第7話「氷嵐の予兆」



雪が舞う音はしない。ただ静かに、しかし確実に、白が世界を飲み込んでいく。


「……今日は、ちょっと奥まで行ってみようか」


佑真はグレイシアの前身であるイーブイに微笑みかけた。雪の中を跳ねるように歩くイーブイが「ブイ!」と元気に鳴く。返事は、それだけで十分だった。


数年前、あの雪山でキュレムに出会ったときの記憶が、今でも彼の胸に焼きついている。あのときはただ生き延びたという思いだけが強くて、なぜ伝説のポケモンが現れたのかを深く考える余裕などなかった。


「……なあ、イーブイ。あのときのキュレムって、なんで俺たちを助けてくれたんだろうな」


「ブイ?」


イーブイが首をかしげる。可愛らしい反応に、佑真は肩をすくめて笑った。


「まあ、答えは出ないよな。けど、なんか……また会える気がするんだ。妙にリアルな夢を見るんだよ。キュレムと、氷の中に包まれてる俺たちの夢」


雪を踏む足音が、次第に深くなっていく。風が強くなり、視界がぼやけ始めた。


「天気、急に悪くなってきたな……引き返すか?」


そう言いながら、佑真が振り返ったその瞬間――。


「ブイィィィッ!!」


イーブイの警戒した叫びが空に響いた。


直後、轟音とともに斜面の上から雪が崩れ始める。


「――雪崩! イーブイ、避けろッ!」


佑真は反射的にイーブイを胸元に抱え、駆け出した。しかし斜面の傾斜は逃げるには急すぎた。足を取られ、視界が真っ白に染まる。


頭を打ったのか、意識が遠のいていく――。


* * *


「……ッ、う……」


冷たさと重さに、意識が戻る。雪に埋もれていた身体を必死に起こすと、隣には震えながらも生きているイーブイがいた。


「よかった……生きてた……」


だがその安心も束の間、周囲から感じる異様な気配に、佑真の背筋が凍りつく。


空気が凍てついているのではない。もっと根源的な、世界そのものが静まり返るような「絶対零度」の気配。


そのとき――。


氷の靄の向こうから、銀青色の巨大な影が現れた。


「クゥゥゥオオオオ……」


その鳴き声は、胸の奥に直接響くようだった。


「……キュレム……!」


佑真は声を失う。幻ではない。今、確かに目の前にいる。


キュレムはゆっくりと佑真たちに近づくが、その瞳には敵意がない。ただ静かに、彼らを見つめている。


「まさか……また、助けてくれるのか?」


すると、イーブイがふらりと立ち上がった。身体が淡い光を帯び、雪の結晶のようなエネルギーが舞い始める。


「え……イーブイ、おまえ……」


「ブイィィィ……!」


眩い光が雪原を照らし、イーブイの身体が変化していく。


伸びた毛並みが氷のように輝き、目は鋭く、姿は完全に変わっていた。


「グ……レイ……シア……」


キュレムはその進化を見届けるように、一歩近づく。そしてそっと、鼻先を佑真とグレイシアに向けた。


「クゥオ……」


――まるで何かを託すかのように。


その瞬間、佑真の胸元が淡く光った。


「……えっ……なに……?」


手をかざすと、そこには見覚えのない装置のような形状――氷の紋章が浮かび上がっていた。


しかしその意味を理解する暇もなく、吹雪がふたたび強まる。


キュレムは何も告げず、氷の嵐とともに空へと飛び立った。


「……今の、いったい……」


グレイシアがそっと寄り添い、優しく「グレ」と鳴いた。


佑真はその体温に、現実を感じた。


キュレムは確かに現れた。そして――イーブイは、進化した。


胸の奥で、何かが始まりを告げていた。




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