第28話 潮騒と波間

喫茶ベルディはおじさんの見立てを外し、予定通りオープンした。


「あら、こんな時間にお客さんね。珍しい。嵐でも来るんかしら」


おそらくおじさんが言っていた噂好きの奥さんだろう。開店時間までしばらく店の外で待機していた二人を見て驚いている様子だった。


「おはようございます。朝早くからすみません。僕たちさっき港町に着いたもので、おなかを満たせる場所がないか探していたんです」


「いいやぁ、開店時間なんやから全然ええよ。外暑かったろう。早う入りんさい」


暖かく出迎えてくれる奥さん。


「ありがとうございます」


二人は喫茶ベルディに入った。


「はぁ。井戸子ちゃんの友達ねぇ」


もうこれが一番早いと思った。わざわざ井戸子の素性を隠して話すよりも、はなから自分たちを井戸子の古い友人であると伝えることで、井戸子に関する情報が得られると思ったのだ。


井戸子がもし自分たちより先にこの街に来ているなら彼女は真っ先にそれを話題にあげるだろうし、井戸子祭りというものについても気になる。


「でもいつのまに友達なんて作ってたんだか」


「?」


「あなたたち都市部の方の人たちでしょう。この港に外の人たちが来ることは結構珍しいことなのよ。港の人たちはあまり外の世界の人たちと交流を図ろうとしないの。だからこの町のほとんどの人たちが港の中で一生を終える。別に外の世界と繋がりを図ることが禁忌とか言うわけではないんだけど、そういう事例や歴史が少ない町だからみんな自ずとそれに準じて生きているのよ。井戸子ちゃんは違ったけど」


「井戸子は他のみんなと違っていたんですか?」


「そうね。あの子はなんていうか、この町に居続けることを窮屈に感じていたんだと思うの。高校を卒業してからは都市部の大学に受かって、その春からは港を出ていくつもりだった」


「つもりだったということは、井戸子はその前にもう……」


「えぇ。震災によって命を落としてしまった。一人の女の子を守るために自分が犠牲になってしまったらしいわ」


「それで若くして亡くなったという……」


「そういうことやね」


出されたての麦湯が揺らぐグラスの周りを水滴が流れ落ちていく。それを少しずつ飲み、口を湿らせる。緊張からか口がよく乾く。


「ところであんたたち明日の祭りには参加するつもりなんやろ?」


「芦戸居井戸子祭ですか」


「そや。英雄である井戸子ちゃんの誕生日を毎年町のみんなで祝う。それに意味があるんかは私にはわからん。本人に届いてるかどうかも。それでもきっとないよりはマシなんだってみんな思ってる。きっと喜んでくれるはずやって信じて。信仰っていうのはそういうもんやからな。あんたたちも一緒に出てやってくれたら、きっと井戸子ちゃん喜んでくれるで」


「ありがとうございます。ちなみにもう一つ」


「ん?」


「井戸子が生前よく行ってた場所とかわかりますか?場所が分からなかったら実家とかそういった情報でもいいんです」


「確か圭介達と仲良かったな。圭介いうんわ今この町の町長やっとるおっちゃんでこの店のある場所からもう少し階段上って左に逸れたところに表札が出とるわ。あとは、井戸子ちゃんが亡くなったって言われとる海岸やな。生前、未央ちゃんていう女の子とよく貝殻拾いに行ってたそうや。この女の子が井戸子ちゃんが助けた女の子でな、まぁそれはええか」


「ありがとうございます」


「でもそんな井戸子ちゃんのこと探ってどうしたん。友達やいうから井戸子ちゃんのこと結構知っとる仲やと思ってたのに」


「あぁ、まぁそうなんですけど。僕たちそんなに付き合いは長くなくて、その、最近訃報を知ったくらいには彼女のこと何も知らなかったので今更ながらこの町に来たんです」


「もう四十年も前になるで。井戸子ちゃんが亡くなったの。それでもこうやって足運んでくれる人がおるなんて、本当に慕われてたんやな」


「祭りが開催されるくらいですもんね」


「あんたら祭りみたらほんまびっくりするで。井戸子ちゃんの友達も、会ったことない人までみんなが井戸子ちゃんに感謝を送るんやから」


奥さんがどんどん楽し気に話しているのを見てなんだかまた一つ心が温かくなった。追って残りの焼き飯と麦茶を頬張り、店を出る。まず向かうとしたら圭介というおじさんのところだろうか。





『ピンポーン』


昼時の玄関先にインターホンが虚しく響く。誰も出てこない。留守だったか。


「その圭介さんって人ももしかしたら漁業に出てる人かもしれないわね」


「そうだな。今はみんな漁に出ているのかもしれない」


「ねぇ、海に行ってみましょう。井戸子ちゃんが生前よく行ってたっていう」


「そうだな。先にそっちを当たってみよう」




奥さんから教えてもらった位置をマップで確認しながら進む。家々が立ち並ぶ路地を抜けるとやがて防波堤の奥に広がる地平線の下に黄色い砂浜がちらちらとその姿を見せていた。


「ここか……」


「えぇ。いい場所ね」


朝比奈は早速靴を脱ぎ、浜に足裏を下ろした。


「おい、熱くないか?」


「平気よ。カルロも脱いでみたら?砂浜のぬくもりを直に感じられて気持ちいいわよ」


「……。気が向いたらな」


ざぱざぱと音を立てる波と砂浜をしばらく歩き、その場に座り込む。まぁ、そう簡単に見つかるわけはないんだけどさ。


「もうお手上げ?」


「……。朝比奈」


「?」


「本来寿命の決まっていた死人を蘇らせるってのは倫理的に正しいと思うか?」


「……」


「どんな理由があれ亡くなってしまったらそれがその人の人生であり、その最期は運命に過ぎない。それを無理やり変えてしまうことは、果たして本当に正しいことなのかな」


「私は、正しいと思う。でもそれは同時に誰かにとって間違っているとも思う。きっとそれを決めるのは法でも倫理でも、あなたの正義でもないよ。大事なのはあなたの気持ち、私の気持ち、井戸子ちゃんの気持ち。何を基準に慕って正解も間違いもないからこそ、私たちは悩める。間違いを正そうとしたり、その正しさが後に間違いだって気づくこともある。それは結局自分の中の信念に過ぎなくて、誰かに決められることではないのだけれど、それが私たち人間を形成している本質なんじゃないかなって思うのよ」


「その為なら噓をついても構わないと」


「あなたが先についたんでしょ?私は後からその判断もありかもなって思っただけ。現にあなたの嘘が原因で私はアナウンサーの仕事を手放した。ずっと憎んでた。学会も学者も論文を発表した元の人間が裁かれなくて何でそれを間接的に報道した私たちが裁かれるんだろうって。変な職業だなって思った。でも、その嘘にも理由があったなら今の私は少し工程できるなって思ったんだ。井戸子ちゃんのため、カルロの相方さんの息子さんの為。そこに共感の余地があったから私は今あなたたちに協力している。そうなるまでの工程には間違いだって思うことが山ほどあった。でも今こうしている私を、私は間違っているとは思わないな」


「結果良ければすべてよしってやつか」


「その言い方は意地悪」


「でもそうだろ?」


「そうだけどやっぱりあなたってデリカシーないわよね。やたらとロマンを主張する癖に」


「余計なお世話だ」


「ふふっ。そうかもね」


二人を照らす陽の光が地平線を往くカモメの背を遠目に見つめていた。波音だけが聞こえ、終いには微睡んでゆくのを二人は長い間ゆったりと聞いていた。

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