銀青の魔女と喋るぬいぐるみ

セツノナナセ

プロローグ:白き出会い

 月明かりが差し込む窓辺。イルミナ・セラヴィスの銀青の髪が、夜風に静かに揺れていた。『明日はルミナの好きなケーキを焼くからね。おやすみ』と、ドアの向こうから聞こえる母の優しい声は、少しだけ掠れている。


(明日は私の……誕生日)


 その言葉を思うだけで、心臓がぎゅっと締め付けられる。イルミナは抱きしめていたぬいぐるみに顔をうずめた。


「シェルカ、私……どうしたらいいんだろう」


 シェルカと名付けた白いトナカイのぬいぐるみは、もちろん何も答えない。けれど、この無口な親友だけが、今のイルミナの唯一の話し相手だった。


 窓の外に、遠い星がひとつ、赤く瞬いている。それを見るたび、胸の奥が鈍く痛んだ。忘れたくても忘れられない、あの日の光景が蘇るからだ。



 ──五年前、村の広場で行われた魔法適性試験の日。


 水晶玉にイルミナの手が触れた瞬間、目のくらむような赤い閃光がほとばしった。甲高い音と共に水晶は砕け散り、広場は水を打ったように静まり返る。村人たちの視線が、驚愕と、そして恐怖の色を帯びて突き刺さった。指先からぽたりと落ちた雫は、鮮やかな赤色をしていた。

 試験官の男が放った「この娘は異質だ」という冷たい言葉が、やけに耳に残っている。



 あれから毎晩のように見る悪夢だ。イルミナは悪夢を振り払うように頭を振り、ベッドに潜り込んだ。


 幸いにも、怪我人は誰一人いなかった。しかし、あの日以来、村人たちの態度は一変した。無理もないことだと思う。普通なら水晶の色が変わる程度の恒例行事で、あんなことが起こるなど誰も想像していなかっただろう。イルミナも、村人たちを責める気にはなれなかった。イルミナ自身、あんなことを引き起こした事実が受け入れがたく、何よりも恐ろしかったのだから。


 両親は、そんなイルミナを守るために、魔法の活用に積極的なこの街へ引っ越すことを決めてくれた。


「ここなら賢者様もいるから、きっと力になってくれるよ」と笑顔を見せる二人の顔が、かえってイルミナの心を重くする。


(どうして……? あの赤い光は、なんだったの? どうして触っただけであんなことに……! わからない……わからないよ……! お母さんも、私のことばかり気にして……。もし、また何かを壊してしまったら? もう取り返しのつかないことになったら……?!)


 答えのない問いが、心を蝕んでいく。イルミナの涙が、ぬいぐるみの白い毛にじわりと染みた。ぬいぐるみを強く抱きしめながら、彼女は静かな闇へと意識を沈めた。



 ──夜が更け、時計の針が新たな一日を刻む頃。


 イルミナの部屋に異変が起きていた。ベッドの周りを、淡い白銀の光が蛍のように舞い始める。閉め切ったはずの窓がひとりでに開き、机の上の本のページがパラパラとめくれた。やがて、机の端にあったランタンがぐらりと傾き、カシャン。と乾いた音を立てて床に砕け散る。

 白銀の光は、夜明けの光に溶け込むように消え、部屋に再び静寂が戻った。



翌朝。


 イルミナの耳にかすかな囁きが届いた。


「おはようございます、ルミナ」


「……ひっ!?」


 飛び起きて目をこすると見慣れたトナカイのぬいぐるみが、ベッドの端でことりと首を傾げている。まるで、こちらを見つめているかのようだった。朝日を浴びて、ボタンの瞳がきらりと光る。


「喋っ……た!?」


 心臓が早鐘を打ち、思考が追いつかない。目の前のぬいぐるみは、小さな腕をふわりと持ち上げ、イルミナに向かって陽気に振ってみせた。


「ん? ぬいぐるみは喋っちゃダメなんて、聞いたことありませんけど? ハハッ、冗談ですよ。わたしはシェルカ。あなたが名付けてくれたでしょう?」


 自らでシェルカと名乗る、見慣れたぬいぐるみから聞こえる声は軽快で、どこか悪戯っぽくからかうような響きがあった。

 いつも不安な時に抱きしめていた存在が、目の前で動いている。わけがわからず助けを求めようとしたイルミナは、しかし、声にならない悲鳴を上げた。


「誰か……っ!」


 視線をシェルカから逸らした先で、部屋の惨状が目に飛び込んできたからだ。倒れた椅子、散らばった本、そして粉々に砕けたランタン。

 イルミナはガラスの破片を凝視した。嫌でも思い出してしまう。あの日の光景を。


「私が……また……?」


 昨日までは何もなかったのに、また、あのときと同じことをしてしまったのだろうか。だとすれば、このままでは本当に誰かを傷つけてしまうのではないか。

 恐怖と絶望に胸を締め付けられ、震える手でシーツを握りしめる。頭の中で、異質という言葉が繰り返し頭に響いた。


 暗い影を落とすイルミナに、シェルカがゆっくりと近づいて彼女の手を握ろうとした……けれど、ぬいぐるみの小さな手では無理があったらしい。代わりに、ふわふわの両手で、イルミナの指先を包み込む。


 いつもは自分が握っていたはずのシェルカの手が、今は自分の指先を包んでいる。その不思議な温もりに、イルミナの思考が少しずつ現実へ引き戻された。


「ルミナ、落ち着いて。わたしが動いている理由は、たぶんルミナの力のおかげです。あなたが毎晩願っているのを感じていました。『誰かを傷つけたくない』って。ねえ……あなたの力は、怖いものじゃないと思うんです」


イルミナが顔を上げると、シェルカの黒いボタンの瞳が、優しく光っているように見えた。


「怖いもの……じゃない?」


「ええ。ずっと傍にいたわたしにはわかります。ルミナの力は、きっと何かすごく良いものなんです。現にわたしは、こうして動けて、喋れるようになったんですから!」


 シェルカはくるりとその場で回ってみせる。


「だから、ありがとう、ルミナ。あなたのおかげで、わたしはこうしてお話できます」


 ぬいぐるみの頭がぺこりと下がる。それを見たイルミナの胸に、じんわりと小さな温もりが広がった。根拠はない。それでも、シェルカの言葉を信じたいと思った。自分の力は、誰かを傷つけるだけのものではないのかもしれない。


「……ありがとう、シェルカ。私、ちょっとだけ勇気が出たよ」


 目をこすり、涙をぬぐう。イルミナの表情にはかすかな笑みが浮かんだ。


「ふふ、笑顔のほうが素敵ですよ。ひとまず……お部屋の片付けしましょうか」



 その日の午後、イルミナのもとに一通の手紙が届いた。金色の紋章が誇らしげに輝く、見たこともない綺麗な封筒だった。イルミナがおそるおそる手を触れたその瞬間、魔法がかかっていたのか、中に書かれているであろう内容を、封筒が独りでに声高に読み上げ始めた。


「イルミナ・セラヴィス様、10歳のお誕生日おめでとうございます! つきましては、貴殿の王都ヴィタルナが誇る王立魔法学園への入学が、決定しましたことをお知らせいたします! なお、正式な入学は5年後、貴殿が15歳になる年となります。それまでの間、来るべき日に備え、研鑽を積まれることを心より期待しております!」


 イルミナは呆然と手紙を見つめた。夢かうつつかもわからないまま、ただその言葉を頭の中で繰り返す。


「……魔法学園に……私が?」


 これは“異質”と呼ばれた少女が自らの力と向き合い、前に進むお話。──言葉を話す不思議なぬいぐるみとともに。

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