第3話 今度は自ら。
——猫夏をカフェに連れて行って3日が経った土曜日。
5月上旬という梅雨直前の季節で、これから暑くなるという今日この頃。
俺は今日も今日とてバイトだった。
まぁこの3日間、全然バイト入ってなかったが。
「おはようございまーす」
「あ、秋人君」
緩すぎない程度に挨拶をした俺に気付いた店長が、何やら笑みを浮かべて近づいてきたかと思えば。
「実は今日も来てるんだよ」
「来てる? まぁはい、俺は来てますね。運は全く回ってこないですけど」
「覚えてないのかい? ほら、この前秋人君が接客してくれた女の子」
俺のボケを華麗にスルーした店長が視線を俺から別の場所に移す——その先には、相変わらず眠たそうな顔をしている猫夏の姿があった。
しかし前回と違うのは、彼女が猫ちゃんと戯れているところだろう。
……なんだよ、アホほど可愛いじゃねーかよおい。美少女と猫ちゃんってこんなにベストマッチするのか。一生見ていたい。
俺が考える最高の光景とも言える場面を目の当たりにして、思わず見惚れてしまう。
すると、視線を飛ばしすぎたせいか、猫夏と目が合ってしまった。
「…………」
「あ、あー……いらっしゃいませ」
俺を見た瞬間、猫夏の目が心做しか死んだ気がして、営業スマイルと店員定型文を武器に乗り切ろうとするが……。
「……店長、アレって来いってことですよね?」
「……多分そうだろうねぇ」
猫夏が自らが座る円柱形の椅子を親指で指差して、視線だけでこっちに来いと訴えてくる。これ断ったらクレーム入るよね、多分。
「……はぁ、ちょっと行ってきます」
「揉め事にならないようにね? もしも不安なら僕も一緒に……」
「大丈夫ですって。猫好きに悪い奴はいません」
そう心配そうな店長を宥めたのち、若干の緊張を覚えつつ、俺はこちらを見つめる猫夏の下に向かう。
「お客様、どうされましたか?」
俺は緊張を顔の裏に押し留め、営業スマイルを貼り付けながら尋ねる。
猫夏はそんな俺を不気味そうに……おい、なんでちょっと引いてんだよ。俺の笑顔は店長を除いたらこの店随一のカッコ良さなんだぞ。寧ろ喜べよ。
「……それ、やめて。きもちわるい」
「お客様、胃の不快感でしたら胃薬をお飲みになることをオススメしますよ?」
「違う。…………あ、あきば? の顔がきもちわるい」
「出禁で」
「秋人君!?」
冷たく言ってのける俺に、店長が大慌てでやってくるが……流石店長。如何なる時も大声を出さないその猫ファーストな姿勢には脱帽だ。
しかし、だ。
「店長、店員への誹謗中傷は許されざるルール違反でしょう! やはりここは出禁に……」
「ん、あきひとの顔は、嫌いじゃない」
「店長、この子をVIPにしましょう」
「このカフェにVIPなんて制度ないよ」
マジかよ、是非とも導入しようぜ。俺の自己肯定感も店の売上もグングン上がりそう。
なんて気分上々な俺に、猫夏が表情を変えることなく言った。
「でも、あの笑顔は嫌い」
「やっぱ出禁で」
「君をクビにしようかな」
「冗談ですよ、店長。もちろん全部、最初から最後まで嘘に決まってますって。お客様、先ほどは大変失礼いたしました。お詫びに何か奢りますのでどうかクレームだけは……」
クビを恐れた俺が手揉みしながら懇願すれば。
「……なら、この子に好かれる方法、教えて」
そう言って近くで爪研ぎをしていたあずきちに目を遣る猫夏。
対するあずきちは、美少女からの熱烈な視線を貰っているにも関わらずのんびりと欠伸をしていた。可愛いね、おやつをあげよう。
「……あきひと?」
おっといけない。
俺としたことが……気が抜けていた。
「すみません、少しボーッとしてました。……それで、あずきちに好かれたい、でしたか?」
「ん」
猫夏が険のとれた柔らかな表情で、毛づくろいするあずきちを見ながらコクッと控えめに頷く。
ずっとその顔で居てくれたらいいのに……と思わないこともないが、お口チャック。俺は空気の読める男の子だからね。
「そうですね……あずきちはこの店で一番大人しいけど、物凄く警戒心の強い子です。なので、彼と仲良くなりたいなら、少しずつ、時間を掛ける以外に方法はありません」
俺だって、バイトを始めてもう半年にもなるのに、未だに機嫌の悪い時は威嚇されるくらいだ。
まぁ威嚇されること自体、ある程度俺に懐いてくれている証拠なので嬉しいのだが……如何せん心のダメージが大きすぎる。不機嫌でもお腹を触らせてもらえる店長の域に早く達したい。
「……そう」
猫夏は、期待外れ、と言わんばかりの表情で呟く。
ただ、俺の話はこれで終わりじゃない。
「——でも、嫌われない方法はあります」
「!?」
「まずはグイグイいかないこと。怖がらせちゃうので。次に、撫でたりおやつをあげる時は目線を合わせないこと。あずきちが怯えます。あとあずきちは喉元以外触らないこと。尻尾は特にダメです。この3つとカフェのルールを護ってさえいれば、あずきちに懐かれること間違いなしです」
それに、あずきちも猫夏のことは結構好いているように見える。
だって猫夏の近くで毛づくろいをしているくらいだ。毛づくろいはリラックスしている証拠。
「まぁ取り敢えず実践してみましょう」
「実践?」
猫夏が不思議そうな表情でコテンと首を傾げる。可愛いな、おい。
「そう、実践です。ち◯ーる買ってますよね? それ、あげてみてはいかかですか?」
「……さっき、逃げられた」
「それは知識がないからです。今は俺が教えた方法があるじゃないですか。グイグイ行くなとは言いましたが、こちらからいかなければずっと仲良くなれませんよ」
恋愛と同じだ。自分からいかないと成功しない。
「……なら、やる」
「その意気です」
表情こそ変わっていないが、心做しかやる気の灯った瞳をしている。
そんな気合い十分といった面持ちの猫夏はゆっくり立ち上がると、あずきちの近くにしゃがみ込んでそっとち◯ーるを差し出す。目もちゃんと逸らして。
「…………」
目だけで『これでいい?』と訊いてくる猫夏に無言で頷く。
そうこうしている内に、あずきちが毛づくろいをやめて猫夏が差し出したち◯ーるをスンスンと匂いを嗅ぎ——いきなりガツガツ食べ始める。
もはや今までの大人しさはどこにいったのかと疑問に思うレベルの食いっぷりだ。
「……っ」
猫夏も感触で食べていることに気付いたのか、一瞬だけち◯ーるにがっつくあずきちを一瞥したのち。
——クスッと微笑んだ。
嬉しそうに。
楽しそうに。
それでいて——。
寂しそうに。
苦しそうに。
その笑顔とも言えない微かでささやかな笑みに、目を奪われる。
その酷く脆そうで消えてしまいそうな横顔に、言葉を奪われる。
「……あきひ——あきひと?」
いつの間にか円柱形の椅子に座り直していたらしい猫夏に声を掛けられ、ハッとする。
慌てて視線を彼女の手に向ければ……既にち◯ーるは空になり、近くであずきちは気持ち良さそうに眠っていた。
「す、すみません、ぼーっとしていました」
「……体調、悪い?」
「え? あ、俺ですか?」
予想外な言葉に戸惑う俺へ、猫夏が小さく頷く。
「ん。ずっと、ぼーっとしてる」
「そ、それはすみません。ですが、心配無用です。寧ろ今日は最近にないくらい絶好調なので」
「……そう」
簡潔な言葉と共にフイッと顔を背ける猫夏に、俺は目を瞬かせた。
……心配、してくれたのか……? 俺のことが嫌いなのに随分優しいもんだ。やっぱ真の美形は心までキレイなのかね。
なんて胸中で感心する俺だったが、唐突にクイクイと裾を引っ張られた。
何事かと俺が裾をちょこんと摘む猫夏に目を向けると。
「……ありがとう、色々と」
ジーッと俺の瞳を見つめ返した猫夏が言った。
お礼を言われるとは思ってもなかった俺は呆気に取られ、その間に、彼女は『それだけ』と言葉を切って、足早に店を出てしまう。
「……なんだったんだ?」
彼女の言葉に若干引っ掛かったものの、彼女の様子的にまた来そうなので、その時聞けばいいかと業務に戻った。
——それから一週間、彼女は一回も来なかった。
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