第九話 赤の奔流

 キャロルの態度は、オースティンと同じ組織、同じ目的で動いているとは思えない程、彼女とは真逆の印象だった。有無を言わさず連行しようと冷徹に銃を向けてきたオースティンとは裏腹に、まっすぐ此方を見つめ、誠実に語り掛けてくるキャロル。


「わたしが……そんな、何もそんなこと、言われたこと、ないのに……」

「知らないのも無理はない。末端の人間はいつだって無知でいることを望まれているんだから……私に分かる範囲であれば、ある程度は教えてあげられる。気になることがあれば聞いてくれ」


 そう言われても、マリーには分からないことだらけで何を話せば良いのかさえも分からない。昨日まで安らかに暮らしていた我が家が、欺瞞と陰謀の巣窟で、自身はそこで生み落とされた災厄の種……だなんて到底理解が及ばない。

 自分の体を抱きしめて、必死に事態を呑み込もうとするマリー。その場に広がる沈黙。

 彼女の事を不安げに見つめていたアレクシィだったが、無言に耐え切れず声を上げた。


「あっ、あのっ!キャロルは懇意にしてくれてるけど、じゃあなんで昨日はマリーを襲ってきたんだよ!あんな怖がらせることなかっただろ!」

「ジェーン君の件か……危険な異能因子を持った被験者と聞いて、焦っていたんだろうね。それにしたってやりすぎだとは思うけれど……私の方からお詫びしよう」


 素直に謝罪する姿に、アレクシィは少したじろいだ。


「じゃあ……『鍵』ってのは?スタンダールの異能って……そんなに危険なものなのか?」

「首謀者へ繋がる手掛かりなんだよ、彼女そのものが」

「……つまり?」

「識別用のチップだとかが埋め込まれているのならば、その情報を基にこの計画を立てた者が何処にいるのか、何者なのかを推測することが出来るという訳だよ。それに、時計塔には異能調査員も多くいるからね。スタンダールは只の異能者じゃない。終戦後も、血液を媒介とした身体操作を使って大規模なテロを起こした男だ。そんな者の血を復活させようだなんて―—再び大戦争を起こそうとしていても可笑しくはない」

「……は?」


 アレクシィは耳を疑った。マリーは戦争を起こす道具にされていたかもしれない、なんて。

 当のマリーは、ただじっと蹲っていた。こんな訳の分からない陰謀のことなんて、何も知らない。わからない。

 駄目だ、こんな言葉に耳を貸してはいけない。マリーの頭の中にそんな声が響いてきた。崩壊する孤児院から逃がしてくれた、親友の声に似ていた。


「わた、しは……」


 震えるマリーの背中をアレクシィが撫でる。


「マリーは何にも悪くない!悪いのは研究所の人たちだ!」

「その通り。それに、我々なら君の異能を無効化することだって出来るんだから。私と一緒に来てくれれば、それで……」


 キャロルが手を差し伸べたが、マリーはそれを跳ね除ける。

 「きみだけでも生きて」と言われたんだ。そうしなければ、死んでいったみんなが報われないから。

 流れるこの血そのものが、我々の命。

 この力で、果たすべきことがあるのだから。


「わたしの、この血は……」


 マリーの頭の中の声が大きくなると共に、体が熱を持っていくのを感じていた。意識せずとも聞こえてくる鼓動。灼け付くほどの熱い血が駆け巡る。


「まだ、終われない……!」


 叫び声と共に、マリーの右腕から真紅の血液が皮膚を突き破って溢れ出す。脈打つそれは剣の形を成し、真っ直ぐにキャロルの心臓へと飛んでいく。


「なっ!?」


 キャロルは間一髪で身を翻し血の剣を躱す。剣は背後の鏡に突き刺さり、鮮烈な赤と煌めく鏡の破片が飛び散った。

 はっと己の手を見つめる少女に、また脳内の声が語りかける。


 ―—そうだ、戦うんだ。この力は僕らのもの。時計塔の番犬に奪われるなんてあり得ない!


 マリーはただ体の奥底からの衝動に突き動かされるままに立ち上がる。

 キャロルとアレクシィは、彼女の気迫にただ立ち尽くしていた。


「まさか、ここで覚醒するとは……帰り道がなくなってしまったな!」

「嘘だろ……これがスタンダールの異能!?」


 白く細い腕からとめどなく流れる血は、再び集まり形を成していく。


「マリー、落ち着け!お前の事はおれがなんとかしてやるから!」


 アレクシィは必死に呼びかけるが、マリーの真っ黒な瞳に彼の姿は映っていない。彼女自身の意思に関係なく蠢くその血は、確実にキャロルたちの方を狙っている。

 守るべき少女を前に、少年の拳に力が入る。

 自分の異能ならば、この状況を打開できる。

 アレクシィは己の能力を思い描く。引力を操る、というと聞こえは良いが、今のところ彼に出来るのはちょっとしたものを手元に引き寄せる程度の弱めの念力といったところだ。それでも、覚醒したばかりのマリーの力に対抗する手段は他にない。

 覚悟を決め、ぐっと手を伸ばす。


「異能力——『椿姫』!」


 周囲に風が巻き起こり、アレクシィの手に向けてマリーの髪が揺れた。だが、彼女の血は引力に抗うように揺らいでいる。

 幾つもの血の剣がアレクシィに向かって飛んでいく。それは彼の異能に引き付けられたのではなく、マリーの異能によるものだとはっきりと分かった。僅かに軌道を変える程度しか効果がないようだ。

 やっぱり、自分じゃ無理なのか。

 諦めかけたアレクシィの前に、すっとアリスが割り込んでくる。彼女は手を前に出すと小さく呟いた。


「『鏡の国のアリスWhat Alice Found There』、あなたの見えてるものが本物だって、誰が証明できるの?」


 アリスがちょん、と指先でマリーの血に触れると、鮮血は形を失い飛び散り、瞬く間に色とりどりの紙吹雪に変わってしまった。

 アレクシィがその様子を唖然として眺めていると、マリーの体がぐらりと揺れた。そのまま倒れこむ彼女を慌てて抱き留めた。


「……マリー!」


 呼びかけは彼女の耳には届いていない。ぐったりと力を失い、焦点の合わない瞳が揺れている。マリー自身が作った傷口から流れる鮮烈な赤は、アレクシィの袖を染めていく。

 そんな様子をアリスはきょとんと眺めていたが、おもむろにポケットからキャンディを取り出した。


静かにおやすみ、木の上でHush-a-bye, queen, on the tree top.……」


 青い包みがマリーの腕に触れると、ポンと大きな絆創膏に変わって傷を塞いでしまった。


「これでおしまい、赤の女王さま」


 無邪気に笑うアリスの横で、アレクシィは俯いたままマリーを抱えていた。

 その傍らにキャロルが駆け寄ると、彼は淡々と子どもたちの様子を確かめる。


「助かったよ、アリス……ふむ、随分と派手に血を流していたようだけれど、この様子なら暫く安静にしていれば良さそうだ」


 キャロルの手つきは的確かつ冷静で―—先程までの彼とはどこか違って見えた。

 手際よく応急処置を進める彼を前に、アレクシィは歯を食いしばった。曲がりなりにも異能者なのだから、孤独な少女を救うヒーローになれると思っていた。だが実際には、キャロルとアリスがいなければ彼女の暴走に為す術がなかっただろう。


「……おれって、弱いな」


 小さく零した言葉をよそに、キャロルは立ち上がる。

 静かにアリスの手を取ると、さっさと割れていない全身鏡へ歩いていく。


「帰還しよう、アリス」

「はぁい」


 その様子にアリスは何ら疑問を持っていないようだった。


「お……おい、待てよ!」


 アレクシィは思わず声を上げる。振り返ったキャロルの目つきは、先刻までの優しさは全く感じられず、ただ冷え切った視線を向けていた。

 それにたじろぎながらもアレクシィは叫ぶ。

 

「マリーを連れていくんじゃなかったのか!?それに……帰るのに挨拶もなしかよ!」


 問いかけにキャロルは静かに答える。


「今回は血液サンプルの回収のみで十分だと判断した。それだけだよ」


 そう言って、キャロルとアリスは鏡の中に消えていった。

 残されたアレクシィは、マリーを抱きしめたまま茫然としていた。

 ついさっきマリーを説得していたキャロルの優しさや誠実さは確かに本物に思えた。だがそれも偽りだったのだろうか。彼の言葉は、初めから嘘だったのか?優しい声も、研究施設で助けられなかった子どもたちに流した涙も――

 アレクシィはただぼんやりと、頼りない自分だけが映る鏡を見つめていた。

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クロックワークス・インファントリ 園里弧フェル美 @Einsteinium

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