第8話 冬のカフェと、君の声

冬のパリは、冷たく澄んだ空気に包まれていた。

石畳の路地を吹き抜ける風は鋭く、通りのガス灯はオレンジ色のほのかな光を揺らめかせている。


エリスは店の窓辺に立ち、外の世界をぼんやりと見つめていた。

彼女が毎朝淹れるコーヒーの香りが店内を満たし、暖炉の火がゆらゆらと揺れている。


「今日も寒いね」


低くて落ち着いた声が背後から響き、エリスは振り返ると、いつもの詩人、セバスチャンが少し肩をすぼめて立っていた。

彼の黒いコートには雪の粉が少しだけ積もっている。


「いらっしゃい、セバスチャン」

エリスは微笑みながら、彼のために特別に淹れたカフェ・オ・レを用意した。

彼女の指先がカップの縁に触れるたび、微かな震えが伝わる。


「ありがとう、エリス。君のコーヒーが一番心を温めてくれる」


セバスチャンはカウンターに肘をつき、窓の外の雪を眺める。

その横顔はどこか影があり、過去の傷を秘めているようだった。


「寒さのせいかな、最近詩がうまく書けなくて」


彼がぽつりと言うと、エリスは優しく答えた。


「そういう時は無理に書かなくていい。心が求める言葉が来るまで、じっと待つの」


彼女の言葉に、セバスチャンはふっと笑みをこぼした。


「君はいつもそう言ってくれるね」



その日も、二人は言葉少なに時間を過ごした。

セバスチャンはノートを開き、ゆっくりとペンを走らせる。


「君のことを詩に書いてもいい?」


突然の質問にエリスは目を見開いた。


「え?」


「君の笑顔、話し方、そのすべてが詩になる。言葉にできないけど、大切なものなんだ」


エリスの頬がほんのり赤くなる。


「そんな……」


彼の視線が一瞬だけ優しく揺れて、それから確かな光を宿した。



その日の閉店後、二人は店の外に出た。

雪は静かに降り続き、パリの夜を白く染めていた。


セバスチャンはぽつりと言った。


「僕はずっと、一人で生きていくと思っていた。過去の影が消えなくて、心が凍っていた」


エリスは彼の手をそっと握った。


「一人じゃないよ。ここにいる」


その瞬間、セバスチャンの目に光が戻り、彼は微笑んだ。


「ありがとう、エリス。君といると、心があたたかくなるんだ」


ふたりの距離がぐっと縮まり、冬の冷たさがまるで嘘のように消えた。



パリの街角で、二人は初めて言葉にできない気持ちをそっと伝え合った。

雪の舞う夜に、恋がゆっくりと芽生えていくのを感じながら。

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