第1話:王都への旅路に迫る影

 王立ヴィタルナ魔法学園が送り寄こした魔法馬車は、馬も御者もなしに石畳を滑るように進む。新入生の送迎には過剰と思えるほどの装飾が施されたその馬車の中には、銀青の三つ編みを揺らす15歳の少女、イルミナ・セラヴィスが一人座っていた。

 白と青を基調とした真新しい制服を着て、膝の上で白いベレー帽をぎゅっと握りしめている。


(はぁ……)


 他に誰もいない空間では、少しのため息も大きく響いたらしい、隅に置いていたトランクケースの隙間から、白いぬいぐるみがひょっこりと顔を出した。トナカイのような耳がピンと立ち、小さな手を振る。


「またですか、ルミナ。ため息の回数を数えてましたけど、そろそろ世界記録ですよ? 幸せが逃げるともいいますし、そろそろ気をつけた方がいいんじゃないですか」


 軽快な声で言うのは、相棒のシェルカだ。イルミナは苦笑いを返すが、心の曇りは晴れない。

 シェルカが喋りだし、学園への入学状が届いた日。あれから5年、街の賢者である師匠の指導のもと、少しずつ魔法について学んだが、いまだに自信を持てずにいた。あの赤い閃光への恐怖が、砕けた水晶の破片のように、今も心に突き刺さっている。


「ちゃんと……できるかな」


 手にした帽子をそっと撫でる。母の笑顔が、ひどく遠くに感じられた。


「なぁに、ルミナなら大丈夫ですって 。あのおばさんのスパルタ訓練を耐え抜いたんですから、学園の授業なんて朝飯前ですよ!」


 シェルカは馬車に他に人がいないのを良いことに、鞄から這い出して体を動かしながら軽やかに言う。


「……師匠をそんな風に呼んだら、また魔法で飛ばされるよ?」


 イルミナはくすりと笑う。師匠がシェルカを空高く放り投げた記憶が蘇り、ほんの一瞬、胸の重さが和らいだ。


「嫌なことを思い出させないでくださいよ! あの鬼賢者め……次に会ったらときはもう飛ばされませんからね!」


 短い両手を振り回し、憤慨するシェルカ。


「大体あの人は『イルミナが実技ならお前は座学だ』なんていって、本をあれよこれよと積み上げるんですから! わたし、潰れちゃいましたよ? 体の綿が偏ったらどうしてくれるんですかね?」


「自分から読みたいって言ったんじゃなかったっけ?」


 イルミナは微笑みながら返す。矢継ぎ早に喋り続けるシェルカをぼんやりと眺めながら、イルミナは家族や師匠との別れを思い出していた。




 ──セラヴィス家の前。


 青と白の制服に、金色の装飾が派手すぎると思ったが、魔法学園の制服とはそういうものだと慣れるしかなかった。そんな制服に合うようにと、母が手作りの白いベレー帽子をイルミナの頭に乗せ、優しく抱きしめた。銀青の長い三つ編みが揺れる。


「ルミナ、あなたなら大丈夫よ」


「……ありがとう」


 幼い頃は床に伏せがちだった母も、最近は体調の良い日が増えた。きっと、自分がかけていた心労が原因だったのだろう。もう心配はさせまいと、イルミナは母を強く抱きしめ返した。


「シェルカ、ルミナを頼んだぞ」


 父が、イルミナの肩にしがみつくぬいぐるみを撫でながら告げた。


「任せてください、お父様。わたしがちゃんと見守ってますから」


 肩の上のシェルカは小声ながらどこか誇らしげだ。


「あら、あなたも私たちの家族よ。二人で元気に過ごすのよ」


 母は顔をあげ、イルミナとシェルカの頬に、それぞれキスをした。シェルカは硬直し、珍しく照れたのか、シェルカはイルミナの肩に顔を埋めてしまう。


「ああ、二人でまた帰ってくるんだぞ」


 続く父の言葉。二人の温かい気持ちが、イルミナの心に染みていく。我慢していた涙が滲んだ。


「おい、イルミナ! そんな情けない顔で旅立つ気か?」


 聞き慣れた威圧的な声に振り返ると、大きな帽子を被った長身の女性が立っていた。魔法葉巻をくわえ、鋭い目でイルミナを見据えている。


「師匠……! 見送りには来ないって……」


 イルミナは慌てて涙を拭い、師匠に駆け寄る。背筋が自然と伸びた。


「ふんっ、気が向いただけだよ」

「そういうのを異国の文献ではツンデレって……イタッ!」


 師匠はシェルカを指で弾き、黙らせると、そっとイルミナの耳元に唇を寄せ、囁いた。


「約束は覚えてるな?」


 ──約束。『シェルカが生きているということを、他人に知られるな』


 あの時の師匠は、いつもとは違う雰囲気をまとっていて、とても強く印象に残っていた。


「……はい」


 イルミナは頷く。

 結局、理由を教えてはくれなかったが、何か深い意図があるのだろう。5年間、お世話になった彼女はそういう人だと思う。約束は必ず守りたい。

 肩に突っ伏していたシェルカも、こくこくと小刻みに頭を上下させている。


 それを見た師匠は、少し表情を緩めた。イルミナの頭に自分の手を置き、帽子ごとぐるぐると撫で回す。


「まっ……私の教えを忘れなければ死にはしないさ。それと、……餞別だ」


 師匠はシェルカを持ち上げると、取り出した首輪をその首に付けた。小さなベルがついている。


「なんです? これ」


 シェルカがキョトンとした雰囲気で尋ねる。


「そのベルは魔道具だ。念じれば、お前はイルミナの頭に直接言葉を届けられる。まあお前が使うんじゃ、かなり近い相手にしか使えないだろうが。無いよりはいいだろう。使い方は……わかるな? “そういう本”は読んだはずだ」


 きっと約束を守るために用意してくれたのだろう。シェルカは聞こえないほど小さな声でお礼を言った。


「お前にはこれだ」


 師匠は、イルミナの帽子に水色の小さな飾り布をつけてくれた。


「私の故郷のおまじないだ。魔法のかかってない、ただの子供だましさ。お前は好きだろ、こういうの。……気をつけていけ」


 そう言うと、師匠は踵を返し、背を向けたままひらひらと手を振って去っていく。イルミナはまた泣きそうになるのをぐっと堪えた。遠くなる背中に深々と頭を下げ、両親の元へ戻る。


「さあルミナ、最後に顔をもう一度見せてちょうだい?」


 母の言葉に、イルミナは零れそうな涙を拭い、精一杯の笑顔を作った。


「いってきます!」




(……なんて、思い出したところで別に不安は消えないけど)


 イルミナのため息が再び馬車の中に響く。


「ほーら、またカウントアップ! 世界新……」


 シェルカが冗談を言おうとしたその時、魔法馬車が停車した。


(誰か乗ってくるかも!)


 イルミナは慌ててシェルカの頭を鷲掴み、鞄に押し込んだ。


「むぎゅっ!」


 ここには自分一人だ。会話が聞かれてないことを祈るしかない……。


「……あれ?」


 しかし、しばらく待ってみても、誰かが入ってくるような気配はなかった。


「痛いですよルミナ……頭を持つときはもう少し優しくですね……」


 もう人は乗ってこないと判断したのか、鞄の中のシェルカが小声で訴えてくる。


「う、うん……ごめん。でも……」


──その時、遠くから叫び声のようなものが聞こえた気がした。


「何事です!?」


 シェルカは鞄から頭だけ覗かせ、小声で叫ぶ。


「外でなにか……?」


 恐る恐る、魔法馬車から降りてみる。すると、少し先の街道で大きな馬車が横転し、荷物が散乱しているのが見えた。人々の悲鳴の中心には、ゆらめく黒い霧──。


「ヤミクイ……!」


 師匠から習った、人の生命力を喰らう化物。黒い霧をまとった人型の体には、赤黒い結晶が不気味に脈打ち、時折、その下に大きな口が覗く。


(それに……あれは……?)


 脈打つ結晶の鈍い光は、なぜかあの赤い閃光の記憶を呼び覚まし、思考が鈍る。


 その間にも、ヤミクイに立ち向かっていた青年が長い腕に弾き飛ばされ、石畳を転がった。馬車の影に隠れる人々の悲鳴が辺りに響く。


(あの人達が危ない! なんとかしなきゃ……! でも、本当に私に出来るの……?)


 予想だにしなかった突然の実戦を前に、足がすくんでしまう。その時、肩に柔らかな衝撃があった。


「イルミナ、しっかり! あなたはこの五年間、何のために修行してきたんですか!?」


 イルミナの肩へと飛び乗ったシェルカが叫ぶ。普段とは違う真剣な声が響く。


「あなたの力は、誰かを傷つけるためのものじゃない……でしょう?」


 その言葉が、凍りついていたイルミナの背中を押した。


「……うん、そうだよね」


 帽子を被り直し、師匠の飾り布に触れる。深呼吸を一つ。


「……ありがとう。やらなきゃ!」


 震える手に意識を集中させ、師匠の言葉を反芻する。『魔法に大事なことは集中とイメージ、それと……気合いだ』


 手を中心に白銀の魔法陣が浮かび上がり、イルミナの手元に棒状の塊が緩やかに現れていく──物質創造の魔法。魔力を物質に変え、イメージを形にする魔法だ。

 やがて魔法陣の輝きが消えると手元には細身の直剣が現れていた。


 完成した剣を軽く握り、出来を確かめる。問題ない。


「……大丈夫、行こう!」


 イルミナは馬車の影から飛び出した。石畳を蹴り、駆ける。

 走りながら、剣に追加の魔法をかける。再び白銀の魔法陣が輝き、今度は剣を撫でるように動いた。すると剣はイルミナの手を離れて宙に浮かび、彼女の背後を追うように付き従った。


 その時、再び悲鳴が上がる。ヤミクイが腕を伸ばし、一人の女性を締め上げていた。捕まった人の顔から、見る間に生気が失われていく。


『いけません! まずは腕を!』


 シェルカの声が頭の中に直接響いた。──師匠のベルの力だ。


「わかってる!」


 手をかざすと、宙の剣がイルミナの動きに連動して鋭い弧を描き、ヤミクイの腕を斬り飛ばした。腕は女性もろとも地面に落ち、霧となって消える。

 ヤミクイは傷口から黒い霧を吹き出し、怯む。赤黒い結晶がグロテスクに脈打った。


「や、やった!?」

『効いてますよ! 次は結晶を!』


 シェルカの声に応えようとした瞬間、ヤミクイが胴体の大口を開き、こちらに向け絶叫を放った。聞いたこともない不気味な音に、イルミナの体が強張る。

 恐怖と、結晶から放たれる赤黒い光が呼び覚ます過去の光景が、イルミナの動きを鈍らせた。


(え……!?)


 突如、ヤミクイの残った腕が黒い鞭のようにしなり、イルミナに迫る。


『防御!』


 頭に響くシェルカの叫びに、咄嗟に魔力を集中させる。──『防御はシンプルに、硬く、早く!』


 再び創造する。小さな魔法陣から、金属の光沢を放つ飾り気のない円盤がイルミナの前に現れた。


 直後、黒い影の鞭が勢いよくぶつかる。円盤が吸収しきれなかった衝撃を、イルミナは腕でなんとか受け止めた。円盤の盾はひしゃげ、光の粒子となって消え去る。


「ーーっ!」


 腕に痺れが走るが、直接触られたわけではない。


(防げた……!)


『よくしのぎました! 腕をもう一度!』


 剣に意識を向け、薙ぎ払う。だが、今度は鞭の弾力で軽くいなされ、逆に剣は弾き飛ばされて横転した馬車に突き刺さってしまった。


『速く戻して!』


「だめっ……!」


(無理に引き戻したら馬車が壊れちゃうかも……!)


 判断を迷った一瞬の隙。ヤミクイは醜い大口を開け、イルミナめがけて突進してきた。


 黒い霧が迫る。


 イルミナは魔力を集中。今度はより大きな円盤盾を。


 赤黒い結晶が両目に映る。蘇る記憶。──赤い閃光。


 集中が途切れ、魔法陣が砕け散った。


(ダメッ間に合わな──)


 その時。馬車に突き刺さっていたはずの白銀の剣が、ヤミクイの後方でキラリと光る。剣は速度を増し、イルミナに迫るヤミクイの足を凄まじい力で吹き飛ばした。そして、その勢いのままイルミナの傍らの地面に突き刺さる。


 悲鳴を上げ、ヤミクイが横転した。


「え……!?」


 自分の剣の予期せぬ動きに、イルミナの思考が追いつかない。


(私、動かしてない……)


 制御を間違えてしまったのかと、冷や汗が背中を伝う。修行中でも、こんなことはなかったのに。傍らの剣は変わらぬ輝きを放っていた。


『ルミナ! 今です!』


 シェルカの声にハッとする。そうだ、今は目の前の敵に集中しなくては。

 赤黒い結晶を、まっすぐに見据える。今度こそ、恐怖に負けないように。


「お願いっ!」


手を剣に掲げ、念じる。剣は再び舞うように浮かび上がった。


「やあっ!」


 掛け声と共に手を振り下ろす。剣は勢いを増し、鋭く、まっすぐにヤミクイへと向かい、正確に結晶を捉えた。瞬間、赤黒い光を放っていた結晶が砕け散り、ヤミクイの体もろとも霧となって消えさった。


「や、やった……?」


 イルミナはへなへなとその場に座り込み、荒い息をつく。心臓の音だけが、やけに大きく鼓膜を震わせていた。目の前には、先ほどまでヤミクイがいたはずの空間に、自分の創り出した剣だけが静かに突き刺さり、ほのかに白銀の光を帯びている。


(さっきのは……どうして……?)


 自分の意思とは違う、けれど確かにヤミクイを捉えた剣の動きを思い返し、イルミナは首をかしげた。


『やりましたよ、ルミナ! 初めての実戦で、見事な初勝利です!』


 シェルカが肩をふわもこの感触で優しく叩く。その声には興奮と安堵が入り混じっているようだった。


「う、うん。そうだね……?」


 まだ体中の震えが収まらないイルミナは、どこか現実感のない返事しかできなかった。ヤミクイを倒せたという実感よりも、自分の力がまた予期せぬ動きをしたかもしれないという戸惑いが、胸を満たしていた。


 やがて、遠巻きに見ていた人々が、わっと駆け寄りイルミナを取り囲んだ。


「ありがとう!」

「あなたのおかげで息子が無事だ!」

「本当に助かったよ、嬢ちゃん!」


 口々に発せられる感謝の言葉に、イルミナは少し照れながらも、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。しかしハッとしてイルミナは人々に問う。


「あっあの、ヤミクイに掴まれていた女の人は? 戦っていた人も無事ですか?」


 イルミナは立ち上がり、人々の顔を見渡す。女性はここにはいない。慌てたようなイルミナに、人々は笑みを向けた。


「ああ、もちろん、無事さ。お嬢さんのおかげでみんな無事だとも!」


 人々が道を開けると、手当てを受けている女性の姿が見えた。彼女はこちらに気づくと、小さく微笑んでくれる。ほっと息をついた。


 そんなイルミナの姿に人々は、再び称賛の言葉を投げかけた。しかしその中に、「我々とは住む世界が違う」「魔法学園に行くようなお方は、特別なんだろう」といった囁きが混じるのを聞いてしまうと、芽生えかけた小さな喜びが急速にしぼんでいった。

 ぎこちない愛想笑いが顔に張り付く。胸の奥がズキズキと痛むのは、5年前のあの日の記憶と重なるからだろうか。


『あまり、気にしないでください。彼らも悪気は無いでしょうから』


 シェルカの優しい言葉が頭に聞こえる。そっとぬいぐるみの振りを続けるシェルカの腕を片手で握った。



 幸い、大きな馬車は倒れただけで損傷は少なく、すぐに出発できるらしい。人の囲みも少しずつ薄れていった。


 最後に残ったのは、上等な服を着た恰幅の良い中年の男性だった。馬車の責任者だという男はイルミナに近づき、深々と頭を下げた。


「お嬢さん、この度は本当にありがとう。うちの家族も乗っていてね。どうなることかと……。まだお若いのに、大した勇気だ」


「い、いえ……私も、無我夢中で……」


 緊張と先ほどの感情の揺り戻しで、イルミナはうまく言葉を紡げない。


「いや本当は念の為の護衛を付ける予定だったんだが、乗り合わせた学生が任せろと言うし、彼も王立の生徒さんだからと油断してしまったよ……ああ、すまない、同じにしちゃ失礼だな。金と銀の違いがよくわかったよ。次からは気をつけるとしよう」


 男性は一人合点したようにうんうんと頷いている。


「……金? 銀……?」


(制服の飾りのこと……?)イルミナは自分の制服に輝く金の装飾をちらりと見た。


 頭に疑問符が浮かぶが、イルミナがそれを口に出す前に、男性は「王都に着いたら改めてお礼をさせて欲しい」などと言いながら足早に馬車へと戻っていった。


 イルミナが男性を追った視線の先には、こちらを苦々しげに……まるで睨んでいるかのような目をした茶髪の青年が立っているのが見えた。


 遠目に見てははわからなかったが、白と青を基調とした制服。イルミナの着ている制服の男性用だろう。しかし彼の制服を飾っているのは、イルミナの金色とは違い、落ち着いた銀色の装飾だった。


(あの人、さっきヤミクイと戦っていた……)


 彼が武器を振るい、ヤミクイに弾かれていた姿を思い出す。

 イルミナが勇気を出して「お怪我は……」と声をかけるが、青年はフンと鼻を鳴らし、自分の馬車へ戻ってしまった。


『……怪我は無さそうですけど。お礼の一言もないなんて、感じ悪いですねぇ』


 シェルカが小さく不満を漏らす。


「……ううん、いいの」


 イルミナは小さく首を振った。


「みんな無事だったんだから、いいんだよ」


 そう、今はそれで十分なはずだ。そう言い聞かせるように。


「……私たちも馬車に戻ろうか」


 イルミナが踵を返すと、目の前の地面に、先ほどの剣がまだ突き刺さったままだった。


「あらルミナ、剣の回収をお忘れですよ。魔法で作ったものは、ちゃんと魔力に戻さないと。またお師匠に『基本がなってない!』って投げられちゃいますよ」


 イルミナは慌てて剣の柄を握る。すると剣はさらさらと光の粒子となって手の平に集まり、温かな魔力がイルミナの中に戻ってくるのを感じた。その感覚に、そっと心の中で呟く。


(ありがとう、お疲れさま……)


 シェルカも、元は普通のぬいぐるみだったのだ。魔法で生み出したものだって、大切にしたい、とイルミナは思う。



 魔法馬車に乗り込むと、先ほどまでの喧騒が嘘のように静かになり、何事もなかったかのように動き出した。


 イルミナは窓の外を流れる景色をぼんやりと眺める。体は落ち着いたが、心のざわつきはまだ消えない。剣の不思議な動き、ヤミクイの結晶からの光、銀装飾の青年の苦々しげな視線──すべてが頭の中で渦を巻いていた。


「いやールミナ! あのときの剣、やっぱりすごかったですよ!」


 街からここまで、いつまでも二人きりの馬車の中。シェルカはもはや、鞄に入る気はないらしい。


「一時はどうなることかと思いましたが……あのとき、どうやって剣を戻したんです?」


 イルミナは首を横に振る。あの瞬間、絶対に間に合わないと思った。それなのにひとりでに動いて、ヤミクイの足を貫いた、自分の剣。


「私、動かしてないの。盾を作ろうとしてたんだけど……失敗しちゃって」


 あの瞬間、恐怖に負けて集中が乱れた。剣が勝手に動いたのは、きっと制御を失った魔力の影響だ。運が良かっただけ──もし、剣が人のいる方向に飛んでいたら? 考えるとぞっとする。


「あら、そうなんですか。でもそれなら、あの剣にもわたしみたいに、ルミナを助けたいって気持ちでもあったのかもしれませんねぇ」


 シェルカはあっけらかんと、伸びをしながらいう。


「えっ?」


 イルミナは目を丸くする。予想だにしなかった言葉だった。


「だって、わたしだってルミナの力で動けるようになったんですから、同じことでしょう? 負けてられませんね、わたしだって体当たりくらい……いや、無理か。布と綿なんで。裂けちゃいますね」


 シェルカは手を振って笑う。


「まあ、いいんですよ。この体なら、いつでもルミナをぎゅっとできますから。剣を抱きしめたら斬れちゃいますし、ふわもこの勝ちですよ」


 イルミナはくすっと笑い、シェルカの小さな頭をそっと指で撫でた。


「ありがとう、シェルカ」


 たとえそれが冗談でも、明るい言葉を聞くと、少し胸の中が軽くなる気がした。


「良い顔になりましたね! それじゃあ今日はもう、お休みしましょう? 疲れたでしょうし。王都に着いたら起こしてあげますから、休んでください」


「うん……そうだね、そうしようかな」


 体を横にすると、すぐに眠気がやってきた。シェルカの言う通り、随分と体は疲れていたらしい。そのまま抗わず、瞼を閉じる。


「おやすみ、シェリカ……」

「おやすみなさい、ルミナ」


 寝る必要のないシェルカは、ふわもこの腕でイルミナの手の平を撫でながら、一人考える。


(……しかし、どうしてあんなところにヤミクイがいたんでしょうね。王都の周辺は警備隊もいるから道中は安全、とお師匠は言ってたんですけど……)


 魔法馬車は静かに進み続ける。窓の外、星々が空に瞬き始めていた。

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