失敗の結末

「おっはよー」


 誉羽は勢いよく教室に飛び込んだ。いつもなら既に学校に居るはずの万智の姿が見えず、首を傾げる。


「あれ、万智まだ来てないの?珍しい」

「誉羽おはよう。万智が遅いなんて初めてじゃない?もしかしてあの万智が遅刻!?すっごいニュースじゃん」


 まだ朝の会まで時間があるため、人の少ない静かな教室では誉羽の大きな声がよく響く。手元のメモ帳から顔をあげ、扉付近にいる女の子が誉羽に答えた。彼女以外は誉羽の声に動揺する事なくそれぞれの手元に集中している。

 誉羽に反応したのは放送部員の奏子そうこ。大きな丸眼鏡が特徴の女の子だ。


「うーん、万智が遅刻?絶対無いよ、だって万智だもん」


 誉羽と奏子が話している扉の反対側から誰かが静かに入ってきた。誉羽は扉に背を向けていた為それに気付かない。しかし誉羽と向き合っていた奏子はその人物に気付き、声をあげた。


「あっ、万智じゃん。おはよう、今日はいつもより遅かったねー」


 扉から気配を薄くして入ってきたのは万智。奏子に話しかけられた万智は体をこわばらせ、不器用に頬をあげた。誉羽は後ろを振り向いて万智に笑顔を向けた。


「万智おはよー!昨日は用事大丈夫だった?間に合った?」

「う、ん。大丈夫だよありがとう」


 万智は視線を彷徨わせ、真っ直ぐ見つめてくる誉羽から逃れるように顔を伏せる。少し返事に詰まった万智を気にする事なく誉羽は万智に駆け寄る。

 誉羽に忘れられた奏子は肩をすくめ、二人の様子を静かに観察する事にした。

 万智は誉羽がもう一度口を開く前に自分の席に荷物を置く。乱暴に置かれた荷物がどさりと音を立てた。


「ごめん、先生に呼ばれてるから」


 普段の万智らしくない冷たい声に誉羽は体を固まらせる。万智は誉羽を意図的に視界から外し、顔を背けながら教室の外に足を進めた。外へ向かおうとする万智に反射的に手を伸ばした誉羽。しかし、喉元まで出かかったものが何なのか分からず伸ばした手を握り込んだ。

 終始二人の視線が交わることはなかった。





 午前中の授業が終わりお昼ご飯の時間になった。

 休憩時間中にも万智と話をしようとしたのだが、日直の万智は授業の準備で忙しく動いていた。そのため誉羽はお昼ご飯なら万智と一緒に食べられるかなと話しかけに行く。


「万智、ご飯一緒にたーべよー」


 頷いてくれるだろうと自分のお弁当を手に話しかけた誉羽。にこにこと満面の笑みで万智に近づく誉羽だが、思わぬ万智の返答に足を止めた。


「今日は別の子と食べる約束してるから、誉羽ちゃんと一緒に食べれないの。ごめんね、じゃあ」

「あっ……そう、なんだ。約束してるなら仕方ないね。万智、お昼休みの時って」


 万智は誉羽が話終える前に背を向けた。まるで誉羽の話を聞きたくないと言外に言われているようで。それ以上万智に話しかけるのをためらった誉羽。明確な拒絶に誉羽の中で一つの仮説が思い浮かぶ。誉羽は頭を振ってその可能性を頭から追い出した。


 

 万智に断られ肩を落とした誉羽がトボトボと自分の席に戻る。俯き悲しげなオーラをまとう誉羽に、奏子が気を遣って話しかけてきた。


「誉羽、今日は私達と一緒に食べようよ」

「うん……」


 返す言葉は小さく、普段の誉羽から考えられないような声の小ささだ。

 いつも通りじゃないっていったら万智もだよなあ、と奏子は誉羽越しに万智を見る。後ろを振り向き、誉羽を心配そうに見つめる万智と目が合った。奏子と目が合った万智は何の反応も起こさず、何事もなかったように姿勢を正す。向けられた万智の後ろ姿からは何も読み取れなかった。

 席をくっつけ誉羽と向かい合わせになった奏子は好奇心のままに誉羽に質問を投げかけた。


「今って誉羽と万智、喧嘩してるの?」

「あ、それ私も思った。いつもは二人ベッタリなのに今日はなんか、よそよそしい?そんな感じ」


 一緒に食べていた女の子も奏子に便乗して誉羽に疑問を投げかける。喧嘩をしている自覚もなく、しかし他に思い当たることもない誉羽は首を捻った。

 歯切れの悪い返事を返す誉羽。誉羽自身、何故こんな状態になっているのか検討もつかなかったのだ。


「喧嘩、は多分してないと思う。やっぱり避けられてるよね、私が何かしちゃったのかなあ」

「うん、私も何かやらかしてるなら誉羽の方だと思う」


 辛辣な奏子の言葉にうう、と顔を伏せる誉羽。べしょべしょと溶けて机と一体化する誉羽は昨日の男の言葉を思い出した。


『あーあ、そんなだから嫌われるんだ』

『今頃やっと離れられるって喜んでるさ』


 もしかして男の言う通り、万智に嫌われた?

 誉羽の胸に一度追い出した不安が顔を出す。ぐるぐると思考が回り、完全に固まった誉羽。他者の介入しない思考は悪い方へ悪い方へと行ってしまった。

 奏子は手を伸ばし、溶けたアイスの様になった誉羽をつついた。


「よーう、誉羽。とりあえずご飯食べよ。誉羽がご飯食べないと心配する人がいるし、ほら手ぇ動かして」

「……奏子お母さん」

「誰がお母さんじゃい」


 軽いやり取りに誉羽はけらけらと笑いをこぼした。半目になった奏子に手を振り、放置していた弁当箱に手を伸ばす。誉羽以外はすでに食べ始めていて、教室は賑わっていた。

 誉羽は今朝母親に作って貰ったお弁当を前に手をあわせた。


「いただきます」

「あらぁ誉羽ちゃん、ちゃんとおてて合わせれるの偉いわねぇ」

「ノリノリじゃん」


 高い声で返事した奏子と電話で話す時に声が高くなる母親が重なり、誉羽は思わず吹き出してしまった。食べる前で良かったと誉羽も皆と同じようにご飯を口へ運ぶ。しかし、他の物と区別するように端に区切られて置かれているそれを見て、段々と箸の動きが鈍くなった。

 誉羽の母は毎日、万智の好きな魚料理を一品弁当に入れるのだ。いつもなら万智にあげていた魚料理を前に誉羽の気持ちはずんと重くなる。


――万智に喋りたくないって思われるくらい嫌われちゃったのかな……もう、ご飯も一緒に食べられない?


 誉羽の胸の中で暗い未来への恐怖が膨れ上がった。口を動かすのも億劫になり、柔らかくなったご飯がなかなか喉元を通らない。先程の万智の拒絶が何度も思い起こされる。万智に拒絶の意志を示された誉羽は自分が万智に嫌われている、という一度否定した仮説が現実味を帯びてきた。


――私、万智と仲良くならない方が良かったのかな


 あの男の言う通り万智が誉羽と遊ぶのを嫌がっていたのなら。誉羽と遊ぶのは大変なことで誉羽と関わらない方を万智が望んだとしたら。ずっと万智の優しさに甘えてしまっていて、知らずの内に誉羽と関わることが万智の負担になっていたのではないのか。そんな思いをさせてしまう自分と万智は友達にならない方が良かったのでは……

 悲観的な言葉が溢れ、誉羽を悪い方へ悪い方へと導く。暗い思考になりかけた誉羽に奏子が眉を寄せながら話しかけた。


「誉羽?急にどうしたの」

「えっと……?どうしたのって、何が?」


 奏子の声にハッとした誉羽は、何か聞き逃してしまったのかと首を傾げた。奏子は怪訝そうに誉羽を見つめる。


「さっき、ほら。自分で言ってたじゃん、万智と仲良くならない方がって。らしくないよ」

「うそ、声に出てた?いや、そうじゃないんだよ。そうではあるんだけど、そうじゃないっていうか」

「どーどー、落ち着いて誉羽。ほら深呼吸」


 誉羽は考えていた事が声にでていたことに気付き、思わず取り乱してしまった。自分でも何を言っているのか分からなくなり言動が支離滅裂になる。

 奏子のかけ声に合わせて息を吸って、吐いて。深呼吸を繰り返すうちに段々思考が落ち着いてきた。奏子の穏やかな声色に感化されるように雲隠れしていた自分の言いたいことが明瞭に見えてくる。

 誉羽はもつれる舌を無理矢理動かした。


「えっとね――」


 自分の胸を占める暗い思いを全て奏子に話した。奏子は、誉羽が話している間も食事をする手を止めずに静かに耳を傾けた。誉羽が口を閉じると奏子はやっと手を止める。

 口の中の物を呑み込み、大きな溜め息を吐いた奏子。誉羽は口に運ぼうとしていた箸を止めて、そんな奏子を怪訝な目で見つめた。

 奏子は誉羽に肩をすくめてみせる。


「まあ、誉羽らしいって言えばいいのかな。ねえ誉羽。本当に万智がそれを言ったの?誉羽と遊ぶのが負担だって」


 幼子を諭す母親のように柔らかな声色で誉羽に問いかける。誉羽は、奏子からの予想外の問いに目を瞬かせた。

 聞いてないかも……いや、でも……

 ぐらついた思考を頭を振って切り替える。誉羽には自分が万智に嫌われたと言える確固たる理由があるのだ。


「だって、私が万智を傷つけて嫌われたって言われたんだよ。それに今日だって全然話せてないし。これって万智に嫌われたって事でしょ?」

「誉羽と万智の間に何があったか分からないけど、そうやって万智の考えを決めつけるのは万智に失礼だよ。万智の事は万智にしか分からないんだから。どんなに仲が良くても話したくない時があるんだよ。ちゃんと万智の考えを聞くまでは万智の事を信じてあげてよ」


 そこで誉羽は、何故奏子が『本当に万智がそれを言ったの?』と聞いてきた理由が分かった。誉羽が万智に嫌われたと言ったのは、公園で会ったあの男だけなのだ。万智から嫌いと言われた訳でもないのに、知らない男の話を鵜呑みにしてしまっていた。奏子の言う仲良しでも話したくない時、がどういう事なのか分からない。それでも、まだ万智に嫌われていないかもしれないという希望が誉羽の瞳を輝かせた。

 誉羽は首が取れそうになるほど激しく振った。


「確かに!私、万智から何も聞いてないのに変な方に考えちゃってたよ!ありがとう奏子。私、昼休みに万智と話してみる」

「いや、ちょっと時間を置こうって。とりあえず今は万智も考える時間が必要なんだと思うし」


 この後すぐにでも……と考えていた誉羽はさっそく出鼻を挫かれた。しょんぼりとした子犬のように見上げてくる誉羽に奏子は片眉を上げるだけだった。

 誉羽に垂れた犬の耳の幻覚が見え、奏子は苦笑する。


「とりあえず、すぐに話しかけに行かないこと!万智と話せそうだなと思ったら話すようにするの」

「はい、先生!万智と話せそうだなってどうやったら分かりますか!」

「万智の観察!これ以外ないよ」


 奏子は腰に手を当てて誉羽を諭す。何度も頷き、誉羽は奏子の言葉を忘れないように繰り返し唱えた。

 ご飯を口に詰め込み、誉羽の頬がリスのように膨れた。もごもごと口を動かし今万智はどんな様子なのかと横目でそっと探る。しかし、居ると思った万智が見つからなかった。体ごと後ろを振り向いて教室を見回す誉羽。


「あれ、万智いない」

「……?そんな事ないでしょ、さっきまで居た……あれ本当だ。万智どこいったんだろ」


 ちゃんと噛まないまま口の中の物を呑み込み、誉羽はむせそうになった。ぽつりとこぼれた小さな声に奏子が首を傾げる。誉羽の体越しに万智がいた場所を見れば、そこには無人の椅子しかない。

 いつ居なくなったのだろうかと奏子は頭を捻らせる。キョロキョロと周囲を見回す誉羽に両肩を上げた。




 お昼休みの時間になっても万智が教室に姿を現す事はなかった。万智と一緒にご飯を食べていた人に尋ねても万智が突然立ち上がり教室を出ていった、という情報しか得られない。

 そのため誉羽が万智の事を再び見れたのは午後の授業が始まる少し前。俯き気味に教室に入ってきた万智を誉羽はちらちらと見ていた。


 そんな誉羽が万智に話しかけたのは授業が全て終わった午後、誰もいなくなった放課後の教室での事だ。

 日直の仕事で黙々と手を動かす万智が何処か具合が悪そうに見えた誉羽。奏子に万智の準備ができてからと言われていたが、動きの悪い万智への心配が勝り誉羽は言われた事を忘れ話しかけた。


「ま、万智。今日の午後から元気ないよね、あの、あの……その、大丈夫?」

「……」


 恐る恐るかけられた声に返事は返ってこない。万智は誉羽をちらりと見ることもなく、帰り支度をする手を早めた。

 誉羽は返事の返ってこない万智に顔をこわばらせた。話しかけない方がよかったのか、いや体調が悪いのかもしれないとしばし葛藤する。


「……」


 万智はそんな誉羽を気にする事なく荷物を手に立ち上がった。そのまま教室から出ていってしまいそうな万智に誉羽は慌てて声をかけた。


「待って、万智。本当に体調悪いなら私、万智のお祖母ちゃん呼んでくるよ」


 しかし扉へと足を進める万智は止まらない。

 言葉を発しない万智に焦れた誉羽が口を開く前に万智が口を開いた。


「一人で帰れるから大丈夫」


 冷たい刃のような声が誉羽に突きつけられた。聞いたことのない万智の冷たい声に伸ばしかけた手を止めた誉羽。真っすぐ伸びた背中に誉羽は今まで感じたことのない孤独を覚えた。

 視界から消える背中を追うように誉羽はばたばたと教室の扉をくぐる。遠ざかる背中に声に声をあげた。


「待って、待ってよ万智。顔青いよ、無理しないほうがいいよ」


 万智の綺麗な歩みは止まらない。頭がつーんと痺れ、何かが零れそうになる目元に力を入れた。懇願するように離れる背中に情けない声をかける誉羽。


「万智、まって、待ってよ、ねぇ」


 唇が痛むほど噛みしめる。追いつけない背中に誉羽の足が止まった。滲み出した視界越しに万智を見る。誉羽の視線が外れる事はなかった。

 

「万智、どうして見てくれないのぉ」


 それでも万智の歩みは止まらない。角を曲がり万智が視界からいなくなる。誉羽は俯き胸元の服をきつく握りしめ、シワをつくった。

 どうして、と小さく呟く誉羽に答える者はいない。

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