第6章 日輪の対決

 闇の中、伯爵の声が響いた。


 「ようやく辿り着いたか。シャーロック・ホームズ――人の理の頂点に立つ男よ」


 音のない空間に、ホームズとワトソンの呼吸だけが浮かぶ。


 「“知っている”ような口ぶりだな、伯爵」


 ホームズの声は静かだった。


 「そなたの名は、我が眷属の血を通じて聞いた。理性で全てを見通す者……されど、夜の王には通じぬ」


 ワトソンが拳銃を構えたまま、声を上げた。


 「なぜこんなことを? なぜ人を攫い、血を啜る!? 何のために!」


 その問いに、伯爵は笑った。


 「人は血を糧にして生きる。我らもまた同じ。違うのは、命の長さと“夜への帰属”だ」


 その言葉と同時に、部屋の中央――漆黒の棺が、音もなく開いた。


 立ち上がるのは、まぎれもなくドラコウレス伯爵。


 だが、前に見た姿とは違っていた。

 髪は風もないのに靡き、体からは薄黒い霧が立ち昇る。瞳は深紅に染まり、背中にはまるで蝙蝠のような影が揺れている。


 「我は“不死”だ。そなたらの時間とは違う河を歩んでいる」


 「不死か……」


 ホームズが歩み出た。


 「ならば、私は不死なる論理で、お前を崩してみせよう」


 伯爵の眼が細まる。


 「面白い。ならば答えてみよ、人の子よ。――“命”とは、何だ?」


 「選択だ」


 ホームズは即答した。


 「命とは、自由意志による選択の連続だ。お前は、他者からその選択を奪った。だからお前は“生きている”のではなく、“支配している”だけだ」


 伯爵の表情がわずかに揺れた。


 「貴様……」


 その瞬間、部屋の隅から光が差した。


 ワトソンが取り出していたのは、特殊な鏡――光学レンズで構成された反射装置だった。

 設置された仕掛けが、館の天窓から差し込む月光を増幅し、壁に反射させていたのだ。


 「ホームズ……今だ!」


 伯爵が叫ぶ。


 「貴様ら、何を――」


 だが、鏡の反射が棺の銀装飾を照らした瞬間――

 棺が内側から激しく燃え上がった。炎ではない、光の熱。それは、伯爵の存在そのものを焼く光だった。


 「ぐ……おおおおおおおおおおッ!!」


 伯爵が苦悶の声を上げ、身をくねらせる。

 その肌が裂け、影が剥がれ、血が霧のように空中に散った。


 「ワトソン、銀杭を!」


 「任せろ!」


 ワトソンが背負っていた革鞄から取り出した杭――それをホームズが受け取り、渾身の力で伯爵の胸元へと突き立てた。


 「――理性の名の下に、貴様を封ず!」


 杭が深く刺さり、伯爵の体が硬直する。

 次の瞬間、黒い炎のような霧が周囲に巻き起こり、彼の体は崩れ始めた。


 「ぐ……ぅ……夜が……終わる……我が眷属よ……目覚め……る……な……」


 そして、伯爵は消えた。

 声も、体も、影すらも。まるで、最初から存在しなかったかのように。



 館の地下室に戻ったとき、棺の中で眠っていた女たちはすべて、静かに目を閉じていた。

 脈も、体温も正常に戻っていた。


 「解放されたんだな……」


 ワトソンが呟く。


 「奴が“核”だった。支配の中心が消えれば、支配された者も戻る。理に適っている」


 ホームズは淡々と答えたが、その声にはどこか安堵が滲んでいた。



 地上に出ると、霧は晴れていた。

 朝焼けが街の輪郭を照らし始め、ロンドンが再び“現実”の姿を取り戻していく。


 ベイカー街へ戻る馬車の中、ワトソンはホームズに尋ねた。


 「……あれは、本当に吸血鬼だったのか? それとも、狂気が作り出した幻だったのか?」


 ホームズは少し考えてから、答えた。


 「どちらでもいい。重要なのは、“人が何を信じるか”だ。そして私は、理性によって闇に勝てると信じている」

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