「絵」のない世界

 これはまだ、実物か音でしか在る「モノ」を伝えられなかった時代。そこは「形」に「音」が付属する世界。山は「山」と呼ばれ、海は「海」と呼ばれた。風も炎も、実物か音でしか伝えることができない。人々は互いに、ただそこに在るモノだったそれに名をつけ音で伝えた。


 あるとき、モノに跡をつける「人」が現れた。彼は、モノについている「跡」は、そこに在ったモノを伝えられる力を持っていることを知る。イノシシの足跡はそこにイノシシが在ったことを伝え、オオカミの足跡はそこのオオカミが在ったことを伝える。彼はそこに在ったモノの跡を描く楽しみを覚えた。「猪」「狼」「鳥」「炎」・・・


 彼の発明した「絵」は絵を知っている者同士において、モノがなくても、また直接会うができなくても、ソレを示す「絵」を描けば時を超えて相手へ伝えることができる便利さを持っていた。その便利さと絵を描く楽しさも相まって次第に広く使われるようになっていった。


 彼は、すべての人へ伝えることのできる「絵」を描こうとし、生涯を終えた。絵を見る人によって伝わり方が変化する悔いを残して。


 後の人々は、モノの跡を伝えられる「絵」や「模様」を神の授けてくれた奇跡と信じ、岩や洞窟に物語を描くようになる。

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