福岡紗凪
どれだけ遠くへ行っても、結局私たちが帰ってくるのはこの屋上だった。錆びついたドアを押して、吹き込む風を全身に受ける。
そして私は今から死ぬ。
私はどこまでもずるい。紗凪、と愛おしむような海風にも似た声で私の名前を呼んでくれる彼女の全てを手に入れたくなってしまった。だから、海に行った。風を知った。彼女と遠出をして、一緒の部屋に泊まって、目に見えるもの、手に取れるものは全て共有したつもりだったのに。それでも、心までは手に入れられない。当然の話だ。どうやったって私には触れないものだから。
だから、私は今から飛ぶ。落ちるようにして、あの碧落を手に掴むのだ。そうすれば、ひと時だけでも——いや、きっとこの先ずっと、私は確実に彼女の心に、心だけに棲むことができるから。
なんでもないような顔をして、いつも通り彼女の右隣につく。彼女がフェンスにもたれる。全部いつも通り。だけど私は知っている。ちょうど私の背後のこの一か所、ここだけフェンスが脆くなっているのだ。隣との繋ぎ目が錆びて緩んでいて、もう少しの力がかかれば破れるだろう。こんな大きなことを胸の内に隠したまま、最後のひとときを全身で感じる。彼女の瞳が美しいことを。さらさらと流れる黒髪を。私たちを繋ぐ涼風を。世界を祝福する日差しを。
会話の流れで彼女がこちらを見た。今だ。相槌を打ちながら、私も体をフェンスに預ける。ぐ、といつもより少しだけ力を入れて。
ミシ、ギシ、ギィ。バキ——。
彼女の目が大きく見開かれるのをスローモーションで見つめる。決して忘れないように、目に焼き付ける。まだ、最後まで完璧に事を運ばなければいけない。私も予想外の出来事に驚いている、という風に目を見開く。慌てて駆け寄って必死に伸ばしてくる手に、私も腕を伸ばす。けれど、間一髪のところで触れ合うことはない。彼女の手が空を切って、泳いで、諦め悪く私の方へと伸ばされたままになって。もう決して届かなくなったところで、締めとばかりに満面の笑みを浮かべる。ああ、良かった。全部計画通り。
そうして私は永遠になる。
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