第三話 胡乱な刺客

 カフェの中に、一段と張りつめた空気が漂う。マリーたちと新たな来訪者は暫し睨み合う。ただラジオからノイズ交じりなピアノソロが響く中、沈黙を破ったのはバルザックだった。


「……何者だ」

「あら、ご挨拶が遅れてしまいましたわね。私、『時計仕掛けの歩兵隊クロックワークス・インファントリ』所属、対仏斥候部隊監視官インスペクターのジェーン・オースティンと申します。本日はそちらの……『鍵』をお迎えに上がりまして」

「鍵、だと?」


 オースティンは問いかけに答えることなく静かにマリーたちの方へと近づいてくる。ラジオの放つ軽快なベース音。そしてある種の楽器のように響くヒール。

 只事ではない雰囲気に怖気づきながらも、マリーはそっとアントワーヌに尋ねた。


「あの人……知り合い?」

「うーん、ちょっと複雑なんだけど……ま、お友達ではないね」

「英国公認だからってこっちでも好き放題してる連中さ。良い評判はあまり聞かんな」


 こそこそと交わされる言葉に聞き捨てならないとばかりに、オースティンはテーブルに手をついた。


「貴方がたの事はよく知っておりますわ。我々の『異能管理計画』に反抗する異能者たちによるテロリスト集団、でしょう?」

「ふんだ、お高く留まっちゃって!結局は僕らを奴隷にしたいだけだろ!」

「肝心なのは信念よりも行いの結果ですから。とはいえ、今回こちらに参りましたのは、飽く迄も『鍵』の回収のため。皆様が承諾してくだされば、今回に限り会敵したことは内密にさせて頂きますが……どうですか?」


 オースティンはどこまでも優雅で穏やかに語り掛ける。しかしマリーに向けたその瀝青色の瞳は、冷酷に任務の遂行だけを見つめていた。

 マリーは彼女の雰囲気に、何か得体の知れないものを感じ身震いした。蛇や猫に睨まれた小動物の気分とは、こういうことなのだろう。

 時計仕掛けの刺客は目標の肩に白く艶やかな手を伸ばす。瞬間、アントワーヌがその腕を掴んだ。


「駄目だよ。マリーが怯えてるじゃないか」

「あら、淑女にこんなことをするなんて……仏蘭西の方はご熱心ですこと」


 アントワーヌの手に掴まれたまま、オースティンは優雅な笑みを浮かべた。しかし、その瞳には冷たい侮蔑の色が宿る。

 互いににこやかな表情を崩さないまま、しかしアントワーヌの手には力が籠る。


「君のほうこそ、当人の確認もなしに連れてこうだなんてさ!目の前の誰かを笑顔に出来ないような人が世界に平和をもたらそうだなんてちゃんちゃら可笑しいね!」


 突如、オースティンは浮遊感を覚える。落下、ではない。アントワーヌの飛行の異能だ。不意に襲った感覚に彼女は混乱し、姿勢を崩した。その勢いのまま、飛行士は相手の体を組み伏せる。


「さぁて、どうだい?僕を見くびって貰っちゃ困るよ」

「まぁ、随分と自信ありげですこと。そんなにヒーローらしい事がしたいのなら、お膳立てをしてあげましょうか?――異能力『高慢と偏見』」


 そう呟いたオースティンの目の色が変わった……ような気がした。彼女の異能の正体は一体なんだ?

 アントワーヌの警戒と動揺を見逃さず、オースティンはしなやかに腕を振りぬいた。


「くっ!」


 体の自由を取り戻した彼女は、懐に隠し持っていた拳銃を素早く取り出すと、その銃口をまっすぐにマリーへと向けた。


「……え」

「さて、お嬢さん。私について来るのなら他の皆様に危害は加えません。どうなさいます?」


 そう問われたが、マリーはただ口をはくはく動かすばかり。彼女は何者なのか、鍵とはどういうことか……疑問はあるがそれ以上にただ、恐怖が募っていた。

 もし言葉を間違えれば、死ぬのだろうか。

 マリーは銃口と瀝青の瞳を交互に見つめていた。が、突如視界に何者かが飛び込んできた。


「きゃふん!?」


 バルザックの決死の体当たりを受けたオースティンは盛大に倒れこむ。


「だ、大丈夫ですか!?」

「こっちのことは気にするな。今は自分の身を守ることだけ考えろ……アントワーヌ!何ぼーっとしてるんだ!マルグリットも他の連中連れて早く逃げろ!」

「あ……ああ!」


 その怒号に、場の緊迫感で動けなくなっていたアントワーヌたちの意識がはっと引き戻される。彼はマリーの手を引くと庇うように抱え込む。給仕らもカウンター奥へ避難していった。


「ぐ……異能の効果が不十分だったかしら。先ずは貴方を排除するべきのようね!」


 オースティンは狙いをバルザックへと変え、引き金に指を掛ける。

 彼は咄嗟に、店に飾られた花瓶に手を伸ばした。


「なるべく店内は荒らさない!一つ借りるぞ!——異能力『谷間の百合』!」


 そう叫んだバルザックの手には紫のトルコキキョウが握られていた。その美しい花弁は光とともに風に舞い、彼の手の中で滑らかな金属の刃へと変化していく。優雅なトルコキキョウは鋭利な曲剣へと姿を変え、バルザックの手にしっかりと収まった。


「花を武器にするだなんて、随分と風靡なご趣味ですこと……それも無駄な抵抗に過ぎませんが」


 オースティンは嘲笑しながらも射撃の手を緩めない。バルザックの方も冷静に花弁の刃で弾丸を弾きじりじりと間合いを詰めていく。

 相手はこちらの手元、急所ではないが確実に戦闘を放棄させられる場所を狙っている。恐らくは死者は出すなという指示をされている。ならば踏み込む余裕は十分にあるはずだ。


「そこだっ!」


 彼の切先が英国式の銃身を捉えた――瞬間、跳弾のひとつが鍔に当たり剣は弾き飛ばされる。キキョウの花弁が舞い散る中、オースティンは静かに弾薬を再装填する。


「な……こんな、はずでは……」

「ちょっとバルザックぅ!?なんだよそのやられ方!全然君らしくもないじゃないか!」


 オースティンはアントワーヌには目もくれず、バルザックの心臓へと銃口を向けた。


「人間誰しも、偏見を持つもの。ドレス姿でそう機敏に動けまいという油断、未知の敵への恐怖や警戒……私の異能はそれらを増幅させますわ。今更知ったところでどうにもならないでしょうけれど。安心なさって、うちには優秀な治癒の異能者がおりますの」


 終わった――

 バルザックは死を覚悟し目を瞑った。

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