第4話『歴史の書き換え、選択の時』

 タブレットの画面は、カナの最後のメッセージをノイズにまみれさせながら、記憶編集者たちの介入を告げていた。「観測者の逸脱。修正を開始します」。無機質な音声が、僕の心臓に直接響くようだった。彼らは、僕がカナの存在を証明したことを察知し、世界そのものから彼女の痕跡を完全に消し去ろうとしているのだ。


 僕は、タブレットを抱きしめるようにして、カナのデータが消えゆくのを食い止めようとした。しかし、物理的な力ではどうすることもできない。この世界は、観測者の意識と記憶によって成り立っている。ならば、僕が彼らの「修正」に対抗するには、僕自身の観測を、彼らとぶつけ合うしかない。


 僕は、記憶編集者たちが拠点としているとされる、都市の中心にある「観測塔」へと向かった。それは、倫理都市の「観測塔」とは異なり、漆黒の金属で覆われた、威圧的な建造物だった。内部は、無数のデータケーブルが絡み合い、青白い光を放つモニターが壁一面を埋め尽くしていた。その中心には、透明なカプセルが並び、その中に、無数の人間が眠っているのが見えた。彼らが、この世界の「観測者」なのか。


 「ようこそ、神代ユウ」

 声が響いた。空間そのものが震えるような、深く、しかし感情のない声。

 現れたのは、全身を黒いローブに包んだ集団だった。彼らが、記憶編集者。彼らは、僕がカナのタブレットを修復し、彼女の存在を強く観測したことで、僕の居場所を特定したのだ。

 「御堂カナの存在は、世界の安定を脅かすバグだ。彼女を消し去ることが、我々の任務であり、世界の『正しい』秩序を維持するための唯一の道だ」

 リーダーらしき人物が、冷徹な声で告げた。彼らの瞳には、一切の感情の揺らぎがない。彼らにとって、カナはただの「データ」であり、「修正」すべき対象に過ぎないのだ。


 「バグだと? カナは、僕が愛した人間だ! 君たちに、彼女の存在を消す権利なんてない!」

 僕は叫んだ。怒りと、絶望と、そしてカナへの揺るぎない愛が、僕の全身を駆け巡る。彼らが言う「世界の安定」とは、僕の「愛」を犠牲にした上で成り立つものなのか。

 「感情は、不確定要素だ。世界の秩序を乱す。我々は、それを排除する」

 彼らの言葉は、僕の感情を否定し、僕の存在意義そのものを揺るがすものだった。だが、僕は負けない。僕の「愛」こそが、真実なのだから。


 記憶編集者たちは、僕の記憶に直接干渉しようとしてきた。再び頭に激しい痛みが走り、カナの記憶が霞んでいく。だが、僕は必死に抵抗した。カナとの思い出を、一つ一つ、心の中で強く反芻する。彼女の笑顔、声、手の温もり……。それらすべてが、僕の記憶を侵食しようとする彼らの力に対する、唯一の盾だった。


 その時、リーダーが、僕の前に一つのデータディスクを差し出した。

 「これは、『世界再構築プログラム』だ。これを使えば、君はカナが存在する『新しい世界』を創り出すことができる。しかし、それは過去を改変し、新たな歴史を創造する禁断の選択だ。そして、その代償は、君自身の存在を不安定にすることになるだろう」

 僕の心臓が、激しく脈打った。カナを取り戻すための、唯一の希望。だが、それは、僕自身の存在を犠牲にするかもしれない、あまりにも重い選択だった。

 記憶編集者たちは、僕に選択を迫る。世界の安定のためにカナを諦めるか、それとも、僕自身の存在を賭けて、カナが存在する世界を創り出すか。


 僕は、データディスクを握りしめた。カナの笑顔が、僕の脳裏に鮮明に浮かび上がる。

 この世界で、僕だけが生きている。だが、カナがいない世界に、僕が生きる意味などあるのだろうか。

 僕は、カナを取り戻す。たとえ、この身がどうなろうとも。

 僕の選択が、この世界の歴史を、そして僕自身の運命を、大きく変えることになるだろう。

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