第8話 決意

 青年が旅立ってしばらく経ち、新しい季節の兆しが見え始めたある朝、魔女の小屋を訪ねる者があった。それは、幼い頃から魔女を見守り、支えてきたあの老婆であった。

 彼女は、魔女がこの村を出て行くこの日、小屋を預かるために馬を蹴ってここまでやってきたのだ。

 魔女は婆を小屋に迎え入れ、しばし談笑した後、別れを惜しみながら問いかけた。

「ねえ、おばば。村のみんな、私がいなくなっても大丈夫かな」

「心配いらないよ。おまえ自身が、後を継ぐ者を見つけてくれたじゃないか」

 青年と別れてから、魔女は村に下りることが自然と増えていった。そして村人たちと積極的に関わろうとする中で、一人の少女に魔力を見出した。与え続けてきた魔女が、自身のための愛を受け取ったことで、ついに一人前の魔女として成長を遂げた証であった。

「それまで何度もあの子とは会っていたのに、魔力があるなんて全然気づけなかった。でも、彼が旅立った後に会ったときに初めて、不思議と感じたの──ああ、この子に託せるんだな、って」

「そうだ。わしとこの小屋で修行して、おまえの役割を受け継いでくれるさ。村のみんなもおまえに頼ってばかりじゃいられないって言ってたろう」

「うん。みんな、私のこと受け入れてくれて嬉しかった」

「おまえの旅立ちを祝いたいって奴も多いんだ。後で挨拶に寄るんだろう?」

「そのつもりよ。私もみんなにありがとうって言いたいし、みんなの気持ちも受け取っておきたいの」

 婆は、静かにうなずき同意する。

 魔女は、部屋や台所を見渡しながら、婆に言った。

「家具とか食器とか、そのまま残していくから、よかったら使ってちょうだい」

 しかし、部屋のどこにも、かつて飾ってあった木彫りの置物や小物が見当たらない。婆はそれに気付き、声を上げる。

「あの不格好な置物なんかはどこやったんだい」

「全部、二人に返すことにしたわ。思い出の品なんて残されても、おばばが困るでしょう?」

 魔女はそう言うと、部屋の隅に置かれた大きな袋を指さした。その中には、沢山の木彫りの品々が入れられていた。

 婆がふと思い出したように、包みから革紐を取り出して差し出した。

「そうだ、頼まれたものを持ってきたよ」

 魔女は一言礼を言ってそれを受け取ると、部屋の引き出しを開け、小さな木箱を取り出した。それは青年への思いに揺れていた日の魔女が、亡き子の声を聞こうと向き合った、あの首飾りの木箱だった。

 それを目にした婆は、目を丸くして声を上げた。

「おまえ、その箱は……ずっとしまってあった、あの子の首飾り──」

 魔女は落ち着いた声で答える。

「そう。これだけは、ずっと大事にしたくて。あの子のために作ってくれたものって、これしか残っていないから」

 魔女は木彫りの首飾りを箱から丁寧に取り出し、革紐を通して、その首にそっと掛けた。

 婆はその姿を見て、言葉を失い、嗚咽を漏らす。

 魔女は、今まで自分をずっと気に掛けてくれた婆を、優しく抱きしめた。

「おばば、今までありがとう。また会いに来るからね」


 魔女は、小屋を出ようと扉へ向かった。扉の前に立ち、振り返り、部屋の姿を目に焼き付ける。苦々しくも懐かしい、魔女としての暮らしの痕跡が、確かに残っていた。

 部屋の奥には、木彫りの食器がぎっしり詰まった、見慣れた食器棚。あの木彫りのカップも、他の食器と並んで、いつもの場所にしまわれている。

 彼女は視線を留めたまま、これまでの日々、夫や子との思い出、そして青年との出会いにしばし思いを馳せた。

 そして決意を胸に、魔女は前を向いて小屋を出た。裏手に回ると、そこには亡き夫と子の墓が並んでいる。

 魔女と婆は、その横に小さな穴を掘り、遺品を詰めた袋をそっと収め、静かに祈りを捧げてから、それを埋めた。

 魔女は墓に向き合い、こみ上げる思いを噛み殺しながら、二人に語りかけた。

「二人とも、今まで見守ってきてくれてありがとう。私、これから新しい人生を選びます」

「また、戻ってくるからね」

 魔女は後ろ髪引かれながらも、迷いない足取りで墓を後にした。そして旅の荷物を整え、馬にまたがる。

 長年暮らした小屋を振り返ると、婆がハンカチを振りながら、声を上げて泣いている。

 魔女も涙をこらえきれず、声をしゃくりながら「ありがとう」と呟くのが精一杯だった。


 魔女は、通い慣れた道を辿り、村へ向かった。

 馬を降りると、村人たちの輪が自然に道を開き、声を上げて彼女を迎え入れた。

 長老が一歩前に出て、魔女にずっしりとした包みを手渡した。その中には、皆の思いが詰まっている。

 魔女は、村の皆からの餞別を笑顔で受け取ると、胸に抱き、皆の顔を見渡した。

 小さく手を振る者、目を潤ませて俯く者、そっと笑みを浮かべる者。皆がそれぞれの仕草で、魔女に別れを告げていた。

 誰もが魔女の旅立ちを見送る。その空気には新しい敬意と、少しの寂しさが混じっていた。

 そのとき、人ごみを割って一人の少女が駆け寄ってきた。まだ幼い顔には、不安と期待が入り混じっている。

 魔女はしゃがんで少女と目線を合わせ、その子の肩に手を置き、優しく静かに言った。

「魔力鍛錬、毎日やるのよ。みんなのこと、よろしくね」

 村の人々が、じっとその様子を見守っていた。

 魔女は少女に務めを託し、最後にもう一度だけ村人たちに目を向けると、そっと手を振り、静かに村を後にした。


 村を出立した魔女は、皆の姿が見えなくなるところまで馬を進め、その足を止めた。

 魔女はそっと目を閉じ、探知能力を発揮すべく魔力を行使した。すると──驚くほど近くから反応が返ってきた。それは、青年が彼女の中に残していった、彼の愛情そのものであった。魔女はそれに気づいて、お腹に手を当て慈しみながら微笑んだ。

 彼女は再びそっと目を閉じ、魔力を高めた。──そして、ゆっくりと目を見開き、馬を返して走り去っていった。

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授与の魔女 種村はむ @seed_yn

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