第2話
都──
直径でおよそ二キロ。件数にして五百戸ほど。文化的には、まだその第一歩を踏み出したばかりの、素朴な集住地だった──。
家々は、ほとんどが竪穴住居。地面に穴を掘り、芦や茅などの草葺きの屋根をかぶせただけのものが大半を占めていた。だが、その地に暮らす人々は、単なる農夫ばかりではなかった。
この地に集まっているのは、各地の稲作地帯から選ばれてきた代表者たち。その随行には、炊事や薪割り、縫い物をこなす使用人たちがいた。なかには、物々交換の末に海を越えてゆく絹の織りに携わる者たちの姿もあった。土器や石器を作る職人、動物の骨を削る者、火を扱う者、塗りを施す者──そして、すでに金属を扱う者や、鉄の扱いを得意とする者の姿もあった。
様々な技を持つ手が、この場に集っていた。
都の中心部には、建設の最中にある異様な建物があった。
三層の木造建築。やけに細長く、高く、まるで風を祀る柱のようなその構造は、明らかに住まいではなかった。その正面には、二十五メートルほどの広さの砂地が広がり、周囲にはひさしの深い、細長い建屋が数棟。そこは神器や祭器を納める倉であり、また拝礼のための場所でもあった。
その奥には、一棟の粗削りな板を敷いた二階建ての大建物があった。板といっても、現代の目には節だらけで歪んで見えるが、そのころの人々にとっては、誇るべき板床の建築だった。さらにその周囲には、それに次ぐ規模の屋敷が整然と立ち並んでいた。いわば「豪邸通り」である。
その一角に、現代人ならば倉庫と見間違うような、高床式の縦板張りの建物があった。今まさに、その中に都の主だった者たちが集まっていた。
荒れた声が飛ぶ。
「
鋭く言い放ったのは、王にもっとも近い男。側近にして、まるで後の世の“家老”のような立場にある男──カローである。名が安直なのは、この際ご容赦願いたい。
その言葉に即座に反発したのは、顔におどろおどろしい刺青をほどこした、ひときわ異様な風貌の男、アクエだった。顔の皺が刻まれるほどに眉を寄せ、凄みを込めて叫ぶ。
「親の親たちから受け継いだもんを、埋めろだと!?そんなことをするのはワイヌ (人)でなしでっせ! なにがあっても埋めはせんっ!」
場の空気が重くなった。
そのとき、奥の椅子──その席だけが椅子だった──から、かすれた咳とともに声がした。
釘は使われず、木と木を組み、木の皮でしっかりと縛った、粗くも威厳ある座だった。
「……しかし、もう……使っておらぬのではないか……ゴホッ」
王であった。年は四十五。だが長引く風邪が癒えきらず、この様子では、もはや癒えることもなさそうだった。顔色は土のようにくすみ、話すごとに胸を押さえて咳き込んでいた。
「使うか使わんかの話ではないっ!」
アクエが激しく言い返す。
「……では、こうしよう。動かしてはならぬものと……定めよう……ゴホッ……」
王が絞り出すように言葉をつなげる。
しかし、アクエが即座に反駁した。
「動かさぬままで、他の村のものとなってしまっている例が──あるのじゃっ!」
それは実はみんなが知っていた。その事実があからさまになると問題が更に複雑になるので黙っていたのだった。あるものは目を伏せ、あるものは髭を撫で、あるものは天井・・といっても天井は無く、むき出しの垂木とそこからはみ出す茅と泥をだが・・を見上げた。
板壁の上の方に開けられた明かり取りの隙間から、冷えた風が細く差し込んでいた。
「……」
外から鳥の声が遠くに聞こえた。窓枠には曲がった木。風よけ兼、飾り用に張られた薄い布がかすかに揺れていた。
それだけが、止まった時間のなかで静かに動いていた。
どこか遠くの地。
山の裾野に寄り添うようにして、小さな集落があった。
家の数は二十ほど。風が抜ける谷あいの、ぽつぽつと立つ竪穴の住まいから、夕餉の煙が立ちのぼっていた。
その村に向かって、五人の男たちがしっかりとした足取りで歩いていた。
先頭に立つのは、ひときわ背の高い男。首元には、ひとつだけ勾玉を通した革紐が下がっている。後ろをついてくる四人は、肩幅が広く、骨太で、いずれも無言のまま男の背中を追っていた。彼らには勾玉はなく、また顔の刺青の位置も異なっていた。背の高い男が額に彫りを持つのに対し、四人は皆、顎のあたりにそれを刻んでいた。
村の奥へと進むと、土を盛り上げて築いた塀の向こうに、大きな竪穴の住まいが現れた。塀の前には、いかだを立てかけたような丸太の扉があり、塀の内側に足を踏み入れると、吹き込む風とは裏腹に、どこか重く淀んだ空気がまとわりついてきた。
「おーい! 来たぞー!」
背の高い男が低く叫ぶと、しばらくして家の奥から一人の男が姿を見せた。
年の頃は四十ばかり、腰回りに貫禄を湛えたその男は、三つの勾玉が通された立派な首飾りをつけていた。無言のままこちらに目を向けると、すぐさま踵を返し、家の裏手へと向かった。
裏には、茅を分厚く葺いた屋根の屋根をもつ、馬屋のような建物があった。そこは、言わば展示用の建物だった。
その掃き清められた土の上に、八つの**大鐘(おおがね)**がずらりと吊るされていた。どれも丁寧に磨かれ、緑青の下から、赤褐にくすんだ金属の光が、かすかに滲んでいた。
それはまるで、命の熱をかすかに留めた古い血のように、ひっそりと光っていた。
背の高い男は、そのうちの右端に立って言った。
「──これは、俺のだな?」
主は恥を忍ぶように、わずかに頷きながら答えた。
「ああ、そうだ」
男は五歩ほど歩を進め、もう一つの鐘の前に立った。
「これも、俺のだな?」
「そうだ」
すると彼は仁王立ちになり、腕を組んで背後の四人に目をやった。
「──この二つは、たった今から、お前らのもんだ」
静まりかえった空気の中、しばらくして一人が吹き出した。
「なんだと?」
彼には背の高い男の言った意味が分からなかった。傍らにいた男は笑った。
「冗談はよせ」
そのとき、主が声を荒げた。
「冗談じゃねぇ! これは親から受け継いだ、大事な鐘(かね)だ! 米の一抱えやそこらで、代えれるもんじゃねぇぞ!」
さっき笑った男には、主のその怒りの言葉が──冗談を真に受けたものなのか、それとも冗談が通じなかった苛立ちなのか、判断がつかなかった。
ただひとつだけ、確かなことがあった。
この村の長老が、本気で怒っている。
その場の空気は、土の奥へ沈みこむように重たく、誰もが息を潜めた。
顎に刺青を刻んだ男は、顔色を失い、かすかに喉を動かして唾を飲み込んだ。
何かを言おうとしたが、言葉は口の奥で凍りついたままだった
カローは、痩せた首を引き伸ばしながら、しわの寄った喉から力んだ声をしぼり出した。
こういう場になると、彼はいつもこうだった。指を立て、眉を吊り上げて──まるで老人役の役者のようになるのだ。
もっとも彼は、まだ四十八だったが。
「……鐘を預けるから、米をよこしてくれ。これは、祖の代から受け継がれてきた、大切な鐘じゃ。来年、米がとれたら必ず渡すゆえ──それまで預ける・・」
その隣で、王は黙って座っていた。耳の横で束ねた髪、額に刻まれた渦の刺青──
今、その眉間に寄ったシワが、かつての強さと明晰さをほのかに呼び戻していた。指を組み、股間のあたりでそっと重ね、目を閉じて聞いていた。
カローは続けた。
「そして次の年、鐘と米を取りかえる話が叶うと思いきや───また鐘をよこしてきた。曰く『この年も、米がようけ取れなんだ……』。さらに『子がようけ生まれてなぁ』と……言い訳ばかり繰り返し──」
「……で、ぶち切れて戦に至った、と」
カローの言葉をさえぎってアクエが口を挟んだ。じれったそうな口ぶりだった。
顎をしゃくり、声は太く、やや喧嘩腰。首飾りの五つの勾玉が、彼の動きに合わせて胸で跳ねた。
「近頃の若い奴らは鐘を何だと思っているのだ?!よその村の手に渡って恥ずかしくないのか?いや、恥ずかしいに決まっている!それは言い訳ではなく、まことのことに違いないぞ!」
カローが顔をしかめた。「そうではないのだ・・すでに人をやって確かめてある」
「そんなら、懲らしめねばならん!その村の男はすべからくキンタマつぶしじゃ」
アクエは口角を吊り上げて笑った。
彼の額には、刺青で描かれた吊り上がるような眉があった。それが感情と関係なくいつも怒って見えるのが、恐ろしくもあり、どこか滑稽でもあった。
「そもそも鐘ってのはだな、
その声は、室内の梁をも揺らすように響いた。
王は、やや顔をしかめたが、声を出さなかった。
その姿には、かつての覇気はなかった。代わりにカローがまた、喉を絞って言った。
「だが、あの村は確かににあっちの村の為にどの年も野焼きの手伝いをしていた。それを考えると、そのくらいの米はその埋め合わせとしては・・」
「それを言ったら、あっちの村の熊が人を食ったゆって借り出されたのはこっちたの村やんけ!」
「……うむ……そう、確か……」
ぽつりとつぶやいた声は、覚束なかった。
かつては記憶の鬼とまで言われた王も、いまや八つの勾玉の首飾りをまとっていなければ、ただの病み上がりの男に近かった。
その沈黙を割ったのは、アクエと同じ年で彼の子分めいた男、コブウだった。
彼は小柄な体をさらに丸めて、アクエの顔色をうかがい──うなずきを得ると、低くまろやかな声で言った。
「やはり都で兵を集め、田舎の者どもに少し力ずくでもこっちの考えをを分からせたほうがよいのではないかと」
その言いぶりは丁寧だったが、口の端には薄く笑みが浮かんでいた。
彼の自慢の喉からでた語り口は、どこか本音を煙に巻くようでもあり、それゆえに空気をさらに濁らせた。
「……それだ、モノノフ(兵隊)で蹴散らし、我らの考え通りに動くようにさせるのだっ!」強く放たれたアクエの言葉に、誰も返さなかった。
カローは黙って王の顔を見た。
そして、小さく頭を下げて言った。
「──姫をお呼びいたしましょうか」
王は、しばし目を閉じたまま、動かなかった。
やがて、静かに首を縦に振った。
都のまん真ん中。
空に向かって骨のように突き出た、妙な形の塔──。
柱と柱のあいだには、まだなにも詰まっておらず、骨組みだけがむき出しだった。
その塔の中ほど──ちょうど二階にあたるあたり──
四枚の絹の反物が、風にゆらゆらと揺れていた。
どれも細やかな文様が織り込まれた立派な布だが、よく見ると、日差しでところどころ色が褪せている。
その最後の一枚を、今まさに姫が、横柱にくくりつけようとしていた。
姫の足の下には、木と麻紐でこしらえた、しかるにかっしりとした脚立。
それを両手でぎゅっと押さえているのは、姫の付き人のジュクックだった。
そのとき、下の地面から声が上がった。
「姫ーっ!」
姫の顔が、ぱっと明るくなった。
「来たかっ!」
うれしそうに笑った姫は、ジュクックに言った。
「これは任せた!」
そして、脚立を勢いよく降りると、地上で待っていた下の者の前に、駆けるようにして立った。
「トミとやらは、わらわが自ら錦を飾っとるところを、ちゃんと見たかな?」
「い、いや、それは……たぶん……見てなかったような……」
「見てくれりゃよかったのに。なんだかこう……つまらんのう……」
言いながら、姫はその場でと小さ跳ねた。
「で、そのトミとやらは、噂どおりの──しびれる男かの!?」
「それは姫さま、自ら見極めていただいては……」
使者が頭を下げて答える。
王の館の南隣にもまた、板床で組まれた建物があった。
地面から床までの高さは、五十センチほど。その床板は建物の壁より1メートルほど外に突き出て建物をぐるっと囲む廊下となっていた。屋根はひときわ分厚く立派で、下から見上げると茅葺がむき出しにならぬよう、飾り板が丁寧に当てられていた。軒先にも、塔と同じような反物が装飾のようにゆらめいていた。
風に揺れ、日差しに照らされ、絹はうっすらと色褪せてはいたが──それでもなお、美しかった。
姫はうきうきと、その建物へ向かって歩いていた。
今日の姫の装いは、ゆかたに似た衣を二枚重ねようなたもの。技術にも既に優れており色合いとツヤの良さは申し分なかった。その上から、ふわりと羽織のような布をかけている。
髪は耳のうしろで結ばれ、現代で言えばリボンのようなものが巻かれていた。
足もとは、模様のない、素朴な木靴。
彫りが浅く、塗りもないが──なぜかそれが、かえって姫の軽やかさを引き立てていた。
「どんな男かのっ!?」
ジュクックは微笑むだけだった。姫は、拳をぎゅっと握って、ジュクックに向かってぴょんと跳ねた。姫が跳ねた足もとで、木靴がコツンと、のどかな乾いた音を立てた。
下の者が建物の中に向かって一声あげる。
「姫が来られました!」
扉が開くと、姫は靴を履いたまま、コッコッと中へ上がっていった。そして三歩目ではっと気づいておしとやかな足取りとなった。藁を編んだ蓆の上をまっすぐに歩き、正面に据えられた竹組みの椅子に、すまして腰を下ろす。
「姫であられます」
中に控えていた琴弾女が頭を下げつつ言った。
「──姫じゃ」
姫はあごを少し上げて澄まし顔のまま、視線を正面へ向けた。
そこにいたのは──まったくもって、さえない男だった。
あぐらをかいて座ってはいたが、肩は落ち、顔はどことなくたるんでいた。
目元は垂れ、口元はぼんやりと開きかけており、髭は手入れされておらず、入れ墨は少ししかない。全体から覇気というものが感じられない。着ている麻布の衣はくしゃくしゃで、袖の調整に使われている紐も、どこぞの草の蔓を結んだような代物だった。
姫は黙ってじっと見た。
男もまた、黙っていた。
やがて姫の目線に耐えかねたのか、男は目をそらし、うつむいてしまった。
「よう参ったの。トミ。・・・んで……ワカサとは、どんなところじゃ?」
姫はグイグイと問いかけて目の前の若者から何か良い部分を引き出そうとした。
男は顔を上げた。
「は、はい。海がありまして……その……」
そこまで言って、言葉が止まった。
「田んぼは? どのぐらいあるのじゃ?」
「そ、そんなには、ありません……」
「そなたの国の山墓(やまはか)──そなたらは何と呼ぶ?・・ほれ、あの土を盛った墓は? どれほどの大きさじゃ?」
「……なんと言ったら……うまく……ええと……」
男は言いよどみながら、両手を大きく広げてたり少し狭めて見たりした。
その動きが、妙に間延びしていて、姫はだんだんといら立ってきた。
「……お主、舞でも舞って見せい」
姫が言い放つと、そばの琴弾女が、小ぶりな琴のような楽器を抱え、そっと音を鳴らし始めた。
男は、しかし、動かずに座ったままだった。
「舞じゃ! 舞ってみせいと言っておるのじゃ!」
姫の声が少し鋭くなる。
男は、困ったように頭をかいた。
「……じゃあ……お主、褒められたことはなんじゃ?」
「いえ……とくに、褒められるようなことは……」
「バカタレがっ!」
姫は椅子を蹴飛ばすようにして立ち上がった。
「お主は、遠くからわざわざ──何をしに、参ったのじゃっ!」
男はあたふたと手をつき、頭を下げた。
「は、はいっ……お目にかかりたく。ありがたく、しあわせに存じます……」
「──もう、よいわっ!!」
姫はぷいっとそっぽを向き、椅子から立ち上がった。
そこへ、外から足音がして──カローが顔を見せた。
「姫さま。王が、お呼びでございます」
姫は若者を見下ろしたまま、少しだけ眉を吊り上げた。
「……何の用じゃ?」
「話し合いが……少し、こじれておりまして……」
「またあの話か? アホじゃのうっ!」
姫はぷいっと顔を背けた。
「今はな、心持ちが悪いのじゃ。後じゃ後じゃ!」
カローは困り果てたように眉根を寄せた。
が、そのとき──
傍らにいたジュクックが、丸い顔にそっと微笑みを浮かべて、(今はマズいぞ)と目で伝えた。
カローはすこし肩をすくめ、諦めたように黙った。
姫はトミと呼ばれた男を一瞥し、ふんと鼻を鳴らした。
「お主と話しておるくらいなら、犬と遊んでいた方がまだマシじゃわ!」
その言葉に、トミは目を泳がせてうつむいた。
すると、ジュクックがやさしく、いつものゆったりとした調子で口を開いた。
「──姫の、ほんの戯れ言でございます。なにしろ、まだ八と六。(十四歳)にておられますゆえ」
その声音には、叱るでもなく笑うでもなく──ただ静かに、姫を包むやわらかさがあった。
若者のわきに控えていた供の者は、その空気を感じ取ったのか──
にこにこと笑い、二度、うなずいた。ごく若い年の割に、よく世の機微を心得ている様子だった。
ジュクックは、なおも顔を崩さぬまま、ちらとカローに目をやった。
その目配せは、はっきりと伝えていた。
──「今は、無理だよ」
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