第3話

カローは、姫の顔を見ただけで悟っていた。

──これはもう、何を言っても無駄なときだ。下手に言葉を重ねれば、意固地になり、ますます頑なになる。

姫には、そういうところがあった。

案の定、さっきの「後じゃ後じゃ!」で完全に扉は閉ざされた。

カローはそれ以上粘るのを諦め、そそくさと建物を出て、板床からぴょんと地面に降りた。

ため息まじりに、ぽつりとつぶやく。

「姫の、じっちゃんの田舎でのことじゃというに……まったく、心持ちが動かぬとは……儚い、とほほ……」

その独り言は、さすがに姫には届くはずがなかった。

……のだが、中からいきなり、すごい声が返ってきた。

「見たこともないじっちゃんに、心持ちが動くわけないだろうがっ!」

カローはぎょっとして顔を上げた。

すると、姫の傍で控えていたジュクックが、まるで何もなかったかのように微笑みながら言った。

「──とは言われても、姫が持っておられる、その不思議なアレ……あれは、じっちゃん譲りでございますぞ」

「知らぬわっ」

姫は声を張ったまま言い返した。

「噂に聞く、じっちゃんのハカとやらは、どっちの方向にあるのじゃ?」

ジュクックは静かに指をさした。

「──あちら、でございます」

すると姫は立ち上がり、入口までスタスタと歩いていった。

そして、お得意の腰に手を当てるポーズ。これが出るときは、大抵ひとこと放つと決まっていた。

そして、叫んだ。

「──もっと長生きしとかんかーいっ!!」

その声が、都の空に、すこし響いた。


──遠い地

無数の細長い池が、平野のそこかしこに、まだらに散らばっていた。

その池はもともと川の一部だった。

幾度も氾濫をくり返し、そのたびに流れをねじ曲げては、川は新たな道を見つけ、古い流れの一部だけが水を湛えたまま置き去りにされた──そんな名残の池である。

この池は、川から剝ぎ取られたように見えた。

だから人々は、それを「八剥ぎ川(やはぎがわ)」・・無数に剝がされた川・・と呼んでいた。

川と池の水を引き入れて、人々はここに、当時としては珍しいほど広い田んぼをこしらえていた。

春ともなれば小舟が通れるほどの水路がいくつも走り、風が稲の葉先をゆらすたび、田んぼはひとつの湖のように見えた。

その田園の外れ──まだ草が生え放題の荒地に、奇妙な土盛りがあった。

いまの世ではそれを「前方後円墳」と呼ぶが、当時の人々がどう呼んでいたのかは、定かではない。

作者はひとつの説を信じたい。

──「ツボハカ」

そう、人はそれを“壺の墓”と呼んでいたのではないか。

ちょうどこの時代、人々は大陸から渡ってきた儒の教えに触れていた。

その教えでは、死者の魂は海に浮かぶ壺のなかで暮らすという。

壺の中は広大で、ひとつの世界・・常にあたたかく、風も穏やかに吹き、死後、人々はその中で穏やかにのほほんと暮らしている・・・

前方後円墳の形がその壺を模したのだとすれば──それは確かに、死者のための、ひとつの最高の贈り物だった。

その巨大な土盛り──ツボハカは、まっ平な野のなかで、あまりにも目立っていた。

空に向かって丸みを帯びた背を張り、まるでなにかが今も中で眠っているかのようだった。

今、そのツボハカに、二十人ほどの女たちが登り、草をむしっていた。

太陽はすでに傾き、風は冷たさを帯びていた。

女たちは袖を引き寄せながら、土の匂いのする草をむしりつづけていた。

誰も言葉を交わさず、ただ虫の声だけがにぎやかに響いていた。

その音が、女たちの草をむしる手つきと不思議と調和し、作業はまるで風景の一部のように静かに続いていた。

その周囲には、男たちが立っていた。

皆、麻の正装を着込み、手には大ぶりの榊の枝。

けれど動きは揃っておらず、それぞれが勝手な間で、ツボハカの方を仰ぎ見ながら時折、祓いの動作をしていた。

整った祭りの儀というより、思い思いの祈り──あるいはそれが彼らの感じる調和の雰囲気──

そのときだった。

──ゴォーン。

まるで大鐘を打ち鳴らしたような、低く、重たく、腹の底を揺さぶるような音が、ツボハカの中から響いた。

「うわっ!」

「なんだ──いまのは──」

声にならぬ声があがり、女たちはよろめいてその場に尻もちをついた。

男たちの一人が榊を取り落とし、それはかさりと音を立てて草地に転がった。

周りに茂る大木の枝の葉が風に乗って、ひとひら、ひとひらと地に落ちる。

その音は、一瞬にして野を満たし──そして、消えた。

同じ時。

都のまろうど屋(迎賓館)の入り口で、姫はふいに空が揺らいだように感じた。

まるで、地と天のあいだにあるはずのものが、一瞬だけ緩んだような──そんな奇妙な感覚だった。

「……うっ」

姫は小さく呻き、ふらりとよろめいて、その場に腰をついた。


どこか遠いところで・・

荒れ地に男たちの屍が折り重なるように倒れていた。その数およそ三十。皆、深く槍に突き刺され、すでに蠅がまとわりついていた。

 その傍らには、それぞれの家族たち――妻や姉妹、幼い子らの姿があった。すすり泣く声、嗚咽、そして誰とも知れぬ女が地面を拳で打ちつける音が、重たい空気のなかに響いていた。

 空は低く、黒い雲が垂れこめていた。ぴゅう、と風が吹き、荒地の草をなぎ倒す。やがて、その風の向こうから、轟々と車のきしむような音が聞こえた。

 がらがらがら――。

 車はごつごつとした車輪で地を削りながら現れた。その上には、何か巨大なものが載っていた。

 大鐘(おおがね)だった。

 それは、並の鐘よりもはるかに大きく、風にあおられて鈍く、金属のうなるような音を発していた。鐘を引いて歩くのは二十人の男たち。どの顔にも笑みはなかった。

 それを見た女たちは、息を呑み、いっせいに数歩、後ずさった。一人、二人、声をあげて逃げ出した。

 車が止まると、ひときわ背の高い男が前に出た。そして、風をつんざくような声で叫んだ。

「約束の大鐘(おおがね)じゃ――二た足り(ふたつ)だ! これで借りは終いだ。車もくれてやらぁ!」

 そう言ってから、男は口の端を歪めた。

「春になったらよォ、そっちの田んぼは、俺たちが耕す! 楽しみに待ってろや、女ども!」

 男たちは振り返ることもなく去っていった。残されたのは、大きな鐘と、吹きすさぶ風、そして泣き崩れる者たちだけ。

 風にあおられ、大鐘が、こぉぉぉ……と不気味に鳴っていた。


 都のはずれ、荒れ地に続く小道を、一匹の狐が走っていた。細い体をしならせ、舌を出して息を切らしている。その後を、三人の男たちと二匹の猟犬が追っていた。犬は吠え立て、鼻を地面にこすりつけるようにして狐の臭いを追っている。男たちは石や棒を振りかざし、狐をどてっぶちへと追い詰めようとしていた。

 その土手の向こうには、ススキが一面に広がっていた。背丈を越える草むらの中に、弓を持った男が三人、身を潜めていた。息を殺し、目を凝らしている。

 狐は土手の際まで追い込まれた。犬たちの吠え声が、すぐ背後まで迫っていた。あと数歩もすれば矢が放たれ、仕留められるはず――

 そのときだった。

「おーい、なんかきたぞーっ!」

 追手のひとりが叫んだ。緊張感のない、その声に気を取られ、弓を持った男たちも思わずススキの中から顔を出した。

 狐は、命拾いをした。身を翻すと土手を駆け上り、野の向こうへと姿を消していった。

 その狐の逃げた先から、鈍くうなるような音が近づいてきた。がらがらと重たい車が引かれ、縄でぐるぐる巻きにされた巨大な鐘が載っていた――

 鐘には縄でぐるぐる巻きにされ、ところどころに何の意味があるのか・・古びた布切れが挟み込まれていた。

 それは、殺された人々の恨みがこもっていると噂される呪鐘であった。

 はじめは、とある村に運び込まれたものであった。だが、その村では人が病に倒れ、牛馬が立て続けに死んだ。村人たちは怯え、鐘を封印した。そして隣村へと運び出した。

 次の村でも火事が起き、子が井戸に落ちた。村人は鐘をさらに隣村へと追いやった。そうしていくつもの村を転々とした末、湖に捨てようとしたとたん、ひとが落雷に打たれて死に、家が根こそぎ崩れた。

 いつの間にかそれは都に向かい始め、今まさにここへと届けられたのだった。

 鐘は車の上で静かに揺れ、封じられた縄の隙間から、誰もが見てはならぬもののように、冷たい金属の曲面を光らせていた。


 都の入り口――といっても、この時代の都に門や塀などはなかった。荒野の果てのあるところから突然に家々が現れ、人が行き交い、都が始まるというだけの話であった。

 その境目に、鈍くきしむ音を響かせながら、大鐘(おおがね)を載せた車が近づいていた。青緑に腐食した金属の塊は縄でぐるぐる巻きに封じられ、風に吹かれて不気味な音を立てていた。

 そこへ、都の奥から数人の男たちがあわてて駆けつけてきた。先頭を走るのはアクエ。そして、その背後にはコブウをはじめとする数人の使いの者たち。

「止めろ! 止めろ、都には入れるな!」

 アクエは叫んだが、車は止まる様子を見せなかった。そのままゴトゴトと、都の中へと侵入していった。

「これは、都へ持ち込んではならぬと、知らせておいたではないか!」

 アクエは、引き手のひとりに詰め寄った。

「そ、それが……どの村でも置き場がなく……」

「置くんじゃない、愚か者! 他の村の者たちがしたように、埋めればよいのだ!」

「は、はい、しかし……どこも、埋めるのを嫌がりまして……」

「ならば山へ持って行け、山に埋めろ!」

「し、しかし、山までは遠く……」

「とにかく都には入れるな! 回せ! 引き返せ! 元の道を戻れ!」

 アクエが絶叫した。

 だが――

「おい! 止まらんぞ!」

「う、動かん、手が……手が離れないんだ!」

 車を引いていた男たちは、車から手を放そうとしても放せなくなっていた。車はただ一つの方向――都の奥へ、まっすぐ進んでいく。

 止めようと前から立ちふさがった男は、体が凍りついたように動かなくなり、そのままひかれそうになって飛び退いた。

 コブウは横から車を止めようと駆け寄り、足を滑らせて車の轍の中へ倒れた。

「ひぃぃぃっ!」

叫びながら地を這ったが、まるで前に進めなかった。轢かれる寸前、集まっていた人々の中のひとりが手を伸ばし、間一髪で引きずり出された。 アクエは車の進路を変えようと、横から力を込めて押した。すると――

「ぬっ……!」

 その手が、鐘の車にぴたりと吸い付くように貼りついた。

 離れない。

 アクエは腕を引き抜こうとしたがびくともしなかった。そのまま、彼もまた、車とともに進まざるを得なくなった。

「なぜ……止まらぬ……これは……これは……!」

 アクエの声が、鈍い車輪の音とともに、都の中へと吸い込まれていった。その顔は、怒りとも哀しみともつかぬほどに歪み、入れ墨と相まって、しかめ面どころか、鬼のような表情になっていた。


 都の外れは山だった。

千メートル級の山々が、横に長く、垣根のように重なりながら連なっていた。その山の入口に曲がりくねった朱色の小さな鳥居があった。そこは都から三百メートルほど、荒れ地が続いた先――あたりには人の気配が薄れ、風が吹くたびに梢がざわめいていた。

 大鐘を載せた車は、まるで導かれるように、その森の鳥居へと向かっていった。

 それは現在のような大きく整ったものではない。木を組み合わせて作っただけの粗末なものだった。柱の太さもせいぜい人の足ほど。しかも、その木は真っ直ぐではなく、どれも曲がりくねり、節くれだっていた。

 そうした鳥居が、くねった道に沿って、いくつも並んでいた。まるでどこかに迷い込ませるために用意された、古い迷路のようだった。車はその鳥居を潜り抜け、奥へ奥へと進んでいた。 アクエは叫んだ。

「誰か、身を投げ出せっ! 体で車を止めろっ!」

 しかし、誰一人として動かなかった。さっきまで車の周りにいた者たちは、まるで霧に溶けるように、どこかへ姿を消していた。

 代わりに、木々の陰から何かがこちらを覗いていた。

 異形のもの――としか言いようがなかった。輪郭はおぼろげで、動物とも人ともつかぬ形。目だけが、ぼうっと闇の中で光っていた。

 アクエは、ぞっとして目を閉じた。

 しばらくして、かすかに目を開くと、車はすでに薄暗い森の奥深くへと進んでいた。

 そこには、行き止まりのように、ひとつの建物が建っていた。

 みすぼらしい土床の家――その形はどこか奇妙だった。奥に細長く、入口は暗がりに沈んでいた。門には、おどろおどろしい彫刻や飾りが施され、両脇には無表情な土偶がずらりと並んでいた。

  車がまっすぐその家に向かっていったとき、誰もがぶつかると思った。皆が身を固くしたとき……家は……曲がった。 くにゃりと、柔らかく――まるで生きもののように、身をくねらせ、道を開けた。 ――そのように感じられた。何が起こったのか、定かではなかった。ただ、世界が裏返ったような、不気味な感覚だけが肌にまとわりついていた。

 今は車を牽くものたちは、まるで亡霊かのように、声もなくなっていた。

 そして――気づいたときには、そこに洞窟があった。

 黒々と口を開けたその洞窟の前に、一人の男が立っていた。ぼろをまとい、骨のように痩せた体。油を燃す炎に、ぎらりと光る瞳だけが浮かんでいる。

 シャーマンのシャーマ――。

「シャーマ……?」

 アクエは、ようやくの思いで名前を呼んだ。声はかすれ、喉の奥で裂けていた。

 だが、シャーマは答えなかった。ただ、痩せた指を洞窟の奥へと向けて、無言の命を示した。

 洞窟の入り口には、太いしめ縄が張られていた。苔と土にまみれ、ところどころ切れかけていたが、それでもなお「結界」であることを感じさせた。

「この奥は……」

 誰かがつぶやいた。

 いにしえより語られてきた言い伝えがあった。この洞窟の奥には、“封じられた魔”がいると。

 それは名を持たぬもの。目に映らぬもの。けれども、確かに存在し、ここに閉じ込められていると、古老たちは言っていた。

 洞の奥には、何かがうごめいている気配があった。影が、幾つも、もつれ合うように、こちらを見ていた。

「奥へ行くのだ」

 シャーマが低く言った。

 誰も動こうとはしなかった。だが、車は進んだ。手を放したくても、まだ放すことができなかった。人々はそのまま、洞窟の奥へと引き込まれていった。

 やがて、奥まった場所で、車はゆるりと止まった。

 「……立てるのだ」

 シャーマが静かに命じた。

 誰も返事はしなかった。ただ黙って、大鐘を立てた。

 大鐘は、どことなく、首をはねられた人間のように見えた。何かがまだその中に宿り、沈黙していた。それがそこに在るだけで、重苦しい何かが降りてくるようだった。

 シャーマは、全員に洞窟の外へ出るよう指で示した。いつの間にか、彼らの手は車から放れていた。彼らが洞窟の外へ出るとシャーマはしめ縄を張り直し、洞窟の口を封じるように竹で編んだ簾を降ろした。

 「これから、わしがこの大鐘の守(もり)をする」

 彼はそう言って、背を向けた。

 アクエたちが見守る中、シャーマは簾の前にひざをつき、ゆっくりと手を地に当てた。そして、聞いたことのない言葉で、低く長い呪文を唱え始めた。



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