第4話
すでに南に向かったのだろうか?
(それとも東……
涼州軍はさすがに、小規模でも優れた軍事行動が行えるだけあって、動きが読みにくかった。
普通ならばある程度の軍事作戦を起こすには見合っただけの手勢が必要になる。
だからこそその軍の規模でどの程度のことが出来るか、推し量れるのだ。
しかし涼州騎馬隊は少人数でも大軍相手に奇襲を掛け、将官の首を取ったりも出来る。
数騎でもそれぞれが一騎当千の働きをし、連動して動くため、分散されると全体の戦力や軍事行動の予測が非常に立てにくい。
例えば涼州騎馬隊がいないと、こうして実際北の山道を歩いているが、騎馬隊の一団がいなくとも十騎山に潜んでいるだけで、彼らは縦横無尽に奇襲を掛けることが出来るから、多くの手勢がいるように錯覚するのである。
そう遠くまでは行くわけには行かないのだが、何か涼州騎馬隊が突然現れた手がかりのようなものが欲しかった。
(何かきっと理由があるはずだ)
乗っていた馬が突然立ち止まった。
人間か、獣の気配を察知したのかと思って徐庶も周囲を警戒したが、ふと気付く。
「……これは……火の匂いか?」
風に混じり、伝って来る。
近くだ。
「おいで。さぁ行こう」
首の辺りを撫でてやってから、軽く合図を送ると、馬は立ち止まった所からまた歩き出した。
先程は感じる程度だったが、はっきりと焦げた匂いが漂ってくる。
徐庶は馬から下りた。
人工的に詰まれた石の段差を上がっていくと、拓けた場所に村があった。
ごく小さいものだが、焼け落ちている。
まだ焼け跡が新しかった。
徐庶は馬をそこに待機させ、首に巻いていた布を口元まで上げると村の中に入っていく。
(油の匂いがする。それに……)
焼けて崩れ落ちた家の残骸を、剣の先で軽くどかした。
少し、家の中に入れる道が出来た。
小さな火が見えた。
ほとんどが炭になっているのでもう火種がなく、燃え広がろうとしないが、まだ燃えている。
だとしたらこの火は少なくとも今日か昨夜、つけられたものだ。
涼州騎馬隊の襲撃は朝方だった。
徐庶は外套の裾が燃えないよう気をつけながら、焼け落ちて屋根の無くなった家屋の中に慎重に入っていった。
何もかも燃えているが、不自然な黒い塊があった。
木の家具なら燃え落ちている。
燃え残った炭の、形で分かった。人間だ。
「……。」
そっと覗き込むと、土間に倒れ込んでいた背中の方は燃えていたが、土に面したうつ伏せになった体の方は、燃えていなかった。
ゆっくり少しだけ身体を持ち上げると、手に血がついた。
(血?)
男性のようだが、思い切って裏返す。焼けた服の残りが落ち、はっきりと首から斜めに走った傷が見える。
(剣傷だ。燃えて死んだんじゃない。斬られたあとに火を放たれたんだ)
でも何故……
風が出て来ている。
深い森の、木々のざわめく音が波のように響いた。
ザザザザ……
手にしていた細身の剣の、鞘は抜かずに下ろしたまま、徐庶は右の腰に下げていた短剣の柄に手を置いた。
耳に触れる、木々のざわめきとは明らかに違う、人の気配がある。
「……誰だ?」
深い夜。月は雲に隠れている。
暗闇だ。
こんな闇の中で剣を握っていると、逃れられない暗い過去が背中から覆い被さって来るような気がする。
追いつかれ、強くそちらに引き戻されるような感覚だ。
(……嫌な感じだ)
その時だった。
「
僅かに指先が揺れた。
徐庶は詰めていた息を飲んだ。
見据えていた暗がりから、その顔が見える。
「
友も怪訝な顔を一度見せたが、すぐに物陰から姿を現した。
「元直! なんでここに」
「違うよ、風雅。俺がやったんじゃない」
現れた
「いや……そんなこと分かってるけど……」
不思議そうに言われ、徐庶は剣から手を離した。
深く息をついて、しゃがみ込む。
「驚いた……、今回は君には驚かされっぱなしだな」
歩いて来た
一度目を閉じ心を落ち着かせてから、徐庶は瞳を開く。
立ち上がった。
「俺は、村の人が涼州騎馬隊が南下してくるのを見たっていうから驚いて。
北の様子を見に来たんだ。村の人も何が起こってるか、分からないってみんな心配してて。元直。涼州騎馬隊と曹魏の軍が……」
徐庶は頷いた。
「戦いを始めた。率いてたのは
「……。」
「
「
友と視線を交わした。
怒りや、憎しみや、悲しみじゃない。
「黄巌。北の様子を見に来て、この村を今見つけた。山火事は少なくはないけど、これはそうじゃない。家の中で人が死んでる。斬られてた。この村は火を放たれたんだ。
君は何か知らないか?」
「徐庶。魏軍は軍事行動は行ってないってお前は言ったよな」
責める声ではなく、確かめる声で
徐庶は頷く。
「今朝、涼州騎馬隊の襲撃を平地で受け、それに対して迎撃する以外の軍事行動は、魏軍はまだ起こしてない」
黄巌の瞳が揺れた。
しかし数秒考えてから、彼は徐庶の身体に手を伸ばし、身体を強く抱き寄せて来た。
「君を信じるよ。
「……ありがとう」
黄巌は身体を離した。
「俺も、全てが把握出来てるわけじゃ無いから、他の村から報せを受けたことしか分かってない。ただ……、」
「何か知ってるなら話してくれ。
魏軍の総指揮官である
彼は涼州出身で、すでに涼州に対して軍事行動を行った魏軍として、涼州騎馬隊の精強さに見合うだけの手勢は連れて来たが、敢えて仕掛ける意志は無い。
数日前から
戦闘を避けるための協調が出来ないか、話し合うために。
その返事を待ってる状態だったんだ。
夜襲は警戒してたが明け方に襲撃を受け、戸惑ってた。
攻撃の意図があるなら夜襲を使うべきだし、最初から同盟は考えられないのが涼州連合の総意なら、
それが無かった。
だから韓遂殿とは、話し合える可能性が高いと今朝まで彼は読んでいたようだった」
魏軍の軍師として、涼州の人間に軍の情報を話すべきでは無かったが、徐庶は話した。
彼は静かに頷く。
「……俺は、涼州騎馬隊がほぼ全軍で魏軍に総攻撃を仕掛けたって聞いたから、驚いたんだ。実際には見てないけど、お前は
「俺もこの目では見てないけど、複数の斥候が確認したよ。間違いはないと思う。
天水の砦に入った後も、交戦の伝令が伝えに来た。
彼らはそのまま南に向かったらしいが、南に後退した魏軍の本陣を狙ってるのかどうかは分からない。
今この瞬間にもまた戦闘が起きてるかも。
けど、何かがおかしいんだ。
それが何か分かれば、今回は戦わなくてもいいかもしれない。だから……」
「
「えっ⁉」
「俺も見てないが、龐徳将軍や、北から来た涼州騎馬隊の本隊は、確認して出撃して来ている。本拠地の街と、城ごと焼かれたらしい。死体も確認したと書いてあった。
魏軍の奇襲を受けたんだと……」
「違う! 魏軍は……何かの間違いだ。誓って、まだ何も軍事行動は起こしてない!」
「君の知らない範囲では? 総大将の
「それは……」
「確かに彼は、必要なら残虐なこともする。
でも彼は自分の手柄を隠すような
今回、
司馬懿殿だけの一存で動く部隊は今回はいない。」
「分かった。君を信じる。だが……」
徐庶は振り返った。焼け落ちた村を見回す。
「だとしたらこれは一体、何者がしたことなんだ?」
「ここだけじゃない。
徐庶は息を飲む。
「魏軍の仕業じゃないなら、一体、誰が彼らを殺した?」
【終】
花天月地【第52話 月を食う雨龍】 七海ポルカ @reeeeeen13
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