第3話
「
水面を見ていた魯粛は振り返った。
騎馬が三騎走ってくる。
その中の一人は
鎧を鳴らしながら駆けて来る姿に、魯粛は苦笑する。
呂蒙は真面目で努力家であり、非常に副官としても使いやすいのだが、ああやってガシャガシャと音を立てて子供のように走ってくるのだけは欠点だ。
もう少し人間としての重みのようなものが出れば、重鎮達からも信頼される武将になっていくのだが。
そんな風に思って、自分は最近「そんなもの自然と年を重ね、経験を重ねれば備わってくるからほっとくか」と感じる時と、「一刻も早く、例え表面上装ってでもいいからそういう身の振る舞いを覚えてくれまいか」と感じる時があると思った。
周瑜は、
それでも二十代半ばに見え、口を開けばすぐに非凡な才を持っていると感じた。
あの人の重みや深みは、年を重ねて自然と備わったものではなかった。
……
時が経てば実感するのはそんな想いだった。
だからといって、何かに絶望することなど、もはや許されない立場になった。
「来なくても良かったのだぞ、呂蒙。
今夜にでも
ここは
数日滞在し、
「はっ。聞きましたが……」
「お前はもう少し無駄な動きを抑えればいいんだが。暇さえあれば動こうとするのがいかん」
「も、申し訳ありません。ジッとしているのが苦手で」
「それなりの立場になりつつあるのだから、少しは自重しろ。お前のような立場の人間がそうそう走り回ってると、若い兵などが何かあったのかといちいち不安に感じる」
確かに、周瑜や魯粛が城でもこういった場所でも足音立てて走り回っている姿は見たことがない。
「気をつけます」
魯粛が肩を竦めた。
「魏軍が涼州に攻め込んだというのは……?」
「攻め込んだと表現していいだろうな。この規模ならば」
慌てて呂蒙がそれを辛うじて取り、すぐに目を通している。
「総大将は
「
冬の涼州か……聞いただけで寒気がして来る」
手を袖に隠し、魯粛は腕を組んだ。
「
「曹魏がどのように涼州入りして、どういう出方で来るかによる。
しかし涼州連合が曹魏と戦おうが手を結ぼうが、ここより今から手を伸ばしても間に合わんさ。俺達が気にすべきは蜀の動きだ」
教えを請う立場なら、分かってないのに分かったような顔をする新兵より魯粛は好きだったが、軍を率いるべき将官ならば、これもこいつの欠点だと思う。
【
呂蒙は人がいいから自然と今までも、人のいい人間達が周囲に集まっていたのだ。
悪意ある敵に完全に出し抜かれるということを、何度か経験させた方がいい。
こちらを籠絡し、騙し討ちしてこようとする敵に対して、一歩も引かないということはこちらも綺麗事では済まないのだ。
戦場に身を置き、段々と把握していく過程で、少しずつ見えてくるのだ。
彼が最も苦手とするのが、こういう敵に先手を打たれて戦が始まったり、大戦後の膠着状態からまだ各勢力がどう動くかが決まり切ってないような時期に、自分なりに見通しを立てたり、考えたりすることだった。
このところ【
まだ孫呉が建国されていない、彷徨う
商いはいい。
忠義だとか、礼節だとかをいちいち要求されない。
売れば儲かる相手を見定めて、賢く売る。
儲けを民に分け与えれば人並みの感謝も手に入る。
悪徳商人にならないのは、愚かな主君に心ならずも仕えて、良き人間や罪のない人間を仕方なく殺す領主になるのより、ずっと簡単だった。
――未来がどうなっていくのか。
目を輝かせて語っていた
定まらない、確かでない明日を考えることを、そんなに今、楽しそうに目を輝かせて語る者がいるだろうかと、驚いた。
それでも数時間話していると、自分も楽しくなって笑って夢中で話していた。
周瑜と話していると、
こんなに世界に色んな可能性があるのかと、いつも目を覚ますような気持ちになる。
自分にとって都合のいい主君を見つければ、食っていくのは簡単、などと思っていた自分がいかに小さい人間だったか思い知った。
自分達でいい国を作る。
信頼出来る主君を、その国の中央に置いて。
『私達で新しい時代を作ろう、
周瑜がよく、そう言っていた。
あの輝くような瞳や、
強い言葉や、
温かい笑みの全てが懐かしい。
明るい、魂が。
「いちいち眉を寄せるな、
お前は何も見えなかったり何も分からんとすぐ眉を寄せる。
悪しきことが起こったなら分かるが、呉の利益になることも起こってる。
お前はまず国や、各地の戦況に対して、どうなってほしいか自分なりに展望を描け。
今まではそういうことは孫策殿や周瑜殿がやってくれたからいいやなどと思っていたかもしれんが、これからはお前がそういうものを持っていなければ。
そうでなければ、お前は一体孫呉の者達を、時代のどこへ連れて行こうとしているんだ?」
呂蒙が目を瞬かせる。
「はい。ですが……その、私は周瑜殿や魯粛殿のように、先を読み通すことが苦手で……」
「苦手でも考えよ。そういう立場になって来たのだから。
お前は国をどうして行きたい。
いずれ北伐を行い、曹魏を攻めたいか?
自分の孫の代まで蜀と陸続きの戦いを続けて行きたいか。
それともどこかで落とし所を決めて、商いでもやって共存していきたいか?」
きょとんとした顔を見せた。
「はい……、あの……、今はあまりはっきりしませんが、私には商いの才は全くないことだけは確かかと……」
「たわけ。そういうことを言ってるんではないわ」
呂蒙の手から書簡を奪って、それで頭を一発小気味よく叩いてから魯粛は歩き出した。
頭を押さえて、呂蒙が慌ててついてくる。
「よく、分かりませんが、でも考えてみるようにします」
「考えるだけでなく、書き出してみよ。お前のような人間は考える考えると言ってもなかなかどうせ考えん。実際書き出してみれば時間があるときに長期的に続きを考えていける」
「なるほど、確かに。折角考えてもよく寝たら私は忘れています。でも紙に書けば考えを検討し昇華できるかも」
「そのくらい今まででやっとけよ」
「
「俺は逆に書くのは面倒だ。だがどこぞの
気持ちよく馬鹿にされて、
「確かに……」
「周瑜殿とな」
呂蒙は前を歩いて行く長身の魯粛の背を見た。
「よく碁をしたが、単純に時間が無くて。
いつも会えるようなお人ではなかったから、会うとどうしても色々話がしたくなって、結局碁が疎かになったりして、ちっとも進まんまま終わったりした。
諦めてその時はお終いにするんだが、また数ヶ月後、一緒に碁をすると、
途中で終わった碁盤の配置を全て完璧に覚えておられるんだよ。
あれには鳥肌が立った」
呂蒙も息を飲む。
魯粛が振り返って、ニッ、と笑った。
「絶対下手な手は打てんとな」
「魯粛殿……」
「じゃないとあの人、数ヶ月間ずっとあいつはあの時あんな下手な手を打ったぞと好きな時に思い出してニヤニヤされるだろ」
呂蒙は吹き出した。
「周瑜殿はそんな嫌な人ではないですよ」
「しかしお前全て覚えてるってことはそういうことだろう」
「口に出すかはまた別です」
「きっと
「分かりました。孫呉のこと、国や各戦線をどうしていきたいかを、書き出して継続して考えていくようにしてみます」
「ああ。継続は力になるからな。
俺が思うに――天才は一瞬の閃きで深い結論に達したりすることがあるが、普通に考える者でも継続して一つのことを考え続ければ、同じ深さに到達することは出来ると思う。
周瑜殿のような場合、あれは天才というよりまた別の異才だとは思うが。
だが継続して考えたり取り組むことは、決して無駄にはならん。
お前は一瞬の閃きで勝る聡明な質では無いが、考えることが出来ない馬鹿ではないのだから。
呂蒙。考え続けろ。
今からそうしておけばこの先、他の国の天才が一瞬の閃きで戦場で襲いかかって来た時にも、お前の幾千日の熟考で必ずそいつに対抗できる」
「はい!」
明るい瞳で呂蒙が声を返した。
「さぁ、
「
歯に衣着せぬ魯粛の言い方に、呂蒙が苦笑いしながら注意したが、魯粛は無遠慮に声を出して楽しそうに笑った。
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