第7話 過去と未来
まさに小屋から出て行かんとする青年の背中に、魔女が声を掛ける。
「私の話も聞きなさい」
青年が驚き振り返ると、魔女は真剣な眼差しのまま、青年の元に歩み寄った。距離を開けて立ち止まると、自分が魔女として生きてきた理由を語り始めた。
「私には夫と子供がいたの。夫はとても良い人だったけれど、子供を授かってすぐに事故で死んでしまったわ。私は、魔女の仕事をしながら、女手ひとつで子供を育てた。それは大変な暮らしではあったけど、魔女の力に恵まれていたおかげで、貧しくはなかった。子供も健康に育って、私たちは未来を夢見て人生をともに歩んでいたの」
「でも三年前のある日、あの子は病に罹った。私はたまたま仕事で家を空けていて、魔力もずいぶん使っていたの。そして家に帰ると、息も絶え絶えの我が子を見つけた。あなたも知っての通り、私は病気を治すことができる──でもあの日、私は魔力を使いすぎていた。いつも通り、いいえ、いつもよりも必死に魔力を行使したにもかかわらず、私の魔力は拡散して、そして……治療は失敗に終わった」
「その日から、私は、私を責め続けたわ。あの子を救う力を持っていたのに、救えなかった私。もっと努力していれば、もっと真面目に魔力鍛錬を続けていれば、今でも一緒に笑えていたはずなのに……あの子はもういなくて、私だけが今こうして生きながらえている」
「あの子は、私の中に残っているの。あの子が、私の魔力を安定させて、私の魔力行使を助けてくれる。あの子に会えるのは、私が他人に魔力を行使するときだけ。その瞬間だけは、あの子の気配を感じられる。だから、私自身を責める振りをして、村のみんなを救う振りをして、ただあの子に会うためだけに、全部利用していただけなの」
「私は、そんな自分勝手な魔女として生きてきたのよ」
絞り出すように、自分の過去と秘めた想いを吐き出す魔女を遮るように、青年が言った。
「自分勝手なんかじゃない」
「あなたは子供に会いたかったと言うけれど、その過程で多くの人を救ってきました。それのどこが自分勝手なんですか」
「それに、あなたはもう、子供に会いに行く必要なんてないんです。今夜、私に加護を授けてくれたとき、あなたは子供の気配なんか探していなかった」
魔女が驚き、目を見開きながら青年に答える。
「本当だ。私、気づいていなかった」
「私、あの子のこと、考えなかった」
「あの子を亡くしたあの日から、そんなこと一度だってなかったのに」
青年は静かに続ける。
「儀式のときのあなたは、とても温かく、とても優しく、ただ私のために魔力を使ってくれていた」
「あなたの微笑みも苦痛に歪む顔も、そこにはありませんでした」
「それはまさに、ただ他人に与えることを喜びにする、献身的な魔女そのものです」
魔女は思わず息を詰まらせ、唇を震わせた。
「私、あの子のこと忘れたわけじゃない」
「私、ただあなたのことだけを考えて、加護を与えることだけを考えてた」
「そんなことできると思ってなかった、しようとも思わなかった」
「私、赦されたの?あなた、私に答えを教えてくれるの?」
魔女が詰め寄ろうとするそのとき、青年は腰の短剣をすらりと抜いた。魔女が身を固くするより早く、彼は自らの腕を刃でなぞる。
血が滴り落ちる腕を差し出しながら、青年は強い眼差しで魔女に告げた。
「この怪我を治療すればきっとわかります」
魔女は青年の目を見つめ返し、その意を汲み取った。魔女は歩み寄り、意を決してその手を取ると、そっと目を閉じた。これまで幾度となく行ってきた、治療のための魔力行使──滴り落ちる血が止まり、その傷が塞がっていく。
魔女はゆっくりと目を開き、今、全身で実感しているありのままの感覚を青年に伝えた。
「私、赦されたみたい」
魔女の頬を一筋の涙が伝う。青年は、その涙をそっと拭いながら優しく言った。
「よかった……でも、それは捨てたわけじゃない。胸に残る夫や子の存在を、今も感じているはずです」
魔女はうなずく。
青年は続ける。
「あなたの中にいる子も、思い出の中の夫も、あなた自身の一部です。私は、それごと愛しています」
「これまで他人に与えることに徹してきたあなたに、私の愛情を受け取ってほしい。私を受け入れてくれませんか」
魔女は、彼女のすべてを肯定し、ありのままに受け入れてくれた青年を、自分もまた受け入れることを決意した。
それは、与えることに徹してきた彼女が、再び他人から何かを受け取ることを自らに許した瞬間でもあった。
まっすぐに魔女を見つめる青年の瞳を、彼女もまっすぐに見つめ返した。その潤んだ瞳は、先ほどの涙とは別の、新しい期待と決意に満ちている。
魔女は言葉を返す代わりに、顔をそっと近づけ──二人は唇を重ねた。
互いの意志を通じた後、魔女はばつが悪そうに呟いた。
「私、謝らなくちゃ」
「私が今日ここに来たとき、嘘をついたことですか?」
「そう。たいしたことじゃない、なんて言ったけれど、本当はあの日の帰り際、あなたにあんなことを訊かれて、私びっくりしたの。あなた、私の知らなかった私を教えてくれた」
「寂しいなんて決めつけてしまったけど」
「ううん、決めつけなんかじゃない。私、寂しかった。でも、それに気づいていなかったのよ」
「それで、返事もせずに帰ってしまったの?」
「ごめんなさい。傷つけてしまったわよね」
「気にしないで。たいしたことじゃないよ」
魔女がくすっと笑う。
「それって嘘つきの台詞」
「ははは、これでお互い様だね。でもね、嘘じゃないんだよ。本当にたいしたことじゃないんだから」
しばし無言の時が流れた後、魔女が小さな声で、青年に囁いた。
「……ねえ、私もあなたのこと愛してもいい?」
青年は、優しい微笑みとともに無言でうなずき、それに応えた。
青年に優しく抱き寄せられ、魔女はその身体を預ける。二人は静かに抱き合い、再び唇を重ねた。布越しに伝わる体温と鼓動。指先を重ね、髪を撫で、顔を寄せ、頬を合わせる。時間をかけて、互いの身体に触れ合いながら、互いの心に触れ合ってゆく。それは、これから二人で成そうとしていることへの期待感、高揚感、罪悪感、そのすべてを共有し、そのすべてを高め合っていく共同作業だった。二人は理性と衝動のはざまを行き来しながら、ただ相手を感じることに没頭した。
やがて魔女は、その全身で青年を受け入れる。彼は優しく彼女を抱き、そして──青年から与えられた愛を、魔女は確かに受け取った。
魔女は、青年からの愛を受け取った今でも、自身の魔力に何の変化も起きていないことに気づいた。
体内に宿る、いつもと変わらぬ平穏で安定した魔力。彼女の与える力はいささかの衰退も感じさせなかった。
我が子の代わりを求めて、ただひたすら人々に与え続けてきた一人の魔女と、自らの気持ちに向き合って自分を許し、確かな愛情を受け取った一人の女性。与えることと受け取ることが共存し、身体の奥深くで調和し、不可逆的に溶け込んでいく過程を、彼女は今まさに実感していた。
魔女は、その身体を青年に預けながら、受け取った愛情の大きさに思いを巡らせていた。労るように自らの腹にそっと手を添えながら、ふと口を開く。
「……あなたは何を受け取ったの?」
「どういう意味?」
「あなたは私に、とても大きな愛情を与えてくれた。私は?私はあなたに何を与えられた?」
「いろいろ与えてくれたよ。美味しいハーブティー。魔女の加護。愛情。自信。それと、少しの嫉妬心」
「え?」
「そうか!」
「どうしたの?急に大きな声出して」
「あの木彫りのカップ、旦那さんが作ったものなんじゃないですか?」
「そうよ。どうしてわかったの?」
「この家には木彫りのものが沢山あって、全部手作りだったから」
「それだけで?」
「ううん……あのカップ、何だかとても温かかったんだ」
その言葉に、魔女は息を呑み、そして声を上げて泣き出した。
青年は魔女を優しく抱きしめた。
空が白み始め、いよいよ青年の旅立ちの時が近づいていた。二人はその瞬間を惜しむように口づけを交わすと、それぞれの支度を始めた。魔女は湯を沸かし、初めて出会った日と同じあのハーブティーを、木彫りのカップに注いで、青年に差し出した。
青年は、その手作りのカップに口をつけ、「美味しいよ」と小さく微笑んだ。
魔女が、少しいたずらっぽい笑みで青年に問いかける。
「ついてきて、って言わないの?」
青年は優しく微笑みながら答えた。
「それは……本当は、そう言いたい。けれど、危険な旅に巻き込みたくない気持ちは、今も変わらないよ。」
「そう言うと思ったわ。私の加護があなたを守ってくれるといいのだけれど」
青年は、昨夜向き合った大樹を思い浮かべながら、魔女に言った。
「それに、あなたの魔女の務めも邪魔したくないんだ。村の結界を維持するのは、大変な仕事なんだってね」
「……おばばったら、口が軽いのね。私、大変だなんて思ってないのに」
「あの迷子捜索の日、君が帰った後、お婆さんから聞いたんだよ。……だからあの日、村でまたあなたに会えたんだね」
魔女は、つい自分から声をかけてしまったあのときを思い出し、ほんのりと頬を染めてはにかんだ。
そして、少しの間、青年の目を見つめ、静かな口調で彼に言った。
「無事に帰ってきて」
「うん。また必ず、あなたに会いに戻ってくるよ」
そして二人は最後の口づけを交わし、別れを告げた。
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