第3話:理想のアフリカ像とのズレ
「そもそも、『アフリカらしさ』ってなんだ?」
僕の中にあった『アフリカ』は、いったいどこにあるのだろう。そんな問いが浮かんだのは、ある意味で自然な流れだった。僕はたしかにアフリカにいた。だけど、アフリカにいる感じがまるでなかった。
「アフリカらしさ」という言葉は、きっと多くの人がそれぞれに持っている。僕の中にも、それがあった。地図の中に描いたようなアフリカ像が。けれど、それはどこか外から貼られたラベルであり、『記号化された印象』でもあった。
じゃあ、『アフリカらしい感じ』って何なんだろう。
思い返せば、僕の中にはずっと「こうあってほしいアフリカ像」があった。土と藁の家、赤土の大地、裸足の子どもたち。埃っぽく、熱く、どこか混沌としていて、人々はたくましく生きている。雑誌やテレビで刷り込まれ、旅人のブログや写真で植え付けられたのかもしれない。見てもいない匂いや熱を、勝手に五感に置き換えてしまっていた。
だが、ケープタウンには、そんな『アフリカらしさ』はどこにもなかった。整った街並み、発達した交通網、巨大なショッピングモール。熱気ではなく、リゾートのような乾いた風。便利で快適で住みやすい街。それは良いことのはずなのに、物足りなかった。
アフリカと聞いてまず浮かぶのは野生動物。だが、それもどこに行けば見られるのだろう。
「ライオン? 車で一時間くらいの郊外にあるライオンパークでみられるよ」
と教えてくれたのは彼女だった。
いや、ちょっと違う。ライオンパークにいる時点で野生ではない。ただ動物を見たいだけなら、日本の動物園でも済む。
ある日、友人たちに夕食を誘われた。
「アフリカ料理を食べたことある? 有名なレストランがあるみたいなんだ」
さすが、ケープタウンだ。アフリカ料理のレストランまであるなんて。僕は「行ってみよう」と即答した。けれど、その言葉の響きに妙なひっかかりが残った。この街はアフリカの中にある。なのに『アフリカ料理』と、あえてラベルを貼る。その響きが、なぜか料理を「ここ」のものではなく、どこか別の土地から運ばれてきたもののように感じさせた。たぶん、考えすぎかもしれない。
でもその瞬間、自分が「アフリカにいる」のではなく、「アフリカを外から見ている」ような距離感に包まれた。
一体ここはどこで、アフリカはどこにあるんだろう。そんな違和感を、誰かにうまく説明できたことはなかった。
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