第5話 春が終わる前に

春の風が、もう少しで夏に変わりそうな匂いを運んでいた。

新学期が始まってから一ヶ月。クラスにも慣れ、少しずつ日常が馴染んできた頃。


でも、未来はどこか落ち着かなかった。


彼──和真(かずま)とは同じクラスになった。

2年の終わりごろからよく話すようになって、3年生になった今、自然と隣にいることが増えていた。


教室でも、廊下でも、帰り道でも。


誰かに何か言われたわけじゃないけれど、周りの視線にちょっと敏感になったり、

何気ない言葉に一喜一憂したり。


それは、「友達」としての距離じゃなかったからだ。



ある昼休み、未来は教室の隅でお弁当を広げていた。


「となり、いい?」と和真が声をかける。


「うん」


なんでもない風を装って返事したけど、内心はちょっとドキドキしていた。

彼が来るだけで、周囲がほんの少しざわめく気がして、手に持ったお箸がぎこちなくなる。


和真は、おにぎりをほおばりながらふと呟いた。


「春、もうすぐ終わるね」


「うん……早いよね、時間って」


会話は続くようで続かなくて、それがまた切なかった。



春の終わりが近づくたびに、未来は焦りを感じていた。

この関係が、何かひとつ進まないまま、ただ日々が過ぎていくことが怖かった。


未来は好きだった。

和真の声も、仕草も、気づかないふりをしてくれる優しさも。


けれど、それを言葉にする勇気はまだなかった。



そんなある日の放課後、未来は下校の準備をしていた。

机の中に、小さな便箋が折りたたまれて入っていた。


──「屋上、来られる?」


筆跡は間違いなく、和真のものだった。


未来の心臓が跳ねる。


何かを期待する自分と、そうじゃないと言い聞かせる自分が頭の中で交差していた。



屋上に上がると、和真がフェンスにもたれて空を見ていた。


「来てくれてありがとう」


未来は何も言えず、彼の隣に立った。


「なんかさ、最近……お前、俺の前だと変に静かになるよな」


「……え、そうかな」


「気のせいじゃないと思う」

和真は笑いながら、でも真っ直ぐな目で未来を見た。


「俺のこと、避けてない?」


「ちがうよ」

未来は急いで首を振った。


「そうじゃなくて……逆なの」

声が震えた。


「逆……って?」


「和真のこと、好きだから……どうしていいか分からなくて、

一緒にいると嬉しくなるのに、それを隠すのに必死で、だから……」


言いながら、自分でも何をどう言っているのか分からなくなった。

でも、和真は黙って聞いてくれていた。


少し間を置いて、彼は笑った。


「俺も、ずっと好きだったよ」


未来は顔を上げた。


「……ほんと?」


「ほんと。春が終わる前に言わなきゃって、ずっと思ってた」

風が二人の間を吹き抜ける。


「俺と、付き合ってください」


未来はうなずいた。

心から、迷いなく。



教室に戻る階段の途中で、和真が未来の手をそっと取った。

その手は少しだけ汗ばんでいたけど、確かにあたたかかった。


「なあ」

彼が照れくさそうに言う。


「これからは、ちゃんと手つないで帰ろうな」


未来は頬を染めながら笑った。


「うん、春が終わる前に、間に合ってよかった」

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