第7話

 白い魔石。

 それは、先ほどの黒い魔石とは対照的に、手のひらに乗せると、じんわりと温かい。まるで、陽だまりを凝縮したかのような、心地よい魔力が指先から伝わってきた。


(黒い魔石は『無』の属性だった。なら、この白い魔石は、一体……)


 俺は逸る気持ちを抑えながら、セシリア様と共に教会へと引き返した。彼女は「まあ、今度はどんな奇跡が解き明かされるのでしょう!」と、自分のことのようにワクワクしている。その純粋な(?)期待が、俺の肩に重くのしかかった。


 教会に戻るなり、俺は再び簡易錬金術キットの前に座った。

 白い魔石を台座に置き、慎重に分析を開始する。今度は、試薬が消滅するようなことはなかった。それどころか、試薬が魔石に触れた瞬間、まばゆい光を放って活性化し始めたのだ。


「これは……。全属性に対して、極めて高い親和性……?それに、魔力を数倍に増幅させて、安定させる性質まで……」


 信じられなかった。

 これは、あらゆる魔法の効果を飛躍的に高める、最高級の触媒だ。王宮魔術師が喉から手が出るほど欲しがるような、国宝級のアイテム。

 そんなものが、俺が作った失敗作のポーション――材料はそこらへんの森で採れる薬草と、魔物の体液少々――から、いとも簡単に生み出されてしまった。


(どういう理屈だ……?回復薬が、どうして最高品質の触媒魔石に……?)


 頭の中で、バラバラだったピースが、一つの形を結び始めようとしていた。

 アンデッドに使ったポーションAは、対象の存在を『無』に還し、黒い魔石を残した。

 獣の魔物に使ったポーションBは、対象の存在を『純粋な魔力』に変換し、白い魔石を残した。

 つまり、俺のポーションは……。


「もしかして、対象の『存在』そのものを原子レベルまで分解して、特定の性質を持つ魔力結晶として、『再構築』しているのか……?」


 口に出した瞬間、自分で言った言葉の途方もなさに、背筋が凍った。

 存在の分解と再構築。そんなものは、もはや錬金術の領域を超えている。それは、神の御業だ。


(いや、ありえない。そんな神みたいな芸当が、俺なんかにできるわけが……)


 長年染み付いた自己否定が、せっかく見えた光明を即座に覆い隠そうとする。

 しかし、その仮説を、俺の隣で聞いていた人物が、満面の笑みで肯定した。


「まあ、カイ様!『再構築』ですって!?なんて素晴らしい響きでしょう!」


 セシリア様は、興奮で頬を上気させ、瞳をキラキラと輝かせている。


「つまり、この世界のありとあらゆるものを、カイ様のお望みのままに作り変えることができるということ……!ああ、さすがはわたくしのカイ様!やはり、この世界を導く、新たなる神だったのですね!」

「い、いや、神とかじゃなくて……!」

「でしたら!」


 俺の否定を遮って、彼女はとんでもない提案を口にした。その声は、悪魔の囁きのように、甘く、そして恐ろしかった。


「次は、ぜひ『人間』で試してみるのはいかがでしょう?」

「……は?」

「例えば、カイ様を追放した、あの愚かで不敬な勇者アレスなどを『再構築』して、カイ様の忠実な下僕に作り変えるのですわ。きっと、素晴らしい実験結果が得られますわよ?」


 にっこり。

 彼女は、一点の曇りもない、聖女の微笑みを浮かべていた。

 俺は、全身の血の気が引いていくのを感じた。


(ダメだこの人!発想が邪神のそれだ!)


 冗談で言っているようには見えない。彼女は本気だ。機会さえあれば、本当に勇者アレスを拉致してきて、俺の実験台に差し出し兼ねない。


「だ、ダメです!絶対にダメです!人体実験は、倫理的に、その、アウトですから!」


 俺は、人生で一番必死に、首を横に振った。

 するとセシリア様は、意外にも「まあ、お優しいカイ様」と、あっさりと引き下がった。


「承知いたしました。カイ様がそうおっしゃるのなら、人間で試すのはやめておきましょう。……今は、ですけれど」


 目が、全く笑っていなかった。

 俺は、自分の力の危険性を、今度こそ心の底から理解した。

 この力は、使い方を間違えれば、世界を簡単に壊せてしまう。そして、その力のトリガーは、今、世界で最も危険な価値観を持つ、このヤンデレ聖女様が握っているに等しい。


(解明しないと……!この力の全容を、俺自身が完全に理解して、制御できるようにならないと……!)


 追放されてから初めて、俺の心に、明確な目標が灯った。

 誰にも悪用させない。セシリア様にも、もちろん俺自身にも。この力を、誰も不幸にしないために使う。その方法を、見つけ出すんだ。


 その日を境に、俺たちの奇妙な共同生活に、一つのルーティンが生まれた。

 俺は、教会に引きこもって、黒と白の魔石の研究に没頭した。セシリア様は、そんな俺のために、毎日狩りをして食料を確保し、教会の修繕や掃除など、身の回りの世話を完璧にこなしてくれた。


 ある日、俺は研究の一環として、白い魔石を粉末状にして、壊れていた錬金術キットの釜に塗り込んでみた。すると、釜の魔力伝導率が劇的に向上し、今まで作れなかったような、複雑な調合が可能になったのだ。


「すごい……。本当に、使い方次第では、とてつもなく有用な力なんだ……」


 俺が、自分の力の可能性に少しだけ希望を見出した、その頃。

 森からずっと離れた王都の酒場では、こんな噂話が囁かれていた。


「おい、聞いたか?勇者アレス様のパーティーから、聖女セシリア様が姿を消したらしいぜ」

「ああ。なんでも、パーティーを追放されたっていう、役立たずの錬金術師を追いかけていったとか……」

「聖女様も人が悪い。そんな奴、放っておけばいいのによ。まあ、近いうちに騎士団が捜索隊を組むらしいから、すぐに見つかるだろうさ」


 彼らはまだ知らない。

 自分たちが「役立たず」と笑う錬金術師が、世界の法則を揺るがすほどの力をその手にしかけていること。

 そして、その傍らにいる聖女が、捜索隊など返り討ちにしかねない、とんでもない狂戦士であることを。

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追放されたコミュ障錬金術師は、崇拝するヤンデレ聖女様の過剰な愛情に気づかない @123te

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