22話 「別れ」
念じれば帰れるの言葉どおり、誠は今アイリの家の地下室に横たわっていた。周りには必死に誠の名前を呼ぶ三人の姿があって、誠はこの状況で一つの思いが頭に浮かんだのだった。
(起き上がるの超気まずいな……)
意識を取り戻して薄く開いた目で一番最初に目に入ったのは、誠の両肩を持って揺らしている愛莉の姿だった。揺らされているせいで視界がブレていたが、微かに見えた視界には、愛莉が泣いているように見えた。
気まずさからいつ起きたことを言おうかと思っていると、なにやらアイリとエクエスが愛莉を制止する声が聞こえてきた。何事かと目を開けると、飛び込んできたのは自分に向けて飛んでくる手のひらだった。
「え」
あまりに急なことで反応仕切れなかった誠は、モロに愛莉の平手を受けてしまい、その痛みから勢いよく起き上がったのだった。
「ちょ、ちょっと待て愛莉! 起きてるから!」
誠が起き上がったことに気付いていないのか、愛莉は更に腕を振りかぶって平手の準備をしていた。さすがに焦った誠は、既に制止を試みているアイリとエクエスに便乗して愛莉に声をかける。愛莉は誠の声に反応したのか、誠の頬に当たる寸前で手を止めた。
「誠……? 貴方、生きてるの?」
「今愛莉の平手打ちで死にそうになったけど」
誠が冗談めいて言えば、愛莉は誠の顔すれすれにある手を軽く握り、それを誠の胸めがけて軽く押し当てた。
「……馬鹿。あんたは大馬鹿ものよ」
「……ごめん」
愛莉からの暴言も今回はどうあっても誠が全面的に悪いので、特に言い訳はせずに謝る誠。自分のせいで愛莉が泣いているのだと思うと、その罪悪感から冗談すら出ては来ず、誠はただ内からくる申し訳なさから、愛莉の頭に手を伸ばして優しく撫でたのだった。
「神代君大丈夫なんですか!?」
「うん、なんともないよ」
目の前で魔力を全部抜き取られた瞬間を見ているので、こうして誠が元気そうに喋っている姿を見ても未だに信じられないのか、アイリも慌てた表情で誠に聞く。誠は本当に何も異変が無さそうで、空気の有毒物質を取り込んでるとは思えない程だった。
「……誠の魔力が完全に回復してるぞ」
エクエスが魔力感知能力で誠の魔力を見たらしく、信じられないものを見たように驚きを含んだ声色でエクエスは言う。エクエスのその言葉に愛莉とアイリは驚いていたが、誠だけはその現象に対して驚くことが出来なかった。それは先ほどの夢のような場所で聞いた誠が条件を満たさなければ死ぬことが出来ないと言うことが頭に残っていたからだった。
〝誠自身に向けられた殺意〟が無い場合に誠に死の危険が迫る時どうなるのかを、今誠は身をもって経験していた。なるほど、これはなんとも不思議な現象であると言えるだろう。
アイリが調子近距離でその瞬間を見たように、誠が自身の感覚でそう感じたように、誠の体から魔力は全て無くなった。だが、瞬きをした次の瞬間には空になったはずの誠の魔力が完全に回復していたのだからこれを不思議現象と言わずになんと言えばいいのか。
「もしかして特異点というのは、ほとんど人ではないというのは、そういうことなの?」
微塵も驚いていない誠の姿を見ていたのか、愛莉は誠の胸ぐらを掴んで自分の方に引き寄せ、怒気を纏った声色で誠に言う。それは誠に対しての怒りなのか、愛莉自身に向けての怒りなのか、誠には分かるはずも無かった。
「すべてにおいてそういうわけじゃない。ただ、ほとんど死ねないだけだよ。だから……泣かないでくれよ、愛莉」
「……だって、私のせいなのに」
「違うから。愛莉のせいじゃない。俺はあの時愛莉と約束したことも、その約束を思い出せたことも、ちっとも後悔してない。だからこの手を離してくれ」
誠の言葉に嘘は一つとしてなく、すべてが誠の本心だった。愛莉もそれが分かっているからやるせなくてつい誠に当たってしまうのだ。
「もしそうだとしても、自己犠牲なんてしたら許さないから」
「はいはい」
掴んでいた誠の襟首をゆっくりと下ろしながら離して、愛莉はふてくされながら誠に言った。例え死なないとしても、その身に受けることになる傷は無いものにはならないだろうし、おそらく痛みだって伴うはずだ。愛莉はそれがあるいうことを前提に、誠に釘を刺したのだった。
「ところで、構築式は書けた?」
「えっ? あ、今書きますね!」
誠が死んだかもしれないというときに構築式なんて書けるはずも無く、アイリは魔力を練り込んだインクが付いたペンだけを手に持っていた。なので誠に声をかけられたアイリはすぐさま構築式を書き始めたのだった。
「パラレルワールドの特異点とは、なんとも重い使命を賜ったものだな」
「うん、まあね。でも、いつもと変わらないさ。何かをしろなんて言われてないし、いつもどおり過ごすだけだよ」
「……違いない」
誠がそう言えば、エクエスは静かに吹き出した。その笑みの中には若干ながら羨ましさが含まれていて、それは自由に行動するへの憧れの気持ちなのだということが見て取れる。
「……出来た! お待たせしました、準備完了です!」
アイリにしては珍しくテンション高めに報告してきた内容を耳に入れると、ほんの少しだが愛莉の姿が透けているように見えた。そのタイミングはあまりにも良すぎて、まるでアイリの言葉を待っていたかのようだった。
おそらく少し前から愛莉のこの世界にいられる猶予は無くなって来ていたのだろう。そして愛莉に訪れるのはこの世界に留まることではなく、パラレルワールドの異なる世界を行き来することで、だから愛莉の体が透け始めたのだろう。あれはおそらく強制転送によるものだ。
ここまで考えて、その現象を目にした誠は、頭の中である一つの可能性を思い浮かべた。
愛莉に猶予が近付いているのにも関わらず愛莉の体が透けていなかったのは、おそらく先ほど(と言っていいのか分からないが)誠が会ったテオの仕業だろう。テオは愛莉と近しい者だと言っていた。ということは推測の域を出ないけれど、テオが愛莉のことを助けたとしてもなんの疑問もない。おそらく彼は愛莉の血縁者なのだろうから。
「あら」
まるで緊張感の欠片も無い驚きの声に、愛莉以外の三人は思わず漫画のようにズッコケそうになるが、それを抑えて立ち直す。そして仕切り直すように誠がアイリに声をかける。
「愛莉のこれはもうどうにもならないから進めて、ソニードさん」
「あ、はい! じゃあお二人はこの構築式の真ん中に立って下さい。今は術が発動してあるので、文字部分を踏んでもインクが消えることはないので」
「了解。ほら愛莉」
「あら、エスコート? 手が透けていて申し訳無いけれど」
誠が構築式に入ろうとする際に愛莉に向けて右手を差し出せば、愛莉は自分が発した言葉とは裏腹に、とても嬉しそうな顔をしていた。それは、思わずアイリが見惚れて動きを止めてしまうくらいに綺麗なものだった。
「何があるかわかんないから、手、放すなよ」
「それはこっちの台詞だわ」
「もう放すもんか。約束したろ」
「破ろうとしたこと、私はそう簡単に忘れてなんてあげないけれどね」
痛いところを突かれた誠は、愛莉から目を逸らして何も言えなくなっていた。そんな誠を見て愛莉はしてやったり顔で笑いながらも、誠の手は絶対に放そうとはしないのだった。
「じゃあお二人とも、いきますよ」
アイリのかけ声で誠と愛莉の立っている構築式が青白い光を放出させた。目の前が真っ白になる直前、アイリとエクエスの声が聞こえた。
「アイリ譲との関係を修復させてくれて感謝する。本当にありがとう。元の世界では無理せず、”普通”を歩んでくれ」
「私! 絶対にそっちの世界と通信できるようになってみせます! だから待っててください! ……愛莉さん!」
二人からの言葉が嬉しくて、何かお礼がしたいと思ったのだ。手が放せないならと愛莉も誠も普段は張り上げない声を二人に届けるためになんの惜しげも無く声を張り上げた。
「俺達もありがとう! 二人のこと応援してるから、これからソニードさんと仲良くね!」
「また貴女たちと逢えるって信じてるわ! ……だから、また逢いましょう、アイリ!」
誠と愛莉が叫び終わると、二人は青白い光に包まれて、意識を失ったのだった。
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