第八話 鏡の向こう

 良い感じのを探してみなよ、と言われ、暗く大人びた印象の服たちを眺めるマリー。

 孤児院で着ていた服は、白地に所属クラスを示すパッチが当てられたシンプルなものだった。今朝コレットに用意してもらったものもそうだが、装飾が多いとなんだかそれだけで、裕福な家のお嬢様にでもなったような、そんな気分になってくる。

 改めて、鏡の前に立ってみる。白い肌とぱっきり色の境界が分かる黒い髪。それから真っ黒な瞳。白と黒の中でぱっと目立つ赤いリボン。自分に似合う服ってなんだろう。

 ぼんやり鏡を見つめるマリーの陰で、アレクシィはスマホと向き合っていた。


「コレットぉ……おれ女の子が服買うの付き合ったことないんだけどどうすりゃいいんだよぉ……」

「二人でどこ行ったのかと思ったらやっぱりシェリのお店行ってたのね!あそこだったらやっぱりワンピースが一番よ!マリーちゃんてブルべ冬って感じだから結構攻めた色使いもイケると思うのよね、ワインレッドに黒で薔薇の刺繡なんて入ってるようなのとか、あとは……」


 長くなりそうだったので適当に通話を切り、別で送られていた画像を眺めてみる。その中から、特に彼女に着せてみたいと思ったものを、店内から探して持ってくることにした。


「……マリー、これなんてどうだ?」

「これを、わたしに?」

「サイズはまあ……コレットがざっくり測ってたやつ見せてもらったし多分合ってるだろ!早速着てみろよ!」


 アレクシィは急かすようにマリーを更衣室の中に押し込めた。

 そわそわしながら待つこと数分後、カーテンが開いて現れたのは先程までとは真逆の、けれどもこれこそが正解だと思えるような姿のマリーだった。

 首元をしっかりと覆い、細やかにレースがあしらわれたデザインで、ウエスト周りはコルセット風の仕上がりだ。パフスリーブがゆるっとした可愛らしさを生み出している。


「えっと……これで合ってるかな。服の事ってよく分からないね」

「わ……めっちゃ可愛いじゃん!」


 コレットも意外とセンス良かったんだな、てかマリー本体が良いから?などと早口で喋るアレクシィ。熱心さのあまり頬を染めている彼の姿に、マリーも照れくさくなってしまった。


「あ、えと、そんなに?」

「本当だって!ほんとほんと!ほら、もう一回ちゃんと見てみなって!」


 アレクシィはマリーをくるりと振り向かせ、更衣室の鏡に彼女を映す。

 そこにいたのは、ふわりと明るいブロンドヘアの少女。


「……え」


 マリーと背格好は似ているが、ぱっちり開いた青い目にふっくらと血色のいい頬、パステルカラーのエプロンドレスとどれをとっても正反対。

 不可思議な出来事を前に固まる二人を、その少女はまじまじと見つめている。


「なぁに、これ?真っ黒で喪服みたい。誰か死んじゃった?それともこれから死ぬの?」

「こらこらアリス、縁起でもないことを言うんじゃあないよ」


 少女の後ろから、ひょいと眼鏡の男性が顔を覗かせる。マリーは背後を確かめるが、アレクシィ以外に誰もいない。二人はじりじりと後退していく。


「お前たち……時計仕掛けの歩兵隊だな!」

「んま、当てられちゃったわ、おじさま!薄荷飴さんが教えちゃったの?」

「ううん、只の経験と確率に基づく予測だろうね」


 鏡面は水面のように波紋を浮かべ、鏡の向こうの二人がこちら側へと足を踏み入れてきた。マリーたちの警戒とは対照的に、ひょいと散歩にでもくるような足取りで二人は近づいてくる。


「昨日はうちの同胞が乱暴な真似をしでかしたみたいですまなかったね。私はルイス・キャロル」

「私はアリス」

「今日は大人の皆さんはいらっしゃらないのかい?ひとつ、我々とマリーの事について重要な話をしに来たんだ」


 キャロルは実に紳士的な態度で二人に話しかける。目線を合わせるように片膝をつき、敵意を感じさせず極力怯えさせないような声色を使っている。

 アレクシィはマリーを庇うように一歩前に出ると、キャロルに向けてボールペンを突き付ける。


「どうせマリーをこっちに寄越せって言うんだろ!そもそも、なんでマリーの事を特別みたいに言ってるんだ?」

「……ジェーン君は相変わらず、格好つけたがりで言葉足らずなのが格好いいと思っているんだねえ。何の理由もなく我々につけと言われても困るよね。よし、じゃあ改めて色々と教えてあげよう!」


 そう言って、キャロルは更衣室の床に腰を下ろし、本格的に話を始める態勢に入った。


「そ……そうやって油断させて、なんか異能で連れてく気だろ!」

「いやいや、そんな卑怯な手は使わないよ!同胞たちも今は別件で忙しいから簡単に手出しはできないさ。そうだ、サワーリボンでも食べつつ聞いておくれ」


 キャロルは臙脂色のインバネスコートのポケットから袋を取り出すと、酸っぱい粉をまぶした細長いグミを取り出して見せる。「そんなんで喜ぶほど子供じゃない」とアレクシィに断られたサワーリボンは、アリスの口に収まることとなった。

 手についた粉を払い、キャロルは改めてマリーたちと向き合う。


「さて……まずは何から話すべきか……単刀直入に言おう。マリー、君には危険な異能因子が眠っている」

「え……」


 マリーは言葉を失った。自分が危険な存在?

 そんな筈はない。平穏に孤児院で過ごしてきて、今日もアレクシィと長閑なお出かけを楽しんでいた。そんな自分が……強力な異能者たちが追い求めるほどのものなのか?


「気にしちゃ駄目!おれたちを連れてく為に上手い嘘を吐いてるだけだよ!」

「確かにおじさまはヘンテコなことばっかり言ってるのよね。クリームでピストルの弾が止まる、だとかね」


 マリーの両側から、アレクシィとアリスが囁きかける。

 アリスはキャロルが自分を大人しくさせようとしたのに気付いたのか、身を翻してマリーの陰に隠れてしまった。


「アリス、大人しくしてくれるならいいけどさ……あの子もそうだけれど、世の中には異能者というのがいる、というのは君も身をもって知っているだろう?」

「……はい」

「中には自身で制御できないようなものや、使い方を誤れば世界を破滅に追いやるようなものもある。私としては、そういった異能を持つ人たちをなんとかして平穏に生きられるようにしてあげたいのだけれど、逆に兵器として利用しようとする人もいる」


 マリーはちらと横を見る。「言っていることの筋は通っているな」と真剣そうにキャロルを見つめる瞳。此処には居ないが、サロンの皆もきっと同意見だろう。

 アリスの方は……何を考えているのかよく分からない。


「マリー、君を育てた人たちは―—恐らく後者だ。君は、スタンダールという男を知っているかい?」


 マリーは首を傾げる。それを見たアリスもこてんと首を倒す。

 その横で、固唾を飲むように見守るアレクシィ。


「ご友人君は知っているような顔をしているね。先の大戦において、血を操る異能で欧州を赤く染め上げた異能者。君のいた研究所では、その血を投与し人為的に異能者を増やす研究が行われていたようなんだ。残念ながら首謀者についてはまだ分かっていないのだけれどね」

「研究所、って……外に出たことないって言ってたから薄々そう思ってたけど本当なのか?」

「ああ。いずれ調査に踏み入る予定だったが想定外の事故が起こってね。資料のかなりの部分が失われた。保護するべきだった子どもたちの命も……」


 重々しく話すキャロルの頬を涙が伝った。

 これは、きっと本物だ。彼の言葉には、皆を守りたいという意志がしっかりとある。


「マリー、私は君を救いたいんだ。そして、我々は突き止めなければいけない。この仏蘭西で渦巻いている陰謀の真相を」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る