第5話『君がいた世界で、僕だけが生きている』

 データディスクを握りしめた僕の指先は、冷たく、そして熱く震えていた。カナを取り戻すための唯一の希望、『世界再構築プログラム』。それは、僕自身の存在を不安定にするかもしれない、あまりにも重い選択だった。しかし、カナがいない世界に、僕が生きる意味などあるのだろうか。答えは、僕の心の中に、最初から決まっていた。


 僕は、記憶編集者たちのリーダーに向かって、はっきりと告げた。

「僕は、カナがいた世界を選ぶ。たとえ、この身がどうなろうとも」

 リーダーの無表情な瞳の奥に、一瞬だけ、微かな動揺のようなものがよぎった気がした。彼らは、僕が「世界の安定」よりも「愛」を選ぶことを、予想していなかったのかもしれない。

 「愚かな選択だ。しかし、それが君の観測ならば……」

 彼らは、僕を「世界再構築プログラム」の起動装置へと導いた。それは、観測塔の中心に位置する、巨大なクリスタルでできた装置だった。クリスタルは青白い光を放ち、その内部には、無数のデータが渦巻いているのが見えた。


 僕は、データディスクを装置に差し込んだ。全身に、電流が走るような感覚。僕の意識が、世界そのものと同期していく。過去の歴史が、僕の脳内で高速で再生され、そして、カナが存在する「新しい世界」のデータが、上書きされていく。

 視界が白く染まり、耳鳴りが響く。僕は、自分自身の存在が、砂のように崩れていくのを感じた。カナを取り戻すための代償が、今、僕の身に降りかかっている。


 どれくらいの時間が経っただろう。

 意識が戻ると、僕は見慣れた自分の部屋のベッドにいた。窓の外からは、鳥のさえずりや、車のエンジン音、そして人々の話し声が聞こえてくる。世界は、以前のように賑やかで、活気に満ちていた。

 僕は、慌てて部屋を飛び出した。リビングには、テレビのニュースが流れ、食卓には朝食が用意されている。そして——。

「ユウ、遅いよ! 早くしないと学校に遅刻するよ!」

 キッチンから、聞き慣れた、しかし、僕の記憶から一度は消え去ったはずの声が聞こえた。

 そこにいたのは、御堂カナだった。

 彼女は、僕が知っているカナと寸分違わない笑顔で、僕を見つめていた。


 「カナ……!」

 僕は、思わず彼女の名前を呼んだ。涙が、止めどなく溢れ出す。彼女は、確かにここにいる。僕が、彼女を取り戻したんだ。

 「どうしたの? 寝ぼけてるの?」

 カナは、不思議そうに首を傾げた。彼女の瞳には、僕が経験した「人類が消えた世界」の記憶も、「記憶編集者」の存在も、一切映っていない。この世界は、僕が望んだ「カナが存在する世界」として、再構築されたのだ。


 僕は、カナを抱きしめた。彼女の温もり、香り、そして鼓動。そのすべてが、僕の存在が不安定になったことの代償として、より鮮明に感じられた。

 しかし、僕の心の中には、この世界の誰も知らない「前の世界」の記憶が、確かに残っていた。人類が消え去った静寂の都市、記憶編集者との戦い、そして、カナの遺言。

 この世界は、僕の記憶と異なる部分も多く、僕だけが「前の世界」の記憶を持つ存在となる。それは、僕が背負う、孤独な真実だった。


 それでも、僕は後悔しなかった。カナとの「愛」という記憶を胸に、彼女と共に生きることを選んだのだから。

 学校への道を、カナと並んで歩く。他愛もない会話を交わし、彼女の笑顔を見るたびに、僕の心は満たされていく。

 「ねぇ、ユウ。なんか今日、変だよ?」

 カナが、僕の顔を覗き込んだ。僕は、少しだけ微笑んだ。

「なんでもないよ。ただ、君がいてくれて、本当に嬉しいだけだ」


 それは、失われた世界への哀惜と、新たな世界での希望を抱きながら、「君がいた世界で、僕だけが生きている」という、切なくも美しい真実を抱きしめる物語の終着点だった。

 僕の記憶は、この世界で唯一の、そして最も大切な「バグ」として、これからもカナの存在を観測し続けるだろう。

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君が死んだ世界で、僕だけが生きている @ruka-yoiyami

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