第二話 夢想家のサロン
かろんころん、とドアチャイムを鳴らして店内に入ると、ふわりと漂うコーヒーとバターの香り。ほのかな甘い匂いは何かの花だろうか、とマリーがきょろきょろ見回してみると、何か紫の花が飾られているのが目に留まった。
「とりあえずカフェオレ二人分。あと、あったかいクラフティなんかも。……君、好き嫌いはないよね?」
アントワーヌの問いかけに、マリーは小さく頷いた。
「じゃ、それでいこう。あ、タオルも貸してくれる?」
一人で話を進めていくアントワーヌに、店員たちはいつものことなのか、手際よく対応していく。
そのうち、若い女性の給仕が椅子にそっとタオルを敷いてマリーを座らせた。
「……ありがとう、ございます」
「いいのいいの、こんな姿の子放っておけないもの」
彼女はテーブルクロスと帽子掛けで即興のカーテンを作ると、さっさとマリーを着替えさせてくれた。
「わ、すごい……手慣れてますね」
「まあね。お客さんが飲み物溢したら片づけなきゃいけないし、どこぞの鳥さんが特に考えもなしに迷子とか怪我人とか拾ってくるもんだから」
「マルグリット!そんな言い方ないじゃないか!」
「はいはい、迷える星屑を助けるのも飛行士の役目なんだっけ?」
英雄気取りの飛行士と軽口を叩きあいながら、給仕は濡れた髪を拭いたり擦り傷にガーゼを当てたりと、救護師さながらの仕事をこなしている。
そうしてすっかり綺麗になったマリー。間に合わせの給仕服はやや大きめだが、濡れ鼠の悲壮感はきれいさっぱり無くなっている。
「はい、これで大丈夫。それじゃあ飲み物持ってくるから」
「さっきまでより一段と可愛らしくなったね!そうだ!落ち着いたことだし僕の冒険譚を聞かせてあげよう!それから、君のことについても……」
「あ、アントワーヌ。あんたを待ってるお客さんがいるし、それは後にした方がいいんじゃない?」
「え」
マルグリットがくいと親指を向けた先で、何やら気難し気な男がこちらを睨んでいる。跳ねた茶髪にパリッと糊のきいていそうなシャツを着た真面目な社会人ふうの姿。アントワーヌの上司かなにかだろうか。
「……アントワーヌの知り合い?」
「んー……僕に口うるさく色々言ってくる人」
「それはお前が連絡をまともに寄越してこないからだろうが!!」
男は店外まで響かんばかりに怒号を上げる。
「なーにー?防音マフのせいで聞こえないー」
「さっきまで聞こえてただろ!お前は重要な話があるときいつもいつも空にいるんだから!」
マリーは呆気にとられ、目の前にスイーツが運ばれているのにも気づかなかった。
男は給仕に肩をつつかれ、思い出したようにマリーの方を向く。そしてばつが悪そうに咳ばらいした。
「こほん、失礼……驚かせてしまって済まない。自分はサロン・ドゥ・レヴリ会員のオノレ・ド・バルザックというものだ。こいつは同じく会員の飛行士。ちょっとした問題が起こってこいつとも話したかったんだが通知音を切りたがる性質で……どうせ此処はいつも寄るだろうからと待っていたんだ」
「はあ……」
マリーは、状況が全く掴めず曖昧に頷く。それに気づいたバルザックは、アントワーヌを軽く小突いた。
「どうせ僕には秘密が~とかなんとかって説明してないんだろ?何処で拾ったんだ?」
「川で溺れてたから助けただけだって!どこかで運悪く落ちたんじゃない?」
「ふむ……キミは、なぜこんな場所で漂流していたのか、何か心当たりはあるか?」
マリーは真剣そうな目で見つめられ、ぽつり、ぽつりと返答する。
「……わからない。住んでた孤児院で、いきなり爆発?が起こって……逃げて、気づいたら、飛んでた」
「——孤児院の、事故か。先だって似たニュースがあったが……まさか、な」
バルザックはその言葉を確かめるように呟くと、何か考え込み始めてしまった。
場に沈黙が流れる……前に、はっとマリーが口を開く。
「そういえば!聞くタイミングなかったんですけど、アントワーヌさん、生身で空飛びましたよね!?あれって、どういうことなんですか!?」
「ふっふっふ……遂に僕の秘密を語るときが来たようだね!あ、『さん』は付けなくていいから」
黙りこくったバルザックをよそに、アントワーヌはすっくと立ちあがり、顔に手を添えポーズを決める。
「僕は飛行機なしの飛行士サン=テグジュペリ……そのからくりは単純明快、世界でも一握りの者だけが使える異能力の持ち主だからなのさ!」
「イノウリョク?」
「そう。本来人間にはできないことを可能にする、奇跡のような力。ともすれば世界を破滅に陥れることもできる危険なものにもなりうるけれど、僕らはそんなことはしないから安心しておくれ!」
「そ、そうですか……」
なにやら突拍子もない話が出てきたが、実際に超常的なことを体験してきた身としては、一旦受け入れる他ない。冷静になろうと、マリーはカフェオレを一口飲んだ。甘ったるさが疲れた脳に心地よい。
「この世界には異能を悪用しようとしたり、異能者を危険な存在として管理しようとしている人たちがいてね。僕たち『サロンドゥレヴリ』は異能者たちが自由に安心して暮らせる社会を作るために色々な活動をしているというわけさ!例えば、異能者の保護なんかだね」
「……そうなんですか。じゃあ、なんでわたしを助けてくれたんですか?何の力もないのに」
「そりゃあ、力があろうとなかろうと、目の前で溺れてる人がいたら助けるのが道理ってものさ」
あたりまえのことだ、とあっけらかんと言い放つアントワーヌ。
何気ない会話として当人は言ったのだろうが、その言葉にマリーは妙な安心感を覚えた。何か根拠だとか、これからについての具体的な何かがあるわけでもないのに。
「バルザック、マリーのことうちで雇わない?孤児院が大変なことになっちゃったみたいだし、きっと行く当てもないだろうしさ」
「……今思いついたことを言ってるな」
「うん」
「相変わらず楽天家だな、お前は……暫く軒先を貸してやるならまだしも、雇うとなるとそれ相応の資金やら手続きがいるしあまり大所帯になりすぎても……」
「暫くうちで面倒見るのはいいんだ!?やったねマリー!」
「こら!捨て猫拾ったみたいな扱いをするんじゃない!」
……マリーの胸に沸いた安心感が消えうせた。まさかダメだと言われたら「元気で生きていくんだよ……」なんてこのカフェに押し付けていく気だったんじゃないだろうな!?
やっぱりこの人に拾われたのは間違いだったかもしれない。
そう思った矢先、からん、とドアチャイムが鳴った。
「こちら
店内に現れたのは、どこか場違いなほど優雅な女性。社交場のほうが相応しい薄荷色のドレスを纏い、銀髪を美しく結い上げた彼女は、マリーをまっすぐに見つめている。その鋭い目つきは、バルザックとは対照的にどこまでも冷たいものだった。
「迷い子を誘い込む算段でも立てていたのですか?小賢しい蟒蛇さんたち」
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