第4話 はなしを聞いてね花子さん!

 わたしは旧校舎のトイレの前でプニキュワ自由帳を開いた。

 そこには、こう書き連ねてある。


【対・花子さんこうしょうじゅつ】

 さくせん一:大ようかいの、いこうをみせつける。

 さくせん二:甘いことばで、かいじゅうする。

 さくせん三:こちらの目的がバレないよう、まずは友だちになる。


(カンペキだよ……!)


 わたしは脳内で完璧なシミュレーションを繰り返す。

 わたしの前に現れた花子さんが、その威厳に打たれてひれ伏し「どうかこの私めを、あなた様の配下に!」と涙ながらに懇願する姿が目に浮かぶようだ。


 ふふん、今のわたしに死角はない!


 キーンコーンカーンコーン。


 下校を促すチャイムが、わたしの勝利を祝福するように鳴り響いた。

 わたしはランドセルにノートをしまうと、トイレに入った。


 急に温度が低くなる。ひんやり、じっとりとした空気。

 ごくり、と喉が鳴る。


(落ち着け、わたし。相手はただ一か所を根城とするだけの怪異。鬼を束ねる妖怪王のわたしの敵ではない)


 ロリコン地蔵から得た情報と、完璧なシミュレーションを頭の中で最終確認し、わたしはそっとドアに手をかけた。


 そして、三番目の個室の前へ。

 伝え聞いた作法にのっとり「コン、コン、コン」と三回ノックする。

「花子さん、花子さん、いらっしゃいますか」


 シン……。

 静寂。

 シミュレーションと違う展開に少し焦れていると、ドアの隙間から気だるそうな声が聞こえてきた。


「うーい。ちょい待ち~。今、SNSにコメ返しなう」


(えすえぬえす……?)


 知らない単語に思考が止まる。わたしの完璧なシミュレーションには、そんなものは存在しない。

 わたしの動揺をよそに、少ししてから「ぎぃ」とドアがゆっくりと開いた。


 そこにいたのは、お地蔵の言った通り、今どきのギャルだった。

 おかっぱ頭だが毛先は綺麗に巻かれ、赤い吊りスカートはしっかり膝を露出させている。

 何より、その手にはスマホが握られていて、親指がすごい速さで何かを打ち込んでいる。


 わたしは慌てて威厳を取り繕おうと、練習通りに口を開いた。


「き、貴さまがこのトイレのあるじか! われこそは、この学校の新たな支配者となる者にして、かつて鬼の――」


「へー、そーなんだ」


 花子さんは、わたしの言葉を気だるそうに遮った。視線はスマホの画面に落とされたままだ。


「てかさ、あんた誰? ちびっこはママんとこ帰りなー?」


(な、無礼なやつ……! このわたしを前にして、目も合わせぬとは!)


 わたしの怒りは頂点に達した。こうなれば、さくせんその一を発動するしかあるまい。

 妖気を放ち……格の違いというものを……っ! その魂に叩き込んでくれる!!


「ぬうううううっ……!」


 わたしは顔を真っ赤にして、全身に力を込める。

 腹の底から、かつて山々を揺るがした強大な妖力を絞り出すイメージ。


「おもいしるがいい、わが力の片りんを!」


 ――ぐぅぅぅぅぅぅぅぅ…………。


 静まり返ったトイレに、わたしの腹の音が、盛大に響き渡った。


「……」

「…………あなや」


 その音に、花子さんはようやくスマホから顔を上げた。

 きょとんとした顔でわたしを見ると、くすりと笑った。


「ウケる。腹へってんの?」


 その一言は、どんな妖術よりも強く、わたしのプライドを粉々に打ち砕いた。


「飴ちゃんあげんよ。じゃね〜」


 花子さんは白い包装のミルクキャンディを一粒置いて、一方的にドアの向こうに消えてしまった。


「…………」


 後に残されたのは、呆然と立ち尽くすわたしと、気まずい沈黙だけ。

 わたしの完璧なはずだった交渉は、こうして空腹の音と共に空振りに終わってしまった。


 わたしは「おのれ……! このままあきらめたりしないぞ!」と飴玉を口の中で転がしながら、夕暮れの廊下をすごすごと引き返すしかなかった。

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