1/2大人

色伊たぁ

親しき仲こそ礼儀あり

「「ハッピーバレンタイン!」」


 バレンタイン、それは世の中の乙女が一喜一憂する甘酸っぱい日である。浮き足立つその日に誉羽よう万智まちは公園に集まっていた。学校にお菓子は持ち込めないため、放課後にチョコ交換会をする事になったのだ。

 

 ベンチに座り、互いにラッピングされたチョコを差し出す。誉羽の包装は所々くしゃくしゃで、長さの揃わない蝶結びが不恰好にチョコを飾っている。それに対して、万智はよれ一つ見当たらない包装紙で全体をきっちり包んでいた。外側を紙で覆われているため万智のチョコはどんな物が入っているのかまだ分からない。

 誉羽は期待に目を輝かせ、弾んだ声で万智に話しかけた。


「万智のこれすごくお洒落だね!開けて中見ても良い?」

「うん、チョコ少し失敗しちゃったんだけどね。誉羽ちゃんに喜んで貰えるといいな」


 万智は誉羽の喜びぶりに目元を緩めながら自信なさげに頷いた。瞳に期待と不安を浮かべた万智が、体を揺らす誉羽を見守る。

 綺麗に包装されたそれを丁寧に解いていく。周りの紙を巻き込みながらなんとか包装紙との戦いを終えた誉羽。誉羽の手元に現れた深窓のチョコには一人のキャラクターが描かれていた。

 見覚えのないキャラクターに首を傾げる誉羽に万智が恐る恐る口を開いた。


「誉羽ちゃんが好きなキャラを描こうと思っていたんだけど調べても出てこなくて。分からなかったから同じ名前の子にしたの。人を描くの難しくて今年は一個だけになっちゃったんだけど……どう、かな?」

「え!これ万智が描いたの!?すごい、どうやったらこんなに上手に出来るの?私だったら絶対顔潰れてる。万智すごいね!」


 数週間前に誉羽は万智に好きなキャラを尋ねられていた。バレンタインのチョコにそのキャラを作ると聞いていた誉羽は今日を楽しみにしていたのだ。

 チョコにプリントしてくれるのかな?と誉羽は想像していた。しかし実際に手元にあるのは手描きの線で、輪郭が歪だったり左右で目の大きさが違っていたり。万智の努力を目にした誉羽は、期待していたキャラじゃなかったという残念がる気持ちなど一つ残らず吹き飛んだ。

 万智は誉羽の反応が予想よりも良かったのか、ほっと息を吐く。すごいすごいと声を上げる誉羽を横目に万智は手元に視線を落とした。

 誉羽も万智の視線を辿って目線を移す。万智の手元には誉羽の不揃いなチョコが並んでいた。


「誉羽ちゃんの、これ、熊?かな。熊のチョコもすごく可愛いね。一人一人かぶってるものが違うの面白い。食べるの迷っちゃう」


 自分のこだわりを褒められた誉羽は胸を張り鼻を高くした。


「でしょう。端っこの本を頭に付けてるのが万智で、横の葉っぱを頭に載せてるのが私だよ!味見したし、美味しかった!食べて食べて!」

「うん、どれから食べようかなぁ」


 数種類ある熊の上を万智の指がさまよう。口元を緩めながらどれを食べるか迷う万智を見て誉羽も頬をゆるませていた。しばらく逡巡していた万智は一匹の熊を手に取った。シルクハットをかぶった熊は凛々しく顔を引き締めている。

 万智が食べる熊を手に取ったのを見て誉羽も手元にあるそれを口元に運んだ。


「いただきまーす」

「美味しそう。いただきます」


 ぱりっ

 誉羽は遠慮なくキャラの頭から食べた。チョコの濃厚な艶が誉羽の口の中で広がる。味覚を占領するチョコの海に溺れそうになる誉羽にさっと救いの手が差し伸べられた。

 チョコの海に揺蕩っていた誉羽に甘酸っぱい何かが乗り込んできたのだ。


「ん!伏兵がいる!何だろ、これ。苺?万智、ここ苺のスパイがいるよ!」

「んむ、誉羽ちゃんスパイって、ふふ。ピンクの所あるでしょ?苺味のチョコ使って色をのせてるんだよ」


 万智は思いも寄らない誉羽の言葉にチョコを詰まらせそうになる。慌てて口の中の物を呑み込み苦しげに言葉を返した。

 口に力を込め肩を震わせながら笑いを堪える万智。しかし、くるくると変わる誉羽の表情に笑いを堪えられなくなり吹き出してしまった。万智は顔を背けて静かに笑った。

 笑い続ける万智に気付いた誉羽は唇を尖らせる。


「ま~ち〜〜〜、笑いすぎだよ!スパイみたいにいきなり現れたんだもん、びっくりしちゃったの!でも、これすっごくあまーくてとろーっとしてて美味しい!さすが万智」

「ほんと?ちゃんと美味しくなってて良かった。誉羽ちゃんのチョコも凄く美味しいよ。中にピーナッツが入ってるのかな、食感が違って面白かった」


 互いに褒めあい、誉羽は残りのチョコを一口で頬張った。リスみたいに頬を膨らませた誉羽を見て万智は笑みを浮かべる。誉羽も舌の上に広がる幸せの味に頬を上げた。

 二人揃って口を動かす。すぐに溶けてしまったチョコを名残惜しげにしつつ、誉羽は口を開いた。


「あー美味しかった!チョコでキャラ描くって絶対難しいのに万智すごいね。開けた時知らない子だったからびっくりしたぁ。ちょっと残念だったけど凄く美味しかったよ!ありがとう万智」

「え……う、うん。どういたしまして……」


 万智の口元が引きつる。なんとか口角を上げようとして失敗し、何かを葛藤するように顔を伏せた。誉羽は地面を舞う落ち葉を見ていてそんな万智の様子に気づいていない。

 温度差の違う二人を呆れたように見つめる瞳が遠くから覗いていた。


「私が好きなキャラが良かったんだけど可愛いいし満足!同じ名前の子って何の作品の子?ちょっと見てみたいかも」

「……」

「万智、どうしたの?お腹当たった?大丈夫?」


 万智の様子にようやく気付いた誉羽。万智の不審な様子を目にした誉羽は、気遣わしげな表情で万智を下から覗きこんだ。俯いている万智の顔を前髪が隠し、その表情を窺い知ることはできない。

 様子のおかしい友人を心配し、再度誉羽は話しかけた。


「万智大丈夫?お腹痛いの?私、お祖母ちゃん呼んでこようか」


 そっと手を伸ばし万智の背中を撫でる。しばらくそのまま撫でられていた万智は唐突に席を立った。ようやく見えた日に焼けていない白い顔は酷く青褪めていた。強く唇を引き結んで目元にしわが寄っている。顔を歪めた万智が泣きそうになっている事に誉羽は気付けなかった。

 再び手を伸ばそうとした誉羽に背を向ける万智。


「……誉羽ちゃん、ごめんね。ちょっと用事思い出したから先に帰るよ」

「え……あっ、また明日ね、万智!」


 硬い声でそう告げた万智は誉羽の返事を待たずに駆けだした。誉羽は遠ざかっていく背中に首を傾げる。手元の万智から贈られた包装紙が風に揺られ、がさがさと音を立てた。


「万智どうしたんだろ。もしかして予定あったのに引き留めすぎちゃったのかな」

「ブッ」


 ポツリと呟く誉羽の後ろから堪えきれなかった嗤いが響いた。他の人がいると思っていなかった誉羽は飛び上がり、勢いよく後ろを振り返る。木陰に紛れるようにその男はいた。

 顔半分を覆い隠すボサボサの髪に伸びっぱなしの不揃いな髭。厚手のコートに身を包んでいるのによれよれのジャージから覗くのはサンダルに包まれた素足。季節感がばらばらの格好に誉羽はその男を変な人だと感じた。

 誉羽が振り返っても男は気にせずに肩を震わせる。男の止まらない笑いに誉羽は口を尖らせ、不満気に眉を寄せた。


「変なおじさん、どうして笑ってるの?変だよ」


 男はなおも肩を震わせ続け、誉羽の言葉を無視する。誉羽が頬を膨らませ癇癪を起こしそうになった頃、ようやく男は笑いを止めた。口端を吊り上げながら誉羽を嘲るように口を開く。


「はっ、ガキが何をほざいてやがる。お前の幼稚で馬鹿な発言のせいであの友達が傷ついたんだぜ?加害者のお前は無自覚ときた。哀れで哀れで笑わずにいられるかっての」

「なっ」


 男の口から飛び出す暴言に誉羽は声を詰まらせた。普段クラスメイトの男子が口にするよりも攻撃的な言葉。それに混じる鋭利な刃物にわけも分からず切りつけられて。

 胸中では自分を幼稚で馬鹿と呼んだ男への不満が溢れだす。いきなり暴言を吐かれたという恐怖よりもそれに対する不満が勝った。

 何を言われているのか半分も理解できなかったが、自分が馬鹿にされていると感じとった誉羽。肩をいからせながら胸も声も精いっぱい張り上げて、衝動的に男に噛みついた。


「私もう四年生なんだから!グループの班長にもなったし先生にもテストで褒められるんだよ。幼くないし馬鹿じゃないもん!」

「何言ってんだお前。あーあ、そんなだから嫌われるんだ。お前がこんなに幼稚で馬鹿で検討違いの勘違い野郎であいつは大変だっただろうぜ?今頃やっと離れられるって喜んでるさ」


 叩けば叩いただけ出てくる古い布団の埃のように男は荒々しい言葉を吐く。完璧だと自負した返しは男にすげなく否定された。

 ムキになった誉羽は売り言葉に買い言葉で考えるよりも先に口を出す。


「そんな事ない!万智がどうして私を嫌いになるの?おじさん、そうやって人を虐めるのってダメなんだよ!」

「いーや、ありゃ百パー嫌われたな。いい加減現実を見たらどうだ?」

「!!!!!ふんっ」


 どれだけ話しても一貫して変わらない男。誉羽は顔を背けることで会話を強制的に終わらせた。不満がありありと顔に表れており、隠しもしないその様子に男は口元を歪めた。

 誉羽の中で自分は何も間違っていないという無根拠な張りぼての自信が渦を巻く。頭に血が上り荒い息を吐く誉羽に男の声は届かない。

 これ以上此処にいても男に馬鹿にされるだけだ。

 そう考えた誉羽は帰宅の途につく。勢いよくベンチから飛び降り、包装紙をポケットに乱暴に突っ込んだ。どすどすと足音を立てて歩き、周囲に砂埃が立つ。

 もうすぐで公園から出るという所で誉羽は後ろを振り向いた。


「じゃあね!サイテーなおじさん!」


 最後に舌を出して誉羽は公園を後にした。男の興味は誉羽から景色へと移っており、誉羽の言葉に何の反応も示さなかった。



▷○◁



――あんなおじさんの言うことなんて聞かなければ良かった!


 自宅のベッドに寝転がり、先程の公園での出来事を思い出す。

 変なおじさんは私が万智に嫌われたって言ってたけど、そんな事あるはずない。だって、万智はずっと笑顔だったんだから。優しい万智の様子から何を勘違いしたら私を嫌ったって言えるの?あのおじさん意味分かんない!

 今日も学校で遊んで放課後にチョコを交換して。こんなに仲良しなんだよ?喧嘩だってしていないのに。

 きっと私達の事をよく知らなくておじさんが勘違いしただけなんだ。先生も勘違いで人を傷つけちゃダメって言ってたし、あのおじさんが間違ってる!うん、そうに決まってる。人を傷つける言葉も使ってたしね。

 それにしても万智のチョコ凄かったなぁ。チョコペンで縁取りしてて、やっぱり万智器用だよね。それに部位で使う色変えるの絶対大変だよね、私だったら……うん、多分全部一色でやってるな。でも、万智みたいにキャラ描けたら絶対楽しいよね。

 ……ああもう。変なおじさんの事が頭から離れない!人に嫌われるのって絶対おじさんの方だよ。あんな言葉遣いしてる人と仲良くなりたいって思わないもん、私。私だったら万智に乱暴な事言わないし睨むとかも絶対しない!


「誉羽ー!ご飯の準備手伝ってー!」

「はーい!」


 考えていたらいつの間にか日が落ちて部屋が暗くなっていた。お母さんに呼ばれたから下に降りなくちゃ。

 あれ、そういえば先生は勘違いで人を傷つけちゃダメって言った後、何て言ってたっけ。うーん、思い出せないし明日万智に聞こっと。

 あのおじさんは嫌われたって笑ってたけど、私と万智だよ?そんなのありえないもん。明日だっておはようって挨拶したら絶対おはようって返してくれる。


「誉羽ー、早くー!」

「今行くー!」



 勉強机の上に置いた包装紙がかさりと音を立てた。もう食べ終わったのに、食べたチョコの甘みが舌の上にずっと残っていた。

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