第四話 守られるもの

 アントワーヌの腕の中で、マリーは震えながら二人の戦いを見つめていた。飛行士の方もまた、守るべき少女を強く抱き寄せる。

 下手に動いて流れ弾に当たっては堪ったものではない。隙を見て外に逃げおおせたとして、歩兵隊の仲間が待ち構えている可能性だってある。こんなにも僕らしくない臆病心はあの刺客の異能のせいだ。アントワーヌは自身にそう言い聞かせる。


「大丈夫だ、マリー。僕が守ってみせる。……って言っても、僕の異能じゃ空を飛ぶしか出来ないんだけどね!」


 いつものように調子よく話しかけているが、その声はどこか震えているように聞こえた。あの空飛ぶ王子さまも、ただ流れ弾を躱すのに精一杯のようだ。

 マリーは自分の無力さを痛感していた。先ほど出会ったばかりの二人が、自分のせいでこんなトラブルに巻き込まれてしまって……二人は必死に自分を守ろうとしている。そして今にも殺されそうになっている。

 アントワーヌの腕の温もりが、あのとき自分の背中を押した手と重なった。

 ただ、君が生きてくれればそれでいいと言って消えていった彼。そんな自分のために、また誰かが死んでいくなんて、そんなのは可笑しい。

 ぎゅっと自分の腕を握る。給仕のマルグリットに当ててもらったガーゼからじわりと血が滲むが、今はどうだっていい。


「だめっ!!!」


 大声で叫んだマリーに、オースティンの意識が向けられる。

 マリーはアントワーヌの腕から抜け出すと、テーブルの上で冷え切っていたカフェオレを思い切り投げ飛ばした。


「えっ、嘘!?」


 白磁のティーカップは砕け散り、珈琲の香りが銃身に纏わりつく。オースティンは愛用のドレスが台無しにされたことに酷く取り乱しているようだった。

 自分が何をしたのか、自分でも分からないまま、脈打つ心臓を押さえつけるマリー。目の前の彼に死んでほしくない。その衝動のままに血が滾り、頭で考えるよりも先に体が動いていた。アントワーヌも唖然としてその様子を見つめている。

 その時、彼の目にティーカップの破片から赤く、鮮やかな光が漏れるのが見えた。これは彼女の異能だ。アントワーヌは確信めいた直感を抱いた。


「ああもう、これじゃあ使えない!こっちは扱いが苦手なのだけれど……」

「お前らしゃしゃり出て来るな!……と言いたいところだが良くやった!」


 オースティンが銃を捨て、もたもたと次の獲物を探す隙にバルザックは形勢を立て直す。

 店内を見渡すと、窓際に飾られたビオラが目についた。小ぶりな花だが、今はこれでも十分だろう。プランターから摘まれた一輪のビオラはバルザックの手の中で鋭利なナイフへと変わり、オースティンの喉元に突き付けられる。


「咄嗟の機転はこちらの方が上だったようだな」

「ぐぬ……ここは一度、退却といきましょう。そもそも私は監視官で、荒事向きではございませんので」


 そう捨て台詞を吐くと、オースティンは踵を返し、あくまでも優雅に立ち去って行った。

 一気に緊張が解け、バルザックは大きな溜息と共にソファに座り込む。マリーもその場にへたり込んだ。


「はぁ……一応は何とかなったか……」

「凄いよバルザック!一時はどうなることかと思ったけど、あんな異能相手に戦意喪失させるなんて!」


 祝福のハグをしようと腕を伸ばすアントワーヌ。その横をひょいとすり抜け、バルザックはマリーの頭を優しく撫でた。


「すまない、あんな不甲斐ないところを見せて。キミがあそこで動いてくれなければどうなっていたことか」

「ちょっとぉ!僕のことは!?」

「お前は殆ど見ていただけだっただろうが!マリーの勇敢さと比べて褒めるところが何処にある!?」


 一難去った直後というのに、既に仲間同士で言い争いを始めている。


「ねぇ!マリーはどっちの方が凄かったと思う!?」

「え、えっと……」


 二人の顔を見比べるマリーの前に、銀のプレートが差し込まれる。


「はいはい、変なこと聞いて困らせない」


 どうやら店員や他の客たちも、二人の声に事態の収束を感じて戻ってきたようだった。マルグリットはマリーの小さな体を見つめ、怪我が増えていないことにほっと胸を撫で下ろした。


「怖かっただろうに……聞こえてたよ、さっきの。よく頑張ったね」

「わたしは、ただ……必死にわたしのことを守ろうとしてくれた人が、死んじゃったらどうしようって思っただけで……」

「そういうのを勇敢って言うの」


 皆無事でよかった。そう言われ、マリーも小さく、よかった、と呟いた。

 その傍ら、バルザックは彼女の投げ飛ばしたコーヒーカップを見つめていた。アントワーヌもそれに追従して目線を動かす。お互い何かに気づいたことを察していた。


「それも彼女の片鱗かもしれないな」

「なんか言った?」

「いや、何でもない。それよりも……思った以上に店内を荒らしてしまったな」


 見回すと、オースティンの銃撃の痕跡がそこかしこに残っている。

 家具の修繕に床材や壁紙の張替え……弁償費用を考え始めたバルザックに、アントワーヌが声をかける。


「ねぇ、みんなで片づけしていこうよ!マリーはさっき食べ損ねたクラフティでも食べてるといいよ!」

「お前……相変わらず能天気な奴だな」

「いいじゃん、暗いよりそっちの方が!」


 あっけらかんとしたアントワーヌに、マリーは思わず笑ってしまった。


「ほら!マリーもそっちの方が良いみたいだよ!」

「……仕方ないな」

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