと思ったの?」

 尚也は大きくうなずく。

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