第4話 厩舎の旧友

旅商人が街に着くと、真っ先に向かうのは決まっていた。

石畳の裏道を抜けて、城壁の内側にある厩舎。昼下がり、干し草の匂いが漂う中、商人は手綱を引きながら木戸を開けた。


「よう、これから空いてるか?」


厩舎の奥で作業していた男が顔を上げる。髪に藁くずをつけたまま、にやりと笑った。


「仕事があると言いたいところだが……親方が『行ってこい』ってよ。理由も聞かずにな」


「ありがたいことだな」


商人は笑って言い、馬の鞍から革袋を外す。

中から取り出したのは、ややくすんだ瓶。陽の光にかざすと、濃い琥珀色の液体が揺れる。


「南の村のやつ。草の香りがするけど、けっこういけるらしい」


「草の酒か……前に飲んだやつよりはマシだといいがな」


「大丈夫、今回は外れじゃないと思う、たぶん」


ふたりは目を合わせ、笑った。

このやりとりも、いつものことだった。


商人は馬を預け、男の家へと向かう。厩舎の裏手にある、質素な平屋。

軒下に干された鞍や蹄鉄が、ここが職住一体の暮らしであることを物語っていた。


台所では、鍋に湯が湧いている。香ばしい匂いが、火元から漂ってきた。


「食いもんは?」


「猪肉が塊で残ってる。焼くだけでいい」


「……贅沢だな」


「滅多に帰ってこねぇ奴には、それくらい出してやるさ」


商人は笑いながら、卓に木の杯を並べる。

男が手際よく肉を焼き、切り分けて皿に盛る。香ばしい油の跳ねる音とともに、夕方の静けさが満ちていく。


ふたりは卓を挟んで腰を下ろした。言葉少なに杯を交わし、焼きたての肉にかぶりつく。

一口めで、商人が声を上げた。


「うまいな。こりゃ、酒が進むわ」


「狙い通りだ」


淡々と返す男に、商人はくすりと笑った。


猪肉の脂が冷めないうちに、ふたりは静かに箸を進める。

風が通り抜け、わずかに扉が揺れた。


杯が二巡ほど回った頃、商人がふと口をひらく。


「……ドラゴン、見たか?」


「いや、音だけだ。風と一緒に、羽の音みたいなのが聞こえた」


「へえ、結構近かったんだな。こっちも噂で持ちきりだった」


「もう城下街まで知られてんのか」


「もちろん。素材目当てで、方々から商人が押し寄せたんだろ? 宿は満室、馬はあふれて厩舎も足りねぇ。お前のとこは、どうだった?」


「裏庭まで使ったよ。地面、まだ跡が残ってる」


「仕事がなけりゃ俺だって買い付けに帰りたかったくらいだよ」


「だろうな。冒険者はずいぶん稼いだらしい。護衛の依頼も山ほど来たって、知り合いがぼやいてた」


「確かに、昼間は冒険者の数もすごかったな。新米からベテランまで、東西から押し寄せてきた。あれじゃ警備兵もてんてこ舞いだ」


「けどまあ、にぎやかなのは悪くない」


厩舎の男はそう言って、また酒を口に運ぶ。

昔からそうだった。多くを語らず、ただ穏やかに、杯を傾ける。


ふたりは幼馴染だった。

片や街に残って馬の世話をし、片や領内を巡って商いを続ける。

数ヶ月に一度、旅商人が街に戻るたびに、こうしてふたりで酒を酌み交わすのが習わしとなっていた。


「今回は、いつまでいる?」


男の問いに、商人は少し考えるそぶりを見せてから返す。


「三日、いや四日くらい。馬具を見て、皮を仕入れて、それからまた南へ」


「次はどこだ?」


「温泉地。ちょうど競馬祭があるらしい。見物も兼ねてな」


「……賭け事はするなよ」


「その台詞、毎回言うな」


「お前はすぐ忘れるからな」


商人は笑い、厩舎の男も口元を緩める。

話題は若い頃の話へと移っていく。裏山で転げ落ちたこと、初めての遠乗りで迷子になったこと。

あの頃の馬はもういないが、記憶は褪せていなかった。


「次の酒も楽しみにしてるから。帰ってこいよ」


男はぽつりと呟き、酒をあおった。

火の前に置かれた瓶の残りが、ゆっくりと減っていく。


夜が深まるまで、ふたりは杯を重ね続けた。

再び旅立つその日まで、静かで確かな時間を分け合うように。

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異世界、とある街、とある生活。 軽座 灰人 @hacktion

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