共鳴る蝉鳴神より

楊ほらん@冬眠中

ともなるせみなきがみより

 ああ、ついにこの日がやってきてしまいました! 

 蝉時雨時、青々と私を見送らんとばかりに、窓から顔を見せる木々達。そして、それに似合わない私の気持ちを、誰が知りえることでしょう!


 家から見えるだけで、この後の顛末を解ってしまいます。

 木々と人々の顔の違いが判らない。この人々に、私はきっと殺される。

 恨まれているわけではありません。ただ、皆楽しみにしているのです。

 私は知っていました。見ていました。去年、私の齢一つ上の兄様が、豪勢だが質素なこの箱に入れられていたこの日を。


 まさか、あの時は私がこんな目に合うとも解っていなかった。あの時、この箱が豪勢で、少し兄様を羨ましく思っていたのは、今更ですが謝らないといけないことです。

 何せ、兄様は確かに私と別れを告げました。

 村から姿を消しました。神である父の元へ行ったというのです。


 私と兄様は、もともと捨て子でした。そうだったはずです。蝉の神のいる山に捨てられました。きっと誰かのいたずらでしょう。それを、神の信託と祭り上げたのは、きっと私の親代わりです。


 言いましょう。それなら言ってしまいましょう。絶好のチャンスだ。これを言ってしまえば、私の親代わりはどんな目に合うのだろう。ああ、楽しみで仕方がねぇ。

 兄様は殺されていました。いつぞや、その景色が薄っすらと脳裏に浮かびます。

 親代わりの持つ蝉の神の山裏にて、頭蓋骨に穴をあけ、ぐちゃぐちゃに殴り殺されていました。空っぽの頭を見て、私は一掴みの狂気を握りしめていたはずです。

 さあ、だれがやったのでしょう。きっと、親代わりだろう。それとも、この村人どもだろうか。どうだろう。ああ、許せない。ああ、やっぱり憎い。


 村人に神の子という勘違いをさせ、お布施をもぎ取ってきっと殺した。用済みな子は、極つぶしである。そうだ。きっとそうに違いない。

 ああ、思い出した。いいや恨み始めることができた。今日中には死ぬ身になって、やっとわかった。

 私はひどい扱いを受けていた。親代わりの神の成り代わりでしかなかった。


 では、私はどうして生まれてしまったのだろうか。

 蝉時雨が降り注いでいる。こんな山中だ。でも、村人が私を囲んで待ち構えてしまっている。鶏が。鶏さえなけば、抗う暇もあったのに。

 畜生、もう私には兄様と、今までの殺された兄たちの仇を打つことしかできない。

 ああ、鶏が鳴いてしまう。昨日殺してしまえばよかった。どうせ明日死ぬと、分かっていたのであるのなら。そうは思った。ああ、何回もだ。

 でも、ここはいい景色に見える。もう、気が違ってしまっているといわれても仕方がない。残虐に死ぬにはいい景色だ。人も沢山だ。同情が行き過ぎるには、気分がいいほどやってくれる。


 さあ、扉が開くのだろうか。ふふっ。それを考えるだけで、なんだか気分が高揚してきたぞ。さあ鳴け、鶏よ。私が殺さなかったその命、せいぜい私が代わりに死んでやる。


 その時、鶏は大きく鳴きました。この箱のためだけに、数羽飼われている鶏です。

 皆その鳥を、神の使者と呼びます。

 その声は、聴くだけで無病息災を引き起こす力を持つのだとか。

 そして、神の子に触れれば、それこそ永遠の豊かさなどという、曖昧な価値を手に入れることができるのです。


 ははっ。私は、昔親代わりに夢を見させていただいていました。そう、兄様の夢です。今までの神の子も、皆兄弟だと聞いていましたが、本当の兄弟は兄様だけです。

 それを、沢山の家族がいるように見せかけられ、ひと時経てば、弟ができました。


 そして、兄様たちはいなくなりました。皆、最後にお見かけしたのは、ここでありました。皆優秀だそうだ。ああ、素晴らしい。おめでとう。

 そして、その神の子が私であると伝えられた時。何という優越感! 何という特別!

 胸が躍った。そんな夢のはずでした。

 しかし、私が扉の外へ出た瞬間、その夢がもう一度、私を襲ったのです。


「見よ! 神の子ぞ! 神聖なる神の子ぞ! 今日、蝉鳴神の神の子と見定められた。さあ祈れ、崇め奉れ!」


 親代わりでしょうか。そのように私へ顔を向けました。いい顔です。その顔が、今にも崩れ落ちることを、私は父とやらに、そして神の子へ願いましょう。

 尤も、私を捨てた父が、もし神なのであれば。

 私が、それを行いましょう。


 私が箱を出た瞬間。私は憎き親代わりの行動を、大声で叫ぼうとしました。

 気持ちいい。私は、きっとその時笑っていた。ああ、間違いなく。

 

 しかし、私は笑顔をすぐに直さないわけにはいきませんでした。

 すぐに村人どもに服を引きちぎられ、引きずりおろされたのです。そのまま、人々に運ばれて行きます。

 

 「とったぞぉ!」


 そして、私のせっかくの衣服は、皆訳も分からない大切なお宝へと変貌します。

 ああ、喜ぶ顔がよく見える。悪党の喜ぶ顔がよく見える。

 しかし、なぜ誰も、悪党を罰さないのだろう。

 そうして真っ裸になった後は、髪の毛を、きっと皆ばれない程度に引きちぎられます。実は神の子は丁重に送られるべきだと聞きます。

 

 しかし、相手は大勢の村人どもです。そして、悪党どもでもあり、個人の塊でもあります。

 私の髪の毛を目指す者。

 私の性器を掴む者。

 目玉を潰しかける者。

 はさみで背中を刺してしまう者。


 狭い村ですが、しかし無駄に人口が多いものです。しかし、中には知り合いもいたはずなのに、なぜかその顔は思い出せないのです。

 声を上げようとします。しかし、皆私の髪の毛を掴みます。今まで、髪の毛だけは親代わりに、大事に守られてきました。

 よく言えば、よい面をしているからもったいない。とか、都合の良いことを言われていました。

 

 幼少。つまり、私がまだ幸せな夢を見ていた時でした。ああ、そうそう。私は兄様を、実のところ尊敬していたのです。

 兄様の髪の毛を、私も一本持っていました。醤油につけて、飲みました。ある人からもらったものでした。おいしくはありませんでした。

 しかし、大切なものをもらえば、気分がとても良いものです。

 そうでした。兄様の髪の毛をもいだのは、同級の女子でした。彼女は、確か神の子の髪の毛コレクターのだと自慢していました。

 ああ、もう一つ思い出しました。なので頼みます。性器を乱暴に掴んだり、背中を刺したり、耳を切り落とすのはやめてください。


「やめてください」


「やめてください」


「わたしは何もしておりません」


「わたしは何者でもありません」


 その時でした。私がいい夢に浸ろうとする時。ああ、そうでした。彼女のことを好きだった、あの夢を見ようとした時です。


「あなたは」


 目の前に、私のことを見つめている少女。ああ、苦痛で視界がぼやけるが、よくわかるよ。

 あなたは、そうだ。彼女だ。同級の、私に兄様の髪の毛をくれた彼女だった。


 目の前に、私の目の前に、獲物を見るような目で一つ刃物を持った彼女を見つけました。

 その時、私はふと、夢の続きを知ってしまったのです。

 神の子と告げられる。その直前のことだったと思います。

 彼女は、私に告白してくれた気がします。詳しくは覚えていないみたいです。何せ、私は親代わりに気持ちを塞ぎこまされていましたから、一筋も涙を流したり、平らな口角を持ち上げたり、人を大切に思う感情ですら塞がれていました。


 とても気味悪がられたと思います。いえ、実際そうでした。

 しかし、なぜかいじめられることはなかったのです。それを、退屈だなぁ。と思うこともありませんでした。


 にくいにくいにくい。

 いやだいやだいやだ。

 苦しい。痛い。裏切るのか。お前もか。

 お前もか。お前もか。知らないやつだな、お前もか。


 それも、その一握りの狂気を握りつぶしたのは、ついさっきでしたから、私は何も感じていませんでした。

 なのに、うれしかった。その時、なぜ私は嬉しかったのだろう。

 

 でも、まあいい。私はその前に、この恨みだけを抑えなければならない。このままだと死んでしまう。苦しい中で、私は今も生きているのだ。

 きっと、私を憐れむ人もいる。こんなにも人間がいるのだ。きっと、私の感情に気づいていないからなのだろう。

 そうだ、私は何をしているんだ。いくら、村人どもにいたぶられようとも、それは集団の、価値の行き過ぎによるものに違いないだろう。きっとわかる。今にも、僕が声を上げれば。彼らは瞬時に道徳の道化となるはずだ。


 山奥で蝉が強く鳴く中、村人らも山奥に連なっているのが見えました。

 崖をかける橋に、大量の村人が乗りかかる。危険だとも思わずに、皆一心不乱に、私を目指し続けています。

 

 憎い。そしてどれだけ醜いか。そして、どれだけ愉快な顔をしているのか。

 村人らは互いに協力しあっているのでしょうか。それとも、権威と宝を手に入れる、トレジャーハンター気取りでしょうか。

 人垣を、崩し踏みつけまた崩し……。


 雪崩のように、落ちてゆく。どうやら狭い橋を渡っているようでした。

 私は、その隙を見て、彼女についに手を差し伸べようとしたのです。

 いい頃合いでした。橋で人が減ったのです。数人落ちてゆきました。

 誰も見向きもしませんでした。

 僕も何も気にしなかった。ああ、終わらない。それだけでした。

 

 けれども彼女は、そう憐れんでくれるはずだ。私を気味悪がらなかった、一人の正しく、清い人間でしたから。

 そうです。彼女なら、きっとこんな集団の一員だったとしても、私だ。私を思い出してくれたなら、きっと手を引いてくれるはずだ。


 ああ痛い。さっきから私の性器を掴んでいるのは誰だ。私の流血を舐め続けているのは誰だ。ああ、憎い。顔が見えないからか? 私が今にも死ぬからか?

 なぜ私を憐れまない。なぜそのようなことが平然とできる?

 知っているぞ。お前も、私の顔なんか見たことはあるだろう。挨拶くらいならしたはずだ。そうだろう? お前も、お前も! 


 だから、ちがう。私は、死なないはずだ。知っている。村の善良な人々を。幼少の頃に知り合った、その沢山の人々が。弟たちが……!

 だから兄様とは違う。兄様のことは、きっと知らなかったから、そんなひどいことができたんだろう?


 でも知っている。私の弟は賢い。私とは腹違いだろうが、絶対に賢い。そして、彼女も善良だ。そうだ。恵まれているはずなんだ。

 だから助けるはずだ。一つ手を伸ばした。私の髪の毛が同時に多くの手につかまれる。顔の皮が全方向から伸ばされようとした。しかし、命からがら、そして、私の悲劇を伝えなければならない。


「私は。聞いてくれ、助けてくれ!」


 彼女の、柔らかな指先が強く私の手に乗りました。

 ああ、善良だ。彼女は、私をやはり――


 しかし、その時でした。彼女の持っている刃物が、私の手先の骨骨からゴリゴリと響きます。耳が引きちぎられていたとしても、不思議なことに鼓膜ははがれていないようです。むしろ、とてもいい音が聞こえました。

 

 もちろん、彼女以外にも私を憐れむ者はいません。

 数人が、彼女の落とした私の、神の子の指を拾い集めるために、頭を私に垂れました。

 それだけです。ぬか喜びしたのは、刹那にも満たない絶望へとなりました。


「やった。とれた。とれたとれた!」


 そして一方。私の指を数本とった彼女といえば。よく、無邪気に喜んで、私に微笑みかけたのです。

 みて。ありがと。うれしい!

 そう聞こえたのも、きっと不思議ではありません。

 私は、そこで知りました。

 兄様が、きっと殺されてしまったのは。

 いいや、きっと、殺してしまったのだ。

 私は知りました。私は、今知ったのです。私は、今思い出したのです。

 山間に見つけた兄様の遺体。そして、空っぽの頭には、一つ鈍器で頭蓋骨が割れたような跡があったはずです。


 空洞でした。

 ぐちゃぐちゃでした。

 脳を潰したスープのような、桃色を帯びた黒い血の中、蝉の尿が垂れていました。

 さて、私はそれを飲んだのでしょうか。

 いいえ、分かりません。ただ、覚えています。

 なぜかいい匂いがしたのです。

 何もかもが終わったような疲労と、同時に襲い掛かる食欲が、確かに感じられました。


 彼女は大喜びしたまま、私へ一目散に乗りかかります。

 ああ、私は彼女に殺されるのだろうか。わからない。兄様が誰に殺されたのか、私は思い出せないから。

 いいや、思い出す必要もありません。暇はありません。

 やわらかい体が乗りかかります。ああ、さっきから性器を握っている手をどけたまえ。煩わしいのだ。私は、これでも人を恨み始めたばかりなのだぞ。


 彼女は、大きくなった性器に刃物をあてつけます。握っている手はその刃物に当たった瞬間、よく鮮血が飛び散りました。しかし、すぐに勢いは無くなります。そうだ。どうやらその手はもうすでに、本体から落ちていたようです。

 さっきから、どこから掴まれているのかと思えば、悪意もない害という者だったそうです。ああ憎い。とても恨めないことが酷く辛い。

 彼女のあてつけた刃物は、その手に運よく阻まれました。

 でも、


 「頼むからやめてください」


 そういったはずなのに、彼女はやめませんでした。再びです。聞こえなかったわけではありません。だから私は、声を上げられません。

 最愛でした。誰かと言われれば、幼少の記憶を思い出した今であれば、きっと彼女と答えていたでしょう。

 ありがとう。ああ、その表情が、私にとって初めての人間らしさへとつながった!


「神の子の性器が膨らんだぞ! 誰か、誰か上に乗りたまへ! 人妻でもいい。幼年でもよい。誰か乗ってやりたまへ!」


 ああ、でももううんざりだ。私はまだ、齢十にも満たないのに。なぜそんなことをさせるのだろう。

 私は彼らが憎い。それだけか? それだけだ。もういい。ただ、教えてほしい。どうすればこの感情を押さえつけることができるのだろう。

 兄様。兄様。

 私は、だれを信じればいいのでしょうか。

 私は、哀れな弟です。だから、そうだ。反省しよう。私は今度から、清く正しく兄として兄弟を守ろう。


 だから、弟を信じよう。


 私の新鮮な流血が、幾度も幾度も舐めとられる。山羊というものに舐められる時は、きっとこのようになめとるのだろうか。面白いか? ははっ、痛いぞ。悪党が。傷口が開くではないか。

 しかし、うん。私は見えました。これが最期だ。

 一筋の光が、山中に刺されています。


 私も、ここに来たことがあります。私は知っているのです。兄様が死んだ、あの一年前のこの日。私の、幼少期の最期でした。


「衆よ。退けたまへ」


 同じ景色でした。同じように、蝉が大木の太い幹に、一匹のみ張り付いている。

 それも、すべて知っていました。

 だからこそ、潰れた眼球でもよくわかる。私は、今その蝉の前にいる。


「ああ、私は、ここで殺されるのですか」


 蝉に聞くつもりで、ただでさえ裂けた口を開いた。しかし、蝉は何も言わなかった。むしろ、五月蠅く鳴き続けるばかりである。そして、しばらくして返答が帰った。


「兄様。おめでとうございます」


 弟の声だった。楽し気な声色だった。初めてだ。初めてか?

 こんなにも、楽しそうな、このこえは。


「このような、特別な経験を私につかまつらせて頂き、誠に光栄です」


 こえが。こえが。蝉の声が。私を襲っている?


「私、この日のために、兄様へ尽させていただきました。そして、この日、皆さまの前で、兄の帰天を、そして、次の子としての心構えを、ここで示させて頂こうと思います」


 悪党だ。そう思った。そしてこの蝉は、何を言っている。彼も将来の蝉に過ぎない。目の前の惨状を、よくわかっているのだろうか。 

 蝉鳴神よ。いや父よ。しかし、この声はよくわかる。まるで、私が言っているようだ。

 いいや、私は言っていたのだろう。

 私が蝉であろう。違うか? いいや、違うというのだな。

 

 蝉。だったのだろう?

 

 弟が何か重そうなものを持ったような音がしました。

 さほど柔らかくない土でしたので、表面の石粒から跳ね返る金属音で分かります。

 そして、私は手触りも知っていた。


 ああ、耳に鼓膜が付着していれば、どんなに楽だったのだろう。生きているだけで罪である。知らぬまま、過ごしていた。


 あの一年。私は忘れてしまっていた。そうだ。私は――


「蝉鳴神へ、私は、この子の脳を捧げましょう」


 鈍い音が鳴る間もなく、ぐしゃり。ただ、その感触が、直接脳内すべてに響きます。

 なのに、蝉は鳴き続けていたいようです。今日だけ。今日だけの蝉時雨。きっと楽しみにしていたのでしょう。私だって、去年までは楽しみでした。

 一丸になって鳴き続ける。それは、絶大な、それこそ無敵とも思えるほどの力を持つことに、等しいですから。


 だから、この山が鳴り響くのは、今日。羽目を外して、一人いじめる。神の子だから、大丈夫。あなたたちの思い出に、

 ただ今日だけの、共鳴る蝉鳴神よりのものであります。

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