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★
オリエンテーションの終了後。
先ほど、地球に帰ってきたスペースシャトルの如く私の隣の席に着弾した彼女はそこでようやく、
県境を越えてやってきた私と違い、幸那は同じ都道府県内からの進学らしい。ただ、高校は進学校でもなんでもなかったらしく、同じ高校から進んできた友達は誰もいなかったのだそうだ。
「だからさあ、ぶっちゃけオリエンもサボるかギリギリまで迷ってたんだけどね? でもよかったよ、
「それは、手っ取り早く話し相手が見つかったから?」
「愛が足りないなあ。サボんないで来たおかげで、あたしは晴子のピンチを救えたんだよ? よかった、以外の何物でもないでしょ」
「ふうん。まあそうか」
正直言うと、私は幸那みたいに「よくしゃべる明るい女の子」のことがずっと苦手だった。
別に、そういう子からいじめを受けたことがあるとかいうわけではなく、意識の中の深層も深層、海で言えばめちゃめちゃミネラルの豊富な深層水が分布する深い海の底あたりで感じる違和感とでも言うべきか。
とにかく、私みたいな暗くて面白みのないやつが打ち解けられる相手ではない……と思っていたのである。
幸那はそんな違和感や、私の用意していた精神的防壁をぴょんぴょんと超えてきた。超えたというか破ったというか、そもそも浸透圧とかを調整して通過してきたと言ってもいい。
なぜなのか。少なくとも見た目で言えば、幸那は私と対極にいる子だと思うのだけど。
それ以上考えるのが面倒だったので、直接訊いてみることにした。
「沖田さんは」
「違う」
「へ?」
「幸那、とお呼びなさい」
「……幸那は」
「へい」
「幸那は、高校の時からそんな感じのノリの子だったの?」
「ふうん、晴子も面白いこと訊くじゃん。やっぱ第六感って当たるもんだね」
幸那は顎のあたりに手をやって、斜め上の方にわざとらしく目線を動かした。やっぱ、ということは何かしらの意識があって、私に話しかけてきたということは想像に難くない。
では、何故に?
私が何も言わずにいると、やがて幸那は静かに口を開いた。
「ま、その話は健康診断が終わったらしよう。
「……」
「ってか、晴子って一人暮らしなんでしょ。新居に突撃させてよ。今日は持ち合わせがないけど、いずれは、絶妙に世話するのがめんどくさい観葉植物とかをプレゼントしたげるから」
「要らない」
「あはは、冗談。……でも、どうせならゆっくりお話したいからね。とっとと身体測定モドキなんて終わらせようよ。苗字も学生番号も近いから、一緒にまわれるでしょ」
「まあ、うん」
「心配しなくても、晴子のあんなことやこんなことを覗いたりはしないから」
「ちょっと何言ってるかわかんない」
「わかってる人の言い回しだよ、そりゃ」
さーてさて……などと言いつつ問診票を鞄から抜きながら、幸那は立ち上がった。私も反射的に、それに続いて席を立つ。
あー。なんか自然と、一緒にまわる流れになっちゃったじゃん、バカ。手痛い失点だぞ、海老名晴子。
自らの名前とは裏腹に、私の心にはいまいち重たい色の雲が流れていた。
★
「ほーん。綺麗にしてるね」
「まだ引っ越してきたばかりだからね。ほどいてない荷物以外はそれなりに綺麗だと思ってる」
結局、健康診断を共にまわって、幸那は宣言通りに私の一人暮らしの部屋へやってきた。この辺にものすんごくバカでかい観葉植物を……などと未だに言っていたので「要らん」と言ったら、腹を抱えて笑っていた。
二個も要らないと思っていたマグカップが、思わぬところで役に立った。お湯を注ぐだけでカフェオレが出来上がる魔法の粉を使って、私は初めて家にやってきた友達をもてなしたのだった。
なんなら誰も招かないまま終わると思っていただけに、入学早々に実績を解放してしまったテンポの速さに、ただただ驚くばかりだ。
小さいテーブルを挟んで腰を下ろした幸那は、きょろきょろと部屋の中を見回しながら、言った。
「いいとこじゃん。こんなに近くに住めてたら通学もラクそうだし。あたしももっと考えて決めればよかったよ」
「おき……幸那はどこに住んでるの」
「東区」
隣の区だった。そこで、ふふ……と幸那が笑いを噛み殺そうとしたので、私は思わずそれに突っ込んだ。
「なに」
「んー。やっと私が突っ込む前に、名前で呼んでくれるようになったじゃん」
「……こういうの、慣れてなくて」
「いいんじゃない? あたしも含めて、これまでの晴子を知ってる人間なんて、ここには誰もいないんでしょ。チャンスだよ」
「チャンス?」
「たぶんだけどさ。……晴子、実はいまの自分にそれほど満足してないんじゃないの」
美しいと思っていた金魚が、実は肉食だった。
その瞬間、私が抱いた感想は、まあそんな感じだ。
幸那のその言葉は、私の胸の深く奥に、大きな音を立てて突き刺さった。
そんなはずはない。
私はずっと、このまま波風を立てず、静かに、それでいて当たり障りなく生きていければいい。
はずだ。
いや、本当にそうだろうか。
いま目の前にいる幸那みたいに、元気がよくて明るくて、可愛い女の子になれたなら、四年間なんとなく過ごすことになるであろう毎日にも、何らかの変化が起こるのだろうか。
そもそも幸那は、そんなことが今からでも、私にもできるとでも言うのだろうか。
「……そんなこと」
できるか。
その反論を最後まで口にできなかったのは、ふいに幸那が身を乗り出しながらその整った顔を近づけて、私の顔を覗き込んでいたことに気づいたからだ。ふーん……なんて言いながら、左から右から、私の顔の隅々まで目をこらしている。
私は私で、幸那の顔をだまって眺めていた。もとい、そうすることしかできなかった。人見知りだから、こんな時にどう振る舞うことが正解なのか、解りかねたのだ。
やがて、元の場所に再び腰を下ろしながら、幸那は言った。
「晴子さ」
「なに」
「ひとつひとつのパーツがすごくいいから、もったいないって。ちゃんとメイクしたら、めっちゃ可愛くなると思うよ」
「そんなことは――」
「まあ、口でいくら喋っても仕方ないか。百聞は一見に
「は?」
「さあ、メイク道具を出しなさい。さすがに何も持ってないなんてことはないでしょ。四の五の言わずに出せ」
「幸那、前世は強盗か何かだったの?」
「同じ女のあたしでも奪いたくなるくらい、可愛くしてあげるって言ってんの。さあさあさあさあ」
有無を言わさない様子の幸那に怖気づいて、私は部屋の隅で眠っていた段ボールうち、ひとつのガムテープを剥がした。
一応、買ってみただけ。私からしてみれば、メイク道具の位置づけなどその程度だった。だからこそ、仕舞ってある箱がどれなのかわかったというのは、いったい好都合なのか不都合なのか。ほーん結構いいやつ持ってんじゃん……と私の化粧ポーチを漁る幸那が、天使なのか悪魔なのか。
それもこれからわかるのだろう、と思った。
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