第4話:彼女との距離と空気感

彼女にさえ、このもやもやを伝えるのは難しかった。何をどう言えばいいのか、自分でもわからなかった。

「じゃあ、どうしたいの?」

広げたメニューに視線を落としたまま、彼女は言った。声は落ち着いているのに、少し遠い。

「もっと、『アフリカ』に行きたい。ここじゃない場所に」

そう答えると、彼女は一瞬だけ動きを止め、黙ってページをめくった。窓の外にはケープタウンの穏やかな夕暮れ。カモメが風に押され、旋回している。

「ここもアフリカじゃないの?」

顔を上げた彼女は、笑みでも怒りでもない表情で言った。日焼けなのか生まれつきなのか、彼女の肌の色はいつも判別がつかない。その存在そのものが、輪郭の曖昧な問いのようだった。

「うん、そうだけど……僕の思ってたアフリカとは違う。もっと荒々しいというか、クセが強いというか、生き物の気配がする場所。たとえばサバンナとかさ」

僕がそう言うと、彼女は少し眉を動かした。答えるべきかどうかを迷っているように見えた。

「ケープタウンって、そういう街じゃないから」

短く言って店員を探す。間を置いて、付け足した。

「わざわざ『違う場所』を探さなくても、今いる場所に向き合えば面白いことはあると思う」

言葉にトゲはなかった。けれどその柔らかさも、僕の思いを受け止めるものではなかった。薄い毛布のように、包まれるのに落ち着かない。

「たとえば?」

僕が聞き返すと、彼女は水のグラスを軽く揺らした。

「マーケットのおじいさんとか、近所のパン屋の子どもとか。見方によっては、どこにだって物語はある。探し方の問題なんじゃない?」

その仕草は、何かを避けるようでもあった。言っていることはわかる。たぶん正しいのかもしれない。けれど、それじゃ届かない。

僕は『何か』を探していた。ここにはない気がしていた。

彼女はそれを理解しているようで、していなかった。その曖昧さが、僕を余計に落ち着かなくさせた。

言い合いにはならなかった。

ただ静かに料理を待ち、いつものように食事をした。運ばれてきた皿の湯気だけが、ふたりのあいだで揺れていた。

あのとき、彼女も少し息苦しさを感じていたのかもしれない。それを言葉にすることはなかった。

彼女の胸にあったのは、仕事や将来の重みだったかもしれない。彼女は語らないことで守れるものがあると知っている人だった。

僕たちは同じ景色を見ているようで、まったく違うものを見ている。その違いを、あえて確かめない。

それが心地よさであり、脆さでもあった。

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