第五話 新たな家
カフェでの後片付けもひと段落して、バルザックたちはマリーを連れて拠点へ戻ることとなった。「どうせ今日はもう店開けられないから」と店主たちから貰ったパン・オ・ショコラを頬張るマリーとアントワーヌをよそに、バルザックは端末で忙しなく連絡を行っていた。
「ね、マリー。この辺って来たことあるかい?」
「……外出は、あまりしなかったので……孤児院が、川沿いなのは知ってたけれど、ここからどのくらい遠いのかもよく分からなくて……」
「そっかぁ。近場に芝生の手入れがいい公園があるからさ、今度連れてってあげるよ!」
「外に連れ出してやるのはいいが、この子は狙われてるのを忘れるなよ」
「はいはい」
ナポレオンの頃から様変わりしていないのであろう古風な街並みを歩き、アントワーヌが3個目のパンに手を伸ばしかけた頃。バルザックは一つの建物の前で足を止めた。他の建物と代わり映えのしない、ごくありふれたアパルトマン。
「着いたぞ。此処がサロン・ドゥ・レヴリの拠点だ」
石造りの階段を上り重厚な扉を開けると、そこに広がるのは名前に違わぬ古びたサロン風の広間だった。
壁には油絵や古本が並び、所々に書類が置かれている。窓辺に飾られた花はまめに替えられているのか、生き生きとした様子を見せている。雑然としているが清潔感はあり、そしてどこか居心地が良い。
恐る恐るといった様子で広間を眺めているマリーの目の前に、突然赤毛の少年が飛び出してきた。
「ひゃっ!?」
「おっかえり~!アントワーヌ!……あれ、この子誰?新入り?おれ、妹できちゃう感じ!?」
あどけなさの残る顔つきの彼は、焦茶の目をきらきらさせてマリーのことをまじまじと見つめている。
「さて、紹介しよう。うちの元気だけが取り柄の新人くん、アレクサンドル・デュマだ」
「ちょっと!親父と同じ名前で呼ぶなって!」
自分より一回り年上くらいだろうか、その無邪気な笑顔に、孤児院での仲間たちのことを思い出す。案外馴染めそうかもしれない。そう思い始めていたマリーだったが、ソファに座っていた男と目が合いぎょっとした。
「ほぅ、これが『鍵』とやらか……随分とちっぽけなことだ。どう見ても開けるより折れる方が早そうだ」
「え、あ……はい……」
電子タバコを片手で回しながら、冷めた灰色の瞳でこちらを見つめてくる男。背もたれに垂らした長い黒髪が妙に不気味に見えてくる。
そんな様子も気にせず、アントワーヌは彼の方に親指を向けた。
「あいつはカミュ。皮肉屋で昼行燈気取りな自称”傍観者”さんさ。ああ見えて、色んな店に詳しい情報通だから、食事に困ったら聞くといいよ!」
「おい、変な情報を吹き込むんじゃない」
アントワーヌがこう言うのだから、そんなに悪い人でもないのだろう。……きっと。
不安を残したままのマリーに、ぱたぱたと駆け寄る足音がまた一つ。
「ちょっとちょっと、折角新しい子が来るっていうから支度してたのに全然呼びに来ないじゃないの!」
「あ、コレットもいたんだ」
「いたんだ、じゃないでしょ!」
緩く結い上げた栗色の髪をくるくる手先で弄びながら、快活そうな女性が上から降りてきた。
アントワーヌに不平を言いたげな彼女だったが、マリーの方に気づくと目を輝かせて駆け寄ってきた。
「あなたがマリーちゃんね!まだ子供って聞いてたからどんな子かと思ったらすっごく可愛い!あたしはシドニー=ガブリエル・コレット。コレットお姉ちゃんって呼んで!」
「怒らせるとかなり怖いから気を付けてね」
「それは怒らせるようなことする方が悪いのよ~?」
明るい二人の賑やかなやりとりに、マリーの緊張も少しずつ解れていった。
これで拠点にいるメンバーは全員だろうか。改めて自己紹介をしなければ、とマリーが口を開きかけたところで、割り込むようにアントワーヌが口を開いた。
「そういや会長は?こういうときくらい出てきてくれてもいいのにさ」
カミュはふっと電子タバコ特有の排気を漏らすと、興味なさげに返事をする。
「相変わらず地下に籠ってるよ。バルザックからの連絡も見てないんだろう」
「……だろうな。自分が報告してこよう」
そう言って部屋を出ようとしたバルザックに、マリーが手を伸ばして引き留める。
「ん?」
「あのっ……会長さんなら、わたしも挨拶した方が……いいですよね?これから、わたしのことで迷惑かけるかもしれないし……」
バルザックは疲れたように眉間を抑えながら、彼女の同行を承諾した。
「……構わないが、余り長居はしない方が良い」
彼はマリーの細い腕を引くと、地下への階段を下りて行った。古びた階段を下りていくにつれて、空気が淀み、そして独特な香気が漂ってくる。
薄暗い廊下の扉を軽くノックし、返事も待たずに開けるバルザック。その先をちらりと覗くと、異質な光景が広がっていた。
小さな照明に照らされた狭い部屋いっぱいに、赤黒い奇妙な花が咲き乱れている。血にも似た甘い香りを放つ花々はこんなにも鮮やかだというのに、一瞥しただけで何とも言えないどんよりとした気分になってくる。
「ボードレール、新入りが入った。マリーだ」
バルザックが話しかけた先にいたのは、いかにも陰鬱そうな一人の男。花に囲まれて気怠げに床に座っている。
「……初めまして。マリーです」
「君は……マリーというのか。……はぁ、憂鬱だ……また一人、邪悪に吞まれていく……」
一瞬、彼と目が合った。その目は冷たさがあるがオースティンやカミュとは全く違う、底知れない仄暗さを宿している……ように見えた。
そんな彼女の様子を感じ取ったのか、バルザックはマリーを連れてそそくさと部屋を後にした。
「あいつはシャルル・ボードレール。あいつの言うことは……あまり気にしなくていい。自分の異能で精神がやられてるんだろう。あれでも一応リーダーだ。形式上は、だがな」
バルザックは冷淡に言い捨てた。
「実際の指揮は殆ど自分がやっている。何かあれば自分に聞いてくれ」
マリーは息を呑み、足早に広間へと戻っていった。
先ほどまでの和やかな空気が消え、カミュを中心に何やら話し込んでいる様子だ。
「戻ったか、バルザック」
「ああ。何か進展があったのか?」
カミュは手招きしてバルザックを引き寄せる。
所在なさげに立ち尽くしたマリーの方にはコレットが歩み寄ってきた。
「さ、今日は疲れたでしょうから休みましょ。ここ、古いけど掃除はちゃんとしてあるから!」
マリーはコレットに連れられて上階へと昇っていく。
二人が出ていったのを確認して、カミュは横でつまらなそうにしているアントワーヌを一瞥した。
「アントワーヌ……お前が連れてきたあいつ、正しく星の欠片だったみたいだな」
「へ?どゆこと?」
彼は乱雑な小物たちをテーブルから押しのけ、地図と端末を広げて見せた。
「今朝、ある製薬会社で爆発事故が起こった。つっても、実態は人体実験をやってるような異能研究施設なんだが……それが此処だ」
とんとん、と指示したのは川沿いのある一点。ちょうどここから上流側にあるが、少女が一人で泳いでくるにはあまりに遠い。
「関係者の線は自分も考えたが、しかしな」
「歩兵隊の連中が『鍵』なんて呼ぶような代物だ。頑丈に作ってあるんだろうさ」
「それをあの短時間で嗅ぎつけてくるとは……何か仕込まれているのは確実だろうな」
重い雰囲気を漂わせる横で、自分に出来ることはないと割り切っているのか暢気なのか、デュマはSNSを眺めていた。不意に、彼が大声を上げる。
「あ、またアントワーヌの事話題になってる!ほら!」
「えー、どれどれー?」
「フライングヒューマン」「サロンの日常」といったタグと共に投稿されたアントワーヌの写真。よくよく見ると、マリーの姿まで晒されている。
「……お前のせいじゃないか!」
アパルトマンにバルザックの怒号が響き渡るのだった。
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